第46話 フィリポ その5
「それにしても、ナタナエルも大変だよなぁ。足が動かない奴がパートナーだなんて」
食堂の前で、人の声がして足を止める。 知らない人の声だったら気にしないところだったのだが、同朋の声で、自分が話題に出されている為に中へ入るのがためらわれた。食堂の端にナタナエル達が果物を食べながら話をしている。
「本当だよな。ここだけの話、今回洗礼を受けられなかったら追い出されていたって話だし」
「そうなのか?」
ナタナエルの周囲に居た同期達の言葉に彼は目を丸くする。
「いくら祭司長をかばったとはいえ、足が元に戻らないってことは、あいつの信仰心が足りないのを神がお許しになってないってことだ。そんな奴を置いておけるもんか」
続けられた言葉にフィリポの胸が痛む。自分で思っていたことでも他人に指摘されると苦しかった。
「あの木の杖も、あんまり役には立ってなかったみたいだしな。結局お前らがほとんど負ぶっていただろう?」
「きつかっただろ? あいつ、小柄でも人一人背負ってここまでくるんだから」
「まぁな。ま、次期祭司長になる俺にはこのくらいなんでもないが!」
半ば本気で嫌がっているような同期達の言葉にナタナエルは得意そうな声で返す。その場で笑いが起こった。
「ハイハイ。でもさ、そんなお前のパートナーが足の動かない奴だぜ? 実はあんまり期待されてないんじゃねぇの?」
「本当に期待されてたらちゃんとした奴に配置換えされるもんだと思うけど」
冗談交じりの声にナタナエルは強い調子で返す。
「そんな訳ないだろう?! 大体、ミドルクラスの途中で配置換えなんて聞いたこともないじゃないか」
憤慨したナタナエルに周囲は納得したように頷いた。現在フィリポたちは学院の中でも中間の学年に属し、これから試験を繰り返すことでふるいにかけられていく。
「じゃあ次の昇級の時にでも変えてもらえるかもな」
「それに、あんな罪人でも世話をしてたら献身的な奴ってことで内申点着くかもしれねぇしな」
「どっちにしろ、次の昇級の時にさっさとパートナー替えしてもらったほうがいいんじゃねぇか?」
彼らの言葉が一つ一つ心に突き刺さる。けれど、反応としてはあちらが正しいのはよくわかっていた。
「そうだなぁ・・・・・」
ナタナエルもため息を付きながら同期達の言葉に返した。ぎゅ、と心臓が締め付けられたような気がした。自分のことが迷惑だろうな、とは思っていたが、やはり本人の口から聞くのは応える。財布はまた後で取りに来ることにしよう。どうせ持ち歩き用なので大した金は入れていなかった。けれど、部屋に戻っていずれ帰ってくる彼と顔を合わせるのが躊躇われて、少し考えた後フィリポは少し夜風にあたることにした。
「あっ」
宿から街道沿いに歩いていると、酔っ払った集団の足にフィリポの杖が当たり、その場に転ばされた。
「いってぇな」
不快そうに男の一人が振り返る。引っ掛けられた足をぶらぶらと揺らし眉をひそめて地面に倒れているフィリポを見た。
「気をつけろよ」
「すみません・・・」
「なんだこの杖。お前、もしかして足が動かないのか?」
謝るフィリポの両脇に転がっている杖に集団の一人が目を留めた。
「・・・ええ」
咄嗟に足を隠しフィリポは立ち上がろうとする。その胸を彼らの足が踏みつけ、再び地面に転がされてしまった。
「何だってそんな罪人がこんな所にいるんだよ。さっさと巣へもどれってぇんだ」
「あ? でもこいつ祭司見習いの服きてんぞ?」
「はぁ? 足が使えねぇ奴が祭司なんかなれるかよ。 おい、お前もしかしてそれ、どっかから盗んできたんじゃねぇだろうな」
胸を押さえつけられフィリポは苦しそうにうめいた。
「違う。俺は本当に祭司見習いだ」
