2-1


 いよいよ、数か月ぶりの仕事だ。

 電話の後送られてきた詳細メールによれば、拘束時間は8時間。予定より早く終わっても給料は変わらず3万。持ち場は違うが3グループで交代制のシフトだから休憩もたっぷりある。時給換算してもおいしい案件に違いなかった。白のポロシャツに黒のチノパン、地味目のスニーカーと指定された服を身に纏い、集合場所へと向かう。

 集合場所は派遣会社スタービジョンの地下ホール。

 日給抜きで考えればよくある派遣仕事だと思うが、ただ、少々疑問が拭えない。

 何故集合場所が派遣会社スタービジョンの地下ホールなのだろう。集合して移動するなら1階のホールの方が都合いいんじゃないだろうか。

 そうこう考えながら地下へ向かうと、既に何人もの同じ格好をした人達が集まっていた。辺りを見渡せば、バインダーを持った女性と目が合った。まるで人形のようだと思った。そう、その女性は人形のように整えられた美を纏っていた。だが、ピクリとも動かない表情からは何も読み取れない。その眼はどこまでも見透かしているようで、それでいてなにも映すことの無いような色をしていた。

「貴女、この仕事初めてかしら?」

 ゆっくりと、それでいて優雅に歩み寄ってくる女性に「えっと……はい、登録して初めての仕事です」と答えると、淡々とした口調で「そう。今回は私が受付担当なの。名前いいかしら」と問われた。

「河下玲央奈です」

 そう答えれば女性は持っていたバインダーに「河下……」と呟きながら何か書きかけて、もう一度玲央奈の方を見据えた。

「ねぇ、貴女。あだ名とかあるかしら。今日は本名ではなく呼んでほしいあだ名で行動してもらうことになるわ」

 だからあだ名を、という女性にとりあえずぱっと浮かんだ名前「じゃあ、レオ、で」と告げた。

 改めてバインダーに記入したその女性は、いつの間にか用意されていた『レオ』と書かれた名札を玲央奈に渡しながら、

「……はい、受付は終了よ。貴女は今回B班ね。今日はその班で活動してもらうわ。……あら、貴女で最後みたいね。あそこでプラカードを持ってる人わかるかしら。そこに次の指示があるまで集まっておいて」

 そういって女性が指さす方に目を向けた。確かにB班というプラカードを持って辺りを見渡している人がいる。一先ず、あそこにいればいいわけだ。

 そんなことを考えていると、女性が「B班か……」と緩やかに呟いた。

「あぁ、サカモトっていう男がいるわ。今回の貴女の班のリーダーよ。変な人だけど、悪い人ではないから、何かわからないことがあったら彼に聞くといいわ」

 そういって終始無表情のまま歩み寄ってきた時と同じ様にゆっくりと、それでいて優雅に去っていった。

 何となくその後ろ姿を暫く見送ると、B班の方へと目を向けた。プラカードを持った人含め3人程集まっている。

 とりあえず、指定された場所に向かうか。左胸に名札を付け、指示通りB班の方へ向かうと3人は皆もう顔見知りなようで既に和気藹々と談笑している。中々輪に入り辛い雰囲気だ。どう入っていこうかともじもじしていれば、天パを拗らせてアフロになったような頭の男性が「おぉ、新顔だな。アンタ新入りか?」と声をかけてきた。その胸にはサカモトという名札がついている。あぁ、この人が噂の。

「えっと……はい、私」

 名乗ろうとして、ふと自分の名札が目についた。

「……レオです。よろしくお願いします」

 軽く会釈すれば、皆何故かニヤニヤしている。

「この子、意外と勘がいいですね」

「結構使えるんじゃないですか」

 なんて口々に言っている。

「え、なんですか?」

 そう怪訝そうな顔をする玲央奈にサカモトがニヤッと笑う。

「今回の仕事先は本名禁止なんだわ。だから皆こうやってあだ名の名札を付けてる。んで、アンタは意図してかそのあだ名で名乗った」

 今回の新人はサイコーだな、気にいったわ。そういってケタケタ声をあげて笑っている。

 理由はよく分からないが、気にいられたらしい。

 そうこうしていると

「注目!」

と大きな声がホールに響き渡った。男のその声に、それまでのざわめきが一瞬にして消えた。それと同時にその場にいた全員が、まるで軍隊のようにさっと各班ごとに整列する。玲央奈もつられその場に倣った。そして窺うように声の主の方へ体を向ける。スーツを身に纏い、サングラスをかけた、その場には少し似つかわしくない雰囲気の男が目に入った。

「本日の流れ及び注意事項を伝える」

 響き渡る声に空気が緊張を帯びる。まるでマフィアの幹部クラスの貫禄である。

「本日はモライでのサンプリングである。1時間おきに各班休息をとってもらう。今回は比較的ランクの低いクエストではあるが、改めて注意しておく。死にたくなければ決して名前を知られるな。それが今回の最低限の注意事項である。新人のいる班もあることだろう。可能な限りサポートをしてやってくれ。以上だ。本日も健闘を祈る!」

 そういって体を少しずらした男の背後には、いつの間にか大きな扉が現れていた。

 こんな扉、さっきまではなかったはず……。

 言葉を失い、扉を見上げる玲央奈の背中を力いっぱいサカモトが叩く。

「っしゃ、本日もお仕事頑張りますか」

 ニヤニヤ面に引っ張られるように、玲央奈は正体不明のその扉を潜った。



 トンネルを抜けるとそこは雪国だった、なんて一節があるけれど、正体不明の扉を潜るとそこは……異世界だった。いや、異世界ってものが存在するのかよくわからないけど、少なくとも玲央奈の知っている世界ではないことは確かだった。空気が乾く。砂漠の中の小さな街中のそこら中を、二足歩行の狼達が服を着て歩いていた。こんなの漫画やアニメの世界でしか見たことがない。

「ここ、獣人の住むモライって世界な。とりあえず俺らB班の担当区域は南の方だからそこまで移動すっぞ。多分もうティッシュはベースに届いてるはずだからそれ拾ったら仕事開始な」

 サカモトの後ろを慣れたように他の2人もついて歩く。そんな3人を呆然と立ち尽くし見ていると、サカモトが振り返ってニヤリと笑った。

「わかんねぇことあったら、まぁその都度聞けや。レオ、俺、今回お前には期待してっから」

 何がなんだかさっぱりわからない。いきなり異世界と言われても正直困るし、獣人とかなに、言葉通じんの? いや、それ以上に……このサカモトって人が良く分からん。期待してるってなんだ。

 でもまぁ、とりあえずはこの人達に着いていくしかないみたいだ。

 玲央奈は駆け足で3人の後を追った。



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