第36話 「ペテロ」 その5

「マジで滞在するのかよ…」

「うん」


 ヤコブのうんざりした声にイエスが頷く。

 短い付き合いだが、なんにでも文句を言うヤコブもイエスにだけは文句を言わず黙々と従っているようだった。彼は溜息をつくだけでそれ以上何も言わない。



「あの・・・・、僕たちも経典を覚えなきゃいけなくなるんですか?」

「いや・・・、それは知らないが」


 シモンの言葉にアンデレは視線をそらす。

 覚えなくていいのならば彼らが羨ましい。


「え~・・・と、俺は門番とかの体育系がいいんだが」

「そういう問題なのか・・・?」

 

 覚えたくないのは彼も一緒なのだろう、タダイの言葉に眉尻を下げた。


「イエス様! どうしてこんな所に滞在することになったんですか!?」

「・・・こんな所」

「う~ん・・・・、嫌だったから、かなぁ」

「は?」


 普段、ヤコブ同様イエスには従順なユダが声を荒げる。

 イエスはおっとりと返した。


「私はね、あの人の言葉のおかげで救われたんだ。だから、これは彼への恩返しでもある」

「・・・・・・・・・はぁ」

「・・・・・・・本当にそれでいいのかよ」


 ぼそり、とヤコブが返す。


「どういう事だい?」

「そのまんまだよ。くそ、この構図気にいらねぇな」

「熱心党の頃と同じだからな」


 ヤコブの言葉にユダが頷く。


「熱心党?」


 熱心党と言うと、ティベリウスのほうに本拠地があるテロリスト集団である。ローマからの独立を歌い武器を集め決起の時を狙っていると言う噂である。


「お前ら、熱心党の奴らなのか?」

「あ・・・・・ああ」


 アンデレの言葉に言いにくそうにユダが頷く。アンデレはまじまじと彼らを見る。噂に名高い集団だったが、本物を見るのは初めてだった。思ったより怖くない。


「で、構図がどうだって言うんだ?」

「客寄せなんだよ。イエスが!」


 吐き捨てるようにヤコブが答える。


「・・・・・・・・・・は?」

「熱心党もヨハネ様を引き入れようと考えていた。けれど、熱心党とヨハネ様の考えは全く違うものだ。それなのに、何故引き入れようとしたのか」

「・・・・・・・客寄せのため、か?」

 