苦しそうに声を上げるがまだ小さな少年である彼に男達は子供が蟻をいたぶる時のような残酷な笑みを浮かべた。
「は? ますます怪しいな」
「祭司見習いってことは、荒野にある学院から来たってことか? あそこは歩いて1週間はかかるだろうが。どうして足が動かない奴がそこからここにいるんだよ。ロバにでも乗ってきたか? まさかその杖で来た訳じゃないだろうが」
ボロボロになった杖を視線で示す。フィリポはなんとか足を外そうと両手で胸に押さえつけられた足をつかむ。
「この杖で歩いてきたんだ。本当に」
「はは、やっぱり泥棒だ。そんなんできるわけねぇだろ? 途中で砂漠もあれば川だってあるんだから」
「その時は友達に負ぶってもらったんだ」
フィリポの言葉に男たちが呆れたような声を出す。
「どうして祭司見習いがお前みたいな罪人を背負うんだよ。ったく、嘘もたいがいにしろよ」
「服だって、どこから盗んできたんだか」
言うなり、俺の服に手をかけ、それを剥ぎ取る。
いきなりの暴挙に目を丸くして拒むように手を伸ばしたが、それを逆につかまれてしまう。
「ったく、この泥棒が」
「っぐ」
持ち上げられ、腹に熱い衝撃があった。
殴られたのだと、地面に叩き落されてから分かった。 むせる彼の背中にさらに靴底の感触がし、すぐに圧力がかかる。
「どうする? こいつ。刑吏につきだすか?」
「そこまでしなくていいだろ。罪人は罪人の巣に返しておいてやろうぜ」
「ったく、罪人が出歩くなってんだよな」
「まったくだ。この聖都で神に対して不遜な輩なんか必要ないんだから」
「ま、俺らは大丈夫だろ。しっかり献金して洗礼も受けているんだし」
言いながら二人はフィリポの着ている服を脱がした。罪人にこんな物必要ないだろう、と言いながら。その間にも何度も殴られる。
苦しくて、痛くて、悲しくて仕方なかった。目を開けていられなくて閉じると面白がるようにさらに拳が降ってくる。
結局、フィリポは薄い下着一枚を残され、先ほどの病人達の集落に捨てられた。
運ぶ途中、何度も地面に擦り付けられたせいで体中が痛む。所々血が出ており、横たわると傷口がひどく痛んだ。こんな状態で眠ることも出来ず、だからといって杖もないため動くこともかなわず、夜が明け昇っていく太陽をじりじりと見つめていただけだった。
やっちゃったなぁ、と思う。
俺みたいな“罪人”は部屋でおとなしく待っていればよかったんだ。
そうして、ナタナエルの機嫌でも取っておけば、今頃は皆と一緒に学院へ帰ることが出来ただろうに。昨日から戻っていない自分を、彼は探すだろうか。ぼんやりとそんなことを考える。
探さないだろうな。
昨日聞いた彼の言葉が頭を巡る。フィリポがいなくなれば、彼には新しいパートナーが与えられるかもしれない。集団行動をする時に勝手に居なくなった場合、そのまま捨て置かれる事が多い。将来の祭司達のいる僧院では、各自自分の身を大切にするようにと教えられていた。
そうしたら、俺はここで死ぬのか。
やっと、死ねるのか。
彼の思考はますます悲観的な方向へ向かう。
ユダヤの律法では自殺を禁じられていた。だから、彼は今までどんなに蔑まれても、暴力を振るわれても黙って耐えてきた。
苦しいって喘いでも、もう嫌だって泣いても、逃げ場なんか無かった。悲しまなければいけない筈なのに、何故か彼は今安堵感を覚えていた。
日が昇ると同時に、傷が痛くて眠れなかった夜が嘘のようにフィリポは眠りへと落ちて行った。
これで、誰にも迷惑をかけないですむ。
いらない人間として、蔑んだ瞳で見られることもなくなるんだ。
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