フィリポ
第42話 フィリポ その1
ひどく、重い音がした。
祭司長の上に梁が落ちようとしていた。気がついたフィリポは頭で考えるよりも先に体が動いていた。 けして触ってはいけないはずの祭司長の腰に抱きつき、石の塊を避ける。老朽化した石の塊は彼の足に落ちてきた。
珍しく祭司長が視察のために、彼ら見習い祭司の宿舎を訪ねてきた日のことだった。
こうして、彼の足は荷物になった。
「ああ・・・・、フィリポ。この度は本当にありがとう。助かったよ」
「・・・・・いえ。祭司長にお怪我がなくてよかったです」
後日、長はフィリポの部屋を訪ね謝礼を述べる。彼は顔をそらしながら返した。まだ年幼い少年であった当時のフィリポの声は暗く、平素から明るいと言い難い少年ではあったが今は異常に悲しそうに室内に響いた。
「・・・・・どうしたんだ? 椅子に座ったままで。 足はもう、治っているのではないか?」
祭司長はそばに仕えていたフィリポの担当教官の方を振り返った。彼もフィリポ同様に唇を噛み締め俯いていた。
「・・・あの、・・・・それがですね。 彼の足は、その・・・・、どうやら、二度と動くことはなさそうです」
「・・・・・・・は!?」
教師の言葉に長は声を荒らげる。歳の割には威勢のいい彼にフィリポは震える声で続けた。
「・・・感覚が、ないのです。持ち上げようと動かしても、動かない」
「・・・・・・・・・・」
その時の彼のなんとも言えない表情をどう表したらいいのか、当時のフィリポには検討もつかなかった。
ただ、何を考えているかはぼんやりとわかる。 神は信仰心が足りない者に罰を与えると伝えられていた。
罰は体の不調として現れる。
彼の足は、俺の神様への信仰心が足りないために、罪として再び歩くことが出来なくなった。 神を讃え、祭司になることを目標に日々を生きるこの学院にそんな“罪人”はいてはいけない。
祭司には、五体満足の“完全無欠”の人間しかなることは出来ない。
だからもう、フィリポには祭司になる資格などない。
そういった事を考えているのだろう。何かを計算するように祭司長は目を細めた。蛇のようだ、と失礼ながらにも考えてしまった。
それなのに、彼らは俺が学院に見習いとして居続けることを許した。
最初は彼らの慈悲だと思っていた。
けれど、次第に分かってきた。
当時の祭司長は、権力闘争によりその座を脅かされていた。 彼はフィリポを外にだすことで、フィリポが敵対勢力に利用されることを恐れていた。 足の動かなくなった彼は、それでも祭司長を助けたのだ。
祭司は祭司の子供しかなることが出来ない。フィリポも、さびれた漁村の祭司の子供だった。 けれど、両親ともども既に亡くなっている為、身寄りがない。ここを追放されたら行く場所なんかない。 待遇によっては彼に対して反旗を翻すだろうな、とフィリポ我ながら思った。
祭司長のせいで足が動かなくなった犠牲者として反祭司長派の広告塔になることで餓えなくてすむのなら、もしかしたらそちらにつくかもしれない。
だからだろう。彼は生かさず殺さずの位置でフィリポをここに留め続けている。
なぁんだ、とフィリポは思った。
聖書には、人と助け合って生きていけ、神を敬え、そうすれば天国に行けると書かれている。 なのに、それを実践してきた彼にもたらされたのは動かなくなった足と、じんわりとした絶望だった。
人間なんて結局、こんなものなのか。
そう思った時、彼の心にぽっかりと穴が開いた。
「グッモーニンフィリポ! 今日も新しい朝が来たよ!」
窓から差し込む白い光と、同級生の元気のいい声に起こされ、フィリポは眠い目をこすりながらそちらを見た。
同級生のヨハネだ。彼はなにやら興奮した面持ちで木で出来た杖を二つ持って立っていた。普通の杖とは違い、杖のてっぺんのほうが二股にわかられて、先の方に棒を渡し三角形に止められている。
「・・・おはよう、ヨハネ。それは何?」
静かなフィリポの声にヨハネは得意そうな顔をして答えた。
「これは松葉杖という、リハビリ用具さ!」
「松葉杖?」
フィリポは首を傾げる。
皆に優しく快活な同級生がまた奇行を始めたのかと思った。
「フィリポは左足は全く動かなくても、右足は動かせるんだろ?」
「うん」
右足をふらふらとさせて見せると、ヨハネはフィリポを布団から抱き起こし自分につかまらせて立たせると、脇の下にその二本の棒切れを入れた。
その杖と右足により、立つことが出来る。
「・・・・・・・・あ」
「やっぱり、これで立てたね!」
「うん・・・、すごい」
内心の興奮とは裏腹に彼は静かに微笑んだ。彼は感情が表に出るタイプではない。特に足が使えなくなってからは一人で行動するのが難しくなったので波風を建てないように感情を表に出さず、いつも笑顔を作っていた。それが彼の身を守る術だったのだ。
「それでね、えっと、移動するにはこうやって、こう」
ヨハネはフィリポの反応が薄い点については気にした様子もなく使い方を教える。