 不親切なヤコブの言葉をユダが解説する。


「ああ。あの人達にとってヨハネ様という人間自身がどんなことを考えているかなど関係なかった。それよりも、彼の人気のほうに存在価値を見いだしたんだ」

「ヨハネが内部にいれば貴族達からの献金も増える。市民からの支持も増える。あいつらが欲しかったのはそこなんだよ」

「・・・・・・・・私には、今回もそのように見えてならないんだ」

「・・・・・・・・・・・」


 違うと言えなかった。何と返して良いものか測りかねて黙っていると、言葉は予想外の方向から返ってきた。


「それの何がいけないんだい?」


 振り返ると、マタイがにやにやとした顔でユダとヤコブを見ている。彼の横やりにヤコブが目に見えて嫌そうな顔をした。


「お前は、イエスが客寄せに使われていいと言っているのか?」

「イエス様がそう望んだんだ。私はそれについていくさ」


 マタイが言い、イエスに視線を送ると彼は苦笑した。


「まったく、熱心党と言うのはどんな温室なんだい? 純粋培養すぎて驚いてしまうよ」

「どういう事だ」


 意地悪な色を含む兄の言葉に弟が眉根にシワを作る。


「組織運営っていうのはシビアなものだよ。蜂起のためだけじゃない。君たちが食べていく物、着る物、それらを購うためにそりゃあお金がいるだろうさ」

「・・・・・だから、熱心党を維持するためにヨハネ様が客寄せに使われても良かったと言いたいのか?」


 ユダの言葉にマタイがしれっと返す。


「だから、それの何がいけないんだい?」

「・・・・・・・!?」

「君たちの最終目標はローマを倒すことだろう? その為に有効な手段があるなら使えばいいだろうに」

「・・・・・・・・けど、あの人は・・・」


 なおもユダは嫌そうに返す。


「そこが純粋だって言っているんだよ。悪い事じゃないけどね。でも、君が純粋でいるのは熱心党にいる時だけにしてもらいたいな」

「おい、マタイ!」

「お前もだよ、ヤコブ。君たちは金に対して潔癖すぎるようだ」

「・・・・・・・・んだよ、それ」


 兄はふぅ、とため息をつく。

 険悪な空気が場を支配していた。マタイは気にせず弟に向かって人差し指を立てた。


「熱心党の傘に守られている内はそりゃあこういうやり方を嫌悪していればいいさ。けどね、実際にここにいて、ヨハネの思想を広げていく為にはまず本部が必要になるよね。その維持費に信徒達の食事。そうそう、信者達に勉強させる為に教典も作らなければいけない。つまり、組織運営にはお金がかかるんだ。自給自足で生活していければいいけれど、彼らの最終目的はヨハネ教に人々を引き入れる事だろう? だったら布教をしていかなければいけない。それならば献金は大歓迎だ。そしてその為に客寄せになる人間がここにいる。それを利用することはそんなに悪いことかい?」


 イエスの前だというのにぐさぐさと言う彼にアンデレは目を丸くしていた。一番彼を慕っていると思っていたのはマタイだったのに。言われたイエス自身は苦笑しているのみだったが、ユダとヤコブは心底嫌悪しているような顔で元取税人を見ていた。


「第一、ローマに対しての税金も払っていない君たちがそうやって非難していても、私には綺麗事にしか聞こえない。せいぜいが、お金のことで苦労したことなんてないんだろうな、って思うだけさ」

「・・・・・・・・・・っ!?」


 痛いところをつかれたようでユダは息を呑んだ。


「税金も払っていない?」


 マタイの言葉に首をかしげると、彼はこちらを向き直った。


「熱心党の奴らはローマに対して税金を払っていないんだ」

「は? 許されるのか? それ」


 以前の暮らしを思い出す。稼いだ金のほとんどをローマの奴らに取られてしまい、俺たちは残った僅かな金でなんとか生きていた。当時の俺の頭の中はというと、ひたすら金のことを考えていたし、どうにか楽な抜け道がないかと心の何処かで求めていた。

 だから、イオアン達の言葉ややり方にも「仕方がない」と納得していた。


「あの武装集団だからね。下手に手を出せないんだよ。それをいい事に熱心党は税金を払わない。この地方でお金を払わないのは、熱心党と死人くらいだよ」

「・・・・・・・・・・」


 なんとなく、アンデレは彼らをズルいと思ってしまった。あの苦労を知っているからこそ、先程までの彼らの言葉がマタイの言うとおり綺麗事に思えた。


「・・・・・・・・・だから、何だ」

「君たちの理論で言うと、そもそも払う方がおかしいとでも言いたいんだろうけどね。誇り高きユダヤの民が異教徒なんかにカネを払うなんて。・・・・・それでも、他の人たちはきちんと払っているんだよ。ヨハネが救いたいと言っていた“貧しき人々”すらね。彼らは税を取られたら、生活が出来なくなる人もいるのに。君らはそういう苦労もしていない癖に金儲けをすることに対して批判を言っても、こちらからしたら噴飯ものなんだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・」


 ユダもヤコブも、まるで毛虫を見るような顔をしてマタイを見る。しばらく重い沈黙が降りたが、先に動いたのはユダのほうだった。


「好きにしろっ!」

「お、おい、ユダ・・・・!」


 踵を返しその場を後にするユダ。ヤコブは舌打ちをしてユダを追いかけた。

 二人がいなくなり急に場が静まり返った。


「・・・・・・・・うわぁ。すっげぇ、嫁姑戦争みたい」

「マタイ・・・、少し言い過ぎじゃないのかい?」

「でも、これでここに留まれることになりましたね」


 イエスが咎めるのにニッコリと笑ってマタイが返した。


「・・・・・そこまで計算してたのかよ」

「まぁ、それもあるけど・・・」


 マタイは微妙そうな顔をしてそっぽを向く。


「・・・・・・・・・・・俺、なんとなくお前が弟と仲良く出来ない理由が分かったような気がする」

「あはは、いやぁ・・・、ついつい、」


 先程の刺々しい空気はどこかへ行き、いつもの取っ付き易い彼がいた。


「程々にしておいたほうがいいよ・・・。結構本気で怒ってたようだし・・・」

「そうですね。今後気をつけます」


 ふぅ、とイエスがため息を付いた。聞き入れる気があるのか、マタイはにこにこと流した。


「それにね、マタイ。・・・・・・・私は客寄せにはならないよ。あの人のようなカリスマ性はないから」

「・・・・・・・・・そうですか?」

「うん。あの人は本当にキラキラしている人だったから」


 懐かしむようにイエスが目を細める。確かに、彼は身なりは見窄らしい上にラクダを被っているような訳のわからない格好だったが、性格からくるものだろうか、輝いているような覇気を持った人間だった。


