第56話 ナタナエル その4

 ヨハネは重い溜息をつくと、空を仰ぐ。


「・・・・・・・・あの、松葉杖」

「・・・・・・あ、ああ」


 ナタナエルはヨハネがフィリポに与えた杖を脳内に思い描いた。普通の杖と違い、上の部分が三角形になっているそれは、彼が一人でも歩けるようにヨハネが作り出したものだった。


「実は、今から数百年後に出来る医療器具の一つなんだ」

「・・・・・・・・・・・はぁ?」


 何を言い出すかと思えば。ナタナエルは眉根にシワを作った。ヨハネはそんなナタナエルの様子などどうでもいいようで更に言葉を続けた。


「あのね、ナタ。俺には未来が見えるんだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 突拍子のないヨハネの発言にナタナエルは口をパクパクと動かした。現実的な思考回路を持っていると思っていた級友の非現実的な言葉になんと言えばいいかわからなかったのだ。


「信じなくていいよ。何か戯言を言っているとでも思っていてくれればいい。だから、今はちょっと話を続けさせてくれ」

「・・・・・・・・・ああ」


 ナタナエルの反応は予想していたようでヨハネは続けた。


「俺の未来予知の力はね、ある日突然使えるようになったんだ。いきなり、次の日の出来事が夢に出て、それが本当に起こる。一回二回のことじゃない。何度もだ。そうしてね、未来のことを知るようになった」


 ヨハネは空を仰ぐ。真っ青な空が一面に広がっていた。


「最初の頭に勝手に入ってくる情報に振り回されるだけだったけれど、次第にその力をコントロール出来るようになったから、色々なことを知ることが出来た。・・・・・・・・・・松葉杖もね」

「・・・・・・・・・・・・・」


 信じがたい言葉に、ナタナエルは眉をひそめる。


「そうして見た中の一つに、今回の旅行のこともあった。・・・・・・・・・・正確には、旅行中に起こること、かな。祭司には欠けたところがあってはいけない。これは、常識だよね」

「・・・・・・・・・ああ」

「それなのに、足が使えないフィリポは祭司にはなれないとわかっているのに留まり続けている。これは、他の祭司見習いから見たら、不公平もいい所だよね。他の人達の中には、目が見えなくなったり、手が使えなくなったりして追放された人もいたのに」


 頬を冷たい風が撫ぜたような気がした。ナタナエルは黙って続きを促す。


 

「・・・・だから、そう思う人達が、俺達の旅行中に、学院に居るフィリポに暴行を加えて追放する。・・・・一応、たまたま通りかかった旅人に助けだされるんだけどね。けれど、それが心の傷になった彼はますます心を閉ざしていく。これが、本来この旅行中に起こることだったんだ」

「・・・・・・・・・・・は・・・?そんな・・・。あの中にそんな事する奴らなんて・・・・」


 ヨハネの言葉があまりにも作り物めいて聞こえてナタナエルは抗議したが、白い目が帰ってくるだけだった。


「君の前ではみんな猫をかぶっているんだろうね。・・・・・・・・君は、有望株だから。取り行っておいて損はない」

「・・・・・・・・・・・・っ」


 まるで憐れむような声音だった。

 

「君の見ている世界は、きっと綺麗なものなんだろうね。でも、それは君のステータスがそうさせているんだ。君は、親族達が祭司の中でも位が高くて、将来出世する事がほぼ決まっている。そんな君に辛く当たるのは、自分の将来を考えるとするわけがないだろう? でも、フィリポに対しては違う。彼は道理を曲げて学院に居る上に、絶対将来祭司にはなれない。そんな男に、誰が本性を隠して擦り寄ろうとするんだい?」

「・・・・・・・・・・・んな」


 ヨハネの言葉が悔しくて反論をしようとしたが、喉がカラカラに干上がり、声が出てこなかった。ヨハネの深呼吸が話に一区切りをもたらす。


「・・・・・・そういう事でね、その未来が見えた俺は、なんとかそれを回避できないかと思ったんだ。そうして、考えた。学院にいてそういう目に会うのなら、一緒にエルサレムに行けばいい。けれど、担いでまで連れていくのは物理的に不可能だし、それを上の人達が許すとは到底思えなかった。