「ふむふむ・・・、えい」
言われたとおりに足と棒を動かすと一瞬彼の体が宙に浮き、前進した。
「すごい! 歩けた!」
興奮してヨハネの方に移動する。
「これは、どうしたの? 街のほうででも手に入れたの?」
「うーん・・・、まぁ、そんなところかなぁ」
フィリポの視線にヨハネはどこか気まずそうに顔を逸らした。
「ほら、今日から俺達は巡礼に出るだろう? これで君も一緒に行ける。 洗礼を授けてもらえるよ」
「あ・・・・、本当だ。すごい」
ヨハネ達は今日から洗礼を受けるために荒野にあるこの学院からエルサレムへと旅をすることになっていた。ラクダや馬は貸してもらえず、歩いて旅をしなければならないため、足の動かないフィリポは今年も参加できないものだと思っていた。
洗礼を受けることで日頃犯している大小様々の罪を清めてもらう。 一昨年足が動かなくなってから参加できなくなっていたフィリポは二年分の罪がこの身に蓄積している事になっていた。
学院の中では椅子に大きな車輪をつけたもので移動をすることは出来るものの、それで旅をすることは出来ない。ちなみに、この椅子はヨハネによって開発され、彼は車椅子と呼んでいた。
「さすがヨハネだなぁ・・・。上の人達が皆君に期待している理由がよく分かる」
「ん・・・・、そうでもないよ」
素直なフィリポの言葉にヨハネは気まずそうに返す。学院に入った頃は中ぐらいの成績だったというのに、ここ数年で頭角を現してきた彼は将来を羨望されていた。
「そうだ! 俺の方が次期祭司長には相応しいんだからな!」
バタン、と勢い良く扉が開いた音と同時に、先程のヨハネに負けず劣らずの朝から元気のいい声が響いた。二人が振り返ると、フィリポのパートナーであるナタナエルが立っていた。 彼らの学院は通常二人一組でパートナーを組み、お互いに助けあって日々の繁務をこなしていく。一方的にヨハネを敵視している彼も、入学当時からの頭の良さや人望から上の人々から目をかけられていた。
「あ、ナタナエル。おはよう。どこに行ってたの?」
彼がヨハネを敵視しているのはいつものことだったので気にせずフィリポはのんびりと朝の挨拶をした。
「いつも通り朝の修練の為に外に出ていた! ・・・・じゃなくて、なんでヨハネを俺達の部屋に入れてるんだ!」
フィリポとナタナエルは二人で一緒の部屋だった。ナタナエルは渋面を隠そうともせずヨハネを指差す。ヨハネは苦笑して肩をすくめた。
「え? 駄目なの?」
「当たり前だ! いいか! ヨハネは俺のライバルだぞ!?」
首を傾げるフィリポにナタナエルは胸を張って告げる。一方的にナタナエルが言っているだけで、ヨハネは相手にもしていない。
フィリポはきょとんと目を丸くして首を傾げた。
「でも俺には友達だよ?」
「いや、俺にとっても二人は友達なんだが・・・」
ヨハネの冷めた言葉にナタナエルは彼の方を振り向く。
「余裕だな、ヨハネ! そうやっていられるのも今のうちなんだからな! 絶対次の試験では俺の方がいい成績を出してやる!」
「あー、うん、がんばって」
彼は本当に試験の点数に興味がないようで無感動に返した。試験の点数だけでなく、彼が何かに興味を示すところをフィリポは見たことがなかった。
「そうして、次期祭司長には絶対に俺がなってやる! 顔良し! 性格良し! 頭良し! 次期祭司長には俺を除いて他にいないだろう!」
「・・・・・・・・・・顔はともかくとして、他はどうかなー・・・」
ふんぞり返るナタナエルにヨハネがそっぽを向きながら返す。
確かに、彼は明るい色の髪と人形のような顔を持ち、それらに裏付けられた自信あふれる性格の為キラキラと輝いているような錯覚を抱く。この、男しかいない学院の中で彼の綺麗な外見はとても人目を引き、同級生だけでなく下級生からも慕われていた。
「な! 俺は性格もいいよなぁ! なぁフィリポ!」
ナタナエルはフィリポを振り返る。フィリポはいつも通りの笑顔で返した。
「うん。俺はナタナエルはいい性格していると思うよ」
「・・・・・・いい性格って・・・」
ふふ、とヨハネが吹き出す。気がついていないのか流すことにしたのか、ナタナエルは満足そうに頷いた。そして、フィリポの両脇にある杖に目を留めた。
「そう言えば、フィリポ。それどうしたんだ?」
「これ? 松葉杖っていって、ほら、こうして歩くことが出来るんだ」
もたつきながらも2、3歩歩いてみせると、ナタナエルは目をパチパチとさせ、満面の笑顔でフィリポの肩をつかんだ。
「すげぇじゃねぇか! よかったな、フィリポ! これで洗礼も受けられる!」
「うん。・・・・・・・・ヨハネが作ってくれたんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
一瞬でナタナエルの顔が気まずそうに曇る。
フィリポは苦笑してナタナエルの肩を叩いた。
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