第47話 フィリポ その6


「フィリポ!」


何かに圧迫されたような体中の痛みでフィリポ目を覚ますと、至近距離にナタナエルの姿があった。

目に涙を溜めて、彼の顔を覗き込んでいる。


「何があったんだよ! 何でこんな所にいるんだ!? その傷は、どうしたんだ!?」

「・・・・・・・・ナタナエル。・・・・・・・痛い」


体中の痛みは彼が俺を抱きしめているからか、とフィリポが気付くとほぼ同時にパートナーは彼のパートナーの体を離した。ナタナエルの服に血がついている。

せっかくのきれいな衣が、もったいない。

赤く汚れた黄金の刺繍を見ながらフィリポはそんなことを考えていた。


「フィリポ、大丈夫かい?」


ナタナエルの後ろら割り込んできたヨハネが心配そうに覗き込む。常の彼らしくなく、目に涙を溜め、心配そうにフィリポを見つめている。


「・・・・・・・ごめん。俺がちゃんと視ていればよかったんだ。ちゃんと・・・、どうなるか」


ヨハネの声は震えていた。

彼はフィリポの両肩に手を置いた。すっかり動転してしまっているらしく手が小刻みに震えていた。


「どうしてヨハネが謝るの?」

「松葉杖を視て、これなら大丈夫だって思って・・・。でも、そうすることでどうなるか、ちゃんと視れていればよかった」


 言っていることが要領を得ない。フィリポは眉を潜めた。


「・・・・・・わからないよ。何で謝るの?」

「君から目を離さなければよかった。そうすれば・・・・」


 かつてこれほどまでに悔しそうなヨハネを見たことがなかった。両方の肩に置かれた彼の手が震えている。


「それは結果論だよ。まさかこうなるなんて、誰も予想できなかったことだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・」


 ヨハネは悔しそうに彼が唇を噛む。


「それにしても、・・・・・・どうしてここにいるの? もしかして、俺のせいで帰れてないの?」


 フィリポはヨハネの手を外しながら尋ねる。本来だったらもう彼らは帰路についているはずだった。ナタナエルが渋面を作る。


「お前がいないのに帰れるわけないだろうが」

「俺達はリーダーに頼んで、君を探すために残ったんだ。他の人たちは先に帰った」


 冷静さを取り戻したのだろうか、感情的なナタナエルの言葉にヨハネが補足説明を入れた。


「・・・・・・・・なんで?」


 きょとん、とフィリポは首を傾げる。

 先程まで彼は本当に自分を助けに来る人間は誰もいないと信じていたのだ。


「・・・・・・・・なんでって・・・、そりゃ、お前は俺のパートナーだし・・・・、探すだろ? そりゃ」


 フィリポの反応が予想外だったらしくナタナエルは悲しそうに眉尻を下げた。


「・・・・でも、俺がいなければ新しいパートナーがもらえるかもしれないのに」

「は?」


 フィリポの言葉にナタナエルの目は丸くなる。

 これ以上は言わないでおこう、そう理性は訴えるのに、感情が阻んだ。そもそもこんな目にあったのは食堂でナタナエルの言葉を聞いたからだ。


「昨日、聞いたんだ・・・・、食堂でナタが階級が上がればパートナーを変えてもらいたいって言ってるの」

「え・・・・? あ・・・・、あれはそんな意味で言ったんじゃなくて、」


 思い出したらしくナタナエルは大げさに頭を振った。


「ううん、いいんだ。分かってたから。俺はいらない人間なんだって」

「・・・・!?」


 フィリポの言葉に二人が息を呑む。


「・・・・・・・もう、いつ死んでもよかったのに」

「なっ!?」


 滅多に口に出されることのないフィリポの本音にナタナエルが目を見開いた時だった。

 ぱぁん、と鋭い音が周囲に響く。


「・・・・・・・・・・・フィリポ。怒るよ」


 頬を叩かれたのだとフィリポはしばらくしてから気がついた。見ると、怒りを顕にしたヨハネに叩かれた。ここまで厳しい顔をしているヨハネを見るのは初めてだった。

 彼の手も、赤くなっている。フィリポは何で彼が怒るのか一瞬理解出来なかった。

 けれどすぐに思い至る。


「・・・・・・・・・・・ごめん。君達は探してくれたのに・・・・。労力を蔑ろにして・・・・」


 フィリポが目を伏せると、ヨハネのため息が聞こえてきた。苛立ちが更に募ったようだ。ビクリと震える。また何かを間違ったらしい。その事はわかるのに、フィリポは何を間違ったかの検討がつかなかった。

 フィリポの体をナタナエルが背負う。


「・・・・・とにかく、一回、ゆっくり寝ろ。宿を借りてある」

「うん。・・・・・本当に、ごめん」


 フィリポはパートナーの背中で目を閉じる。ナタナエルの体温がひどく温かくて、泣きそうになった。






 ベッドに横たわったフィリポの体は所々が醜く変色していた。二人は不快げに顔を歪ませたが、彼の話を聞くとさらに嫌そうな顔をした。


「・・・・・なんだって聖都エルサレムでそんなことがあるんだ」


 備え付けの椅子に深く腰掛けナタナエルは唸る。


「エルサレムだからこそ、俺みたいなのがいるのは嫌だったんじゃないかな」


 答えるとナタナエルは益々嫌そうな顔をした。

 けれど。


「・・・・そうかもしれないね」

「は!? ヨハネ?」


 ヨハネが肯定したことでナタナエルはヨハネに食ってかかろうとした。


「フィリポを襲ったのはエルサレムの中でも低所得者層に属する人たちだと思う。出稼ぎ労働者かな。彼らにとっては、エルサレムに住んでいるということがそれだけでステータスなんだ。それでも、生活は苦しい。そういう人達は自分が最底辺じゃないと信じたいから、その為に更に下の、病人などの罪人と呼ばれている人々を見下すんだ」

「・・・・・・・そんな」

「それでなくてもこの服自体人目を引くから・・・。せめて、違う服にしておけばよかったかもしれない」


 祭司見習いである俺達の服は繊細な刺繍が施され、誰が見てもそれなりに値が張る物であるとわかる。冷静な二人に囲まれ、ナタナエルだけが信じられないとでも言いたげな顔をしていた。


「とにかく、今はフィリポの傷を癒すのが一番だね。この後1週間の旅が待ってるんだから」

「・・・・・・うん、ごめん」


 先程の怒りはなんだったのか、すっかりいつもの調子を取り戻したヨハネが優しくフィリポの額を撫でる。ナタナエルも、何かを言いたげに彼のパートナーを見たが、ゆっくり休めとだけ告げると振り返り部屋の外へ出た。

 フィリポが眠れるようにという、彼らの配慮だろう。扉の向こうからぼそぼそと話し声が聞こえてきた。何を話しているか分からないその声音は不快な色をはらんでいた。






 次の日には二人がまた松葉杖を作ってくれていたので、帰ることになり、フィリポは体中の傷を布で覆い、文字通り満身創痍で聖都を後にすることになったのだった。


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