だから、彼が一人で歩けるように、現在の技術で作れるものとして、松葉杖を探しだした。そうして、彼がひとりで歩いているのを見て、これなら大丈夫だ、って思った」


 ぐ、とヨハネは拳を握りそちらに視線を移した。


「・・・・・でもねぇ、結果は見てのとおりだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・」


 学院で暴行を加えられなかった彼は、エルサレムで暴行を受けた。

 すとん、と彼の言葉が最初から全てつながり、俺は唇を噛んだ。


「・・・・・・・・・・なんでヨハネに、そんな力が?」


 まるで彼こそが預言者なのだと、祭司になるために生まれてきた天性の才能を持っているのだと告げられているようで悔しい。

 けれどヨハネは苦しそうに唸った。


「そんなのは俺が知りたいよ・・・。時としては見たい未来は見えないのに、見たくない未来ばかり繰り返して見させられるんだ」


 ぐったりとヨハネは膝を抱え込む。とても疲れているように見えた。


「・・・・・・なんで神は、俺にこんな力を与えたんだろう。未来が見えるのに、それを回避することも出来ないこんな力なんて、何のためにあるんだろう。・・・・・・・・俺は時々、本当に神を信じられなくなる」

「・・・・・・・・・・・・な、お前・・・・」


 それは、祭司見習いがけして言ってはいけない言葉だった。


「それだけじゃない。ねぇ、ナタナエル。なんで神は“罪人”達に手を差し伸べないんだい?」

「・・・・・・・それは・・・、」


 ナタナエルの回答など最初から期待していないかのようにヨハネは投げやりに問いかけた。


「信仰心が足りないからかい? それならば何故俺は平気なんだい? こんなに、神を疑っているのに」

「なっ!? ヨハネ!?」


 ナタナエルが声を荒らげる。ヨハネは意に返さず続けた。


「俺は今までに何度も神に対して疑問を抱いてきた。それでも、俺には何の罰も与えられなかった。フィリポのように足が使えなくなることも、病にかかることもなかった。けれど、俺にはどうしても、フィリポが俺以上の“罪人”には思えないんだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・、そ・・・、れは」


 ヨハネの言っている言葉に何と返していいかわからなかった。

 彼はじ、と級友を見つめる。


「ナタナエル。君は今まで一度も、フィリポを見下したことはないかい?」

「っ・・・・」


 ヨハネはナタナエルの手首をつかむ。


「ないとは言わせないよ。もしかしたら、彼の足が使えなくなった時に少しは安堵したんじゃないのかい? ・・・・・・あの頃の君は、毎回君よりもいい成績を取るフィリポが煙たかったんじゃないのかい?」

「違う! ・・・・・・あ・・・、いや・・・・」


 確かに、昔は彼をライバル視していた。そうだ、確かに、ヨハネの指摘する通りかもしれない。それでも、認めたくなかった。

 フィリポに対してそんな感情を抱いたことはないと思っていたかった。


「・・・・・・・人間は、弱いよ。自分が蔑まれるのが怖くて、相手の不幸の最中にでも、自分と対比して自分の位置を測る」

「・・・・・・・・・・・・・・・・っ」


 まるで見透かすような彼の視線にいたたまれなくなって下を向く。

 ヨハネが何度目かのため息を付いた。


「これは俺の話だよ。俺が彼の立場だったら、と考えると怖くて仕方ない。周囲に居る人に蔑まれて生きるなんて、どんなものか想像も出来ない。そんな中で、フィリポは苦しんで、でも逃げることなく生きてるんだ。彼は俺の何倍も強い人間だ。・・・・・・・・・・・一体、誰が、彼を“罪人”として蔑んでいるんだろうね」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」


 ヨハネはやたら誰が、のところを強調してナタナエルに問いかける。

 誰って・・・・、

 それは・・・・・、

 俺、なのか?

 ナタナエルは頭を振って考えを散らす。認めたくなかった。

 そもそも、この世界を、この戒律を作っているのは誰なのか。それがヨハネの問いかけなのではないか。


あ。


 目を見開いてヨハネを見る。

 ナタナエルと顔を合わせ、表情から気付いたのを悟ったのか、彼は唇を引き結んだ。


「・・・・・・・・・気付いたかい?」

「・・・・・・・・・・・何の事だ」

「・・・・・・・・うん、それでいいよ。・・・今は、それでいい」


 ナタナエルがしらを切るのを見て、納得したようにヨハネが頷く。寂しそうな声音だった。


「・・・・・・・・・・んだよ」


 居たたまれなくて唇を尖らせる。


「ううん。変な話に付き合わせてごめんね。さぁ、彼が帰るための松葉杖を作らなくちゃ」


 言うとヨハネは立ち上がり、木材を買うため歩き出すものだから慌ててナタナエルは彼の後ろをついていった。

 それから先、予知のことを訪ねても煙に巻かれるだけだった。


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