「・・・・・・・・私にとって、あなた以上に輝いている人はいませんよ」


 心から言うようにマタイが答えた。じっとイエスを見つめている。


「・・・・・・・え、あ、そ、そうかい?」

「ええ。あなたは私の僥倖ですから」

「えっと・・・、その、ありがとう・・・・」


 頬を赤くして俯く。一体何があったというのだろうか、マタイはイエスだけは特別に慕っているように見えた。


「・・・・・・それにしても、ユダ様大丈夫ですかね」

「あー・・・、あいつは特別ヨハネと仲良かったようだしなぁ」


 シモンとタダイが心配そうに二人の行った先を見つめている。


「お前たちは反論はないのか?」

「反論?」


 二人にアンデレが尋ねると、元熱心党の残りの二人は首を傾げた。


「・・・・・・・・・いや、熱心党について結構言われたじゃねぇか。身内だったらああやって怒るもんじゃないかなぁって」

「・・・・・・・・・いえ、僕も実際、あそこを温室だと言われてそうかも知れないと思ったので」

「へ? そうなのか?」


 バルヨナが目を丸くした。


「・・・特に僕は、物を知らないので。・・・・・・・・・・・税金についてすら、そんなに苦しいものだとも知らなかった」


 シモンが俯く。タダイは続けた。


「俺は・・・、言いたいことって言うか・・・。問題がすり替えられたとは思ったが」

「バレてたか」


 タダイの言葉にマタイは舌を出す。


「俺達が税を払ってないくせに非難することと、今のイオアン達のやり方の是非については別の問題だろうな、とは思ってた。あの剣幕に割って入れなかったから何も言えなかったし、第一俺もイエス様がここに居たいんならいいと思うし」


「そうか」


 出ていった二人と違ってタダイは外見に似合わず平和主義らしい。

 そんな彼らの姿にバルヨナが首を傾げた。


「・・・・なぁ、ずっと思ってたんだが、なんでお前らそんなにイエス第一主義なんだ?」

「あ、それは俺も思った。ユダもヤコブも嫌なら今だけでも街で暮らせばいいのに」


 二人の兄弟の言葉にマタイは笑った。


「ユダはそれはしないだろうねぇ。ヤコブはどうするかわからないけど」

「だから、何でそんなにするんだ?」

「ヨハネ様がイエス様は救世主って予言したからです」

「え!?」


 確かにヨハネは彼のことを重要人物だと言っていたがそこまでとは思わなかった。

 今の時代、救世主はユダヤの民全員が待ちわびていた。タダイも頷く。


「実際にその予言を聞いたのはユダらしいけどな」

「・・・そうなのか?」


 アンデレはヨハネはVIPが来るとか言って彼を出迎えていた事を思い出す。彼にはそういう言い方をしたのに、何故ユダには救世主だと言ったのだろう。もくもくと、心の中に不快感が湧き上がる。

 それが嫉妬なのか不満なのかは本人には判断がつきかねた。


「ユダ達は、その予言を信じて私に会いに来てくれたらしいんだ。・・・・私自身は、正直あまり実感がわかないけど」

「確かに、そんな感じしねぇもんな」

「ちょ! おま!」


 笑っていうバルヨナにアンデレは慌てて黙らせる。


「いや・・・、その通りだよ」

「・・・・・・・まぁ、外見で判断するなら最初は私もあまりいい印象はなかったけどね」

「・・・・・・・・やっぱり」


 マタイの言葉にイエスが苦笑する。シモンは慌てて伝えた。


「・・・・・僕には神々しく思いましたよ!」

「うん・・・・、ありがとう・・・・」


 落ち込む彼を複雑な気持ちで眺める。確かに、ヨハネの予言を聞いた今でもその言葉はいまいち信じにくかった。





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