第39話 「ペテロ」 その8


「そんな訳でとうとうやってきましたよこの日が・・・」


 アンデレはテスト会場である食堂で魂の抜けたような顔をしてひっそりと佇んでいた。周囲には先輩の教団員達が同様に顔を青くして立っている。


「結局一切覚えてないな」


 何故か兄の方はというと堂々と立っており、緊張の色は一切なかった。


「つか・・・、え?まじで今日?」

「俺の記憶違いでなければ」


 はぁ、とアンデレはため息をついた。


「あー・・・・、マジ面倒」

「もう今更本を見る気にもなれねぇなぁ」


 緊張していないのは諦めているからなのだろう、アンデレは遠い目をした。

 ふいにドアがけたたましい音を当てて開き、イオアンとイアコフが入ってきた。


「アンデレ、バルヨナ!ちょっと来るです!」

「え? 何かあったんですか?」

「いいから来るです!あぁもう、面倒なことになったです!」


 二人に引きつられて来た場所では、司祭が顔を赤くして待っていた。

 その隣にイエス達もいる。困ったように眉尻を下げ司祭を見つめていた。


「この男は安息日に働いたこの女の子どもを咎めるどころか、癒したというが、本当か?」

「はぁ!?」


 いきなりの言葉にバルヨナは驚いた声を出した。


「でも、あれは放っておいたら子供が死ぬから・・・」

「やはり、働いたというのか!?」


 アンデレの弁明に司祭は憎らしそうに背後を見る。そこには昨日イエスに助けを求めに来た女性と息子が縄に捕らわれていた。


「お前どうしたんだ?!」

「この女の子供がそもそも安息日に働いたこと自体が間違いなんだ」

「っ・・・それは・・・」


 悲しそうに女性は息子を見る。子供はすっかり怯えきって震えていた。


「お前はそれを容認して、尚且つ傷まで癒したと言うではないか! これは神に対する冒涜である!」

「さっきからこの調子です」


 面倒くさそうな態度を隠しもせずにイオアンは司祭を指す。


「・・・・・でも、その人が熱を出したから・・・」

「そんなの家でひっそりと我慢しておけばよかったんだ! 第一、薬くらいきちんと備えておけ」

「税を払ったせいで、薬に割くお金なんてなかったんです! この子は、苦しんでいる私を見て、いてもたってもいられなくて・・・・」

「知るか! 金が足りなかったのはお前の努力が足りなかったんだ! 病気になったのも信仰心が足りなかったからだ!」


 神は不信心なものに罰として病や怪我を与えると信じられていた。女の顔が青くなった。


「・・・・・・・・・そんな・・・・」

「じゃあ、俺達は瀕死の子供がいるのに放っておけばよかったのか!?」

「それが神の下した罰だ!第一、律法を破るような子供は罰を受けても仕方ないだろうが!」


 司祭の言葉にイオアンが鼻を鳴らす。


「律法は人間のためにあるものです」

「その律法で人が殺されるのはおかしいです!」

「ヨハネ様もそう言っていたです」


 胸を張る二人に司祭は眉をしかめた。


「・・・律法が人の為? 何を言う! そもそも神は人が罪を犯したからこの地に落とされたんだ! 律法は私たちがこれ以上罪を犯さないための戒めだ! 第一、ヨハネなど罪人の名前だろうに。そうやって安息日を軽く扱っていたから神の罰を受けたんだ!」

「!」


 この場の事を知らない司祭の言葉に一同が息を呑む。


「・・・・・・なっ!? あの人は罪人じゃねぇよ!」

「それに、あの人はその罪を洗礼で浄化して・・・・・・・・・・、あ」


 バルヨナはそこまで言って目を瞬かせる。彼の気付いた点に弟も気付き、息を飲む。確かにヨハネは律法は人のためにあるものだから、安息日に働いたことを気にしなくていいとおっしゃって下さった。けれど、その後、彼はその罪を洗礼により浄化していた。

 罪は罪として扱っていたのだ。

 この理論は洗礼が出来、その洗礼が説得力を持って語られる彼だったからこそ語れる理論だったのだ。

 アンデレとバルヨナは顔を見合わせる。

 洗礼の行える彼がいない今、そんな言葉は通用しない。


「・・・・・・・・・・」


 拳を握りしめる。司祭は言い返さない彼らをふん、と鼻で笑った。


「・・・・・・ならば聞きたい。神が安息日に禁じたのは善をなすことか?悪をなすことか?」

「何を馬鹿なことを言い出すのかと思えば・・・・。そんなの決まっている。悪をなすことだろう」


 イエスの言葉に司祭は訝しげに答えた。


「そうだね。それでは、瀕死の人を見捨てるのは善か、悪か」

「・・・・・・・・っ!?」


 これには司祭も面食らった顔をした。答えは明白であり、先ほど自分が答えたことと合わせると、安息日にイエスがやったことを認めることになるからだ。ぐ、と司祭はイエスを睨み、それでもそれ以上は何も言うことなく踵を返した。


「・・・・・・・すげぇ! すげぇ!」

「・・・・・・そうでもない。ほとんど、君たちが先ほど言っていたヨハネ様の言葉を言い換えただけだし」

「それでもすげぇ!よくあんな理論が思いついたな!」


 答えに困ったようにイエスが笑う。


「・・・・・・・・本当に、スゴイです」


 イオアンとイアコフはお互いに顔を合わせ、頷きあった。


「ヨハネ教団は解散するです!」

「僕たちはあなたについていくです!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!!!!!!!!!!!?????????」


 いきなりの展開に信者たちは固まる。


「ヨハネ様のお言葉は不思議な力が使えるあの人じゃなきゃ意味を成さないものでした」

「でも、あなたは違う。あなたは不思議な力が使えて尚且つ言葉が意味を持つ」

「ヨハネ様が救世主って言っていた理由がよく分かったです!」


 二人はイエスの手を握りまくし立てた。

 呆気にとられるしか無い信者たちの中で一番に回復したのはバルヨナだった。


「・・・・・・・・あの、じゃあ、俺達は・・・?」

「好きにするです」

「やったぁ! これで俺達テスト無くなったぞアンデレ!」

「そういう問題じゃねぇええぇえぇえ!」


 兄の見当違いな言葉にアンデレの拳が飛ぶ。


「・・・・・あの、本当にちょっと待ってくれ」


 今まで黙って事の成り行きを見ていたユダが口を挟む。


「さすがにそれは・・・・、他の者に対して無責任なんじゃ・・・」

「僕達に付いて来たかったら付いてきていいです」

「早速そう話してみるです」

「・・・・・・・・・・・・・」


 彼らの動きの速さにイエスも何も言えず、集会所へ行く彼らの背中を見守るしか出来なかった。


「・・・・・なんでだろう」

「私も知りたいです・・・・」


 イエスの言葉にユダも頷く。


「取り敢えず、追いかけるぞ!」


 バルヨナは二人の入った集会所へと歩を進める。

 後を追うと、そこでは今からテストを受けるはずだった人たちの前で高らかに宣言をしていた。

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