第33話 「ペテロ」 その2

「こっちからシモン君とタダイ、ユダにイエス様、そしてこの子が弟のヤコブだ」


 彼に紹介されて見た顔の中に、アンデレは見憶えのある顔を発見した。

 ヨハネが大物と称した男だ。


「あ、あんたは」

「・・・ああ、貴方達か。元気だったか?」


 男はアンデレたちを見て微笑んだ。確かイエスと言ったか。

 前に会った時に感じた頼りなさげな雰囲気は無くなっており、変わりに緩やかな安心感を覚えた。


「あ」


 さらにその隣にいた人物もアンデレを見て小さく声をあげた。イエスを捜していると川のあたりを訪ねて来た男だった。どうやら無事に会えたらしい。


「ユダ、知り合いかい?」


 二人の様子を見てマタイが尋ねる。ユダは頷いた。


「ヨハネ様を訪ねた時にたまたまお話を聞かせてもらった人です」

「ああ・・・・。ヨハネ様が処刑をされてしまった時にちょっとな・・・。あの時はすまなかった・・・。気が動転してて・・・」


 ユダの言葉にアンデレも返す。隣でバルヨナが驚いたような顔をしていた。


「いや、仕方がないことだろう。私も今思うと普通の精神状態じゃなかったから」


 ユダの苦笑にアンデレも笑みを返す。彼は普通に見えたのだが、やはり堪えていたのだろう。

 二人の間に流れた重たい空気を蹴散らすかのようにマタイは数度手を叩き、快活な声を上げた。


「さぁ、早速飲みに行こう!イエス様、ユダ、タダイにシモン君にヤコブ! 行くだろう?」

「・・・・・行かねぇ」


 即座にヤコブが返す。なるほど、面倒くさい、とアンデレは内心納得した。


「えー、空気の読めない奴だなぁ」

「・・・・・・っ」


 苛立ったようにヤコブの眉根にシワが寄る。けれどマタイは上機嫌でバルヨナたちの方を振り返った。


「じゃあいいや。さ、君たち食べに行こう!」

「・・・・おい、シモン、他ん所食べに行こうぜ」

「え!? ぼ、僕もですか・・・!?」

「ほら、さっさと来い!」


 言うなりヤコブはシモンの手を引いてさっさと歩いていく。なるほど、確かに彼が一番の被害者のようだ。

 心の中で彼に同情しつつ、残った人たちと食事に行くことにしたのだった。







「なるほど、じゃあ、ヨハネ様の弔いをしたいというのはそっちのイエスっていう奴か」


 もぐもぐとバルヨナは口に物を入れながら言う。バルヨナの問いにユダが答えた。


「ああ。私の方も、結局彼を弔うことが出来なかったから是非行きたかったんだ。・・・・彼の意思を受け継ごうとしている人がいるようで嬉しい」

「・・・・・・・あー・・・、まぁ・・・」


 彼のまっすぐなまなざしにアンデレは目を逸らす。そう言う言い方をされると何故か違和感を感じた。

 明後日までの宿題を思い出し憂鬱になる。点数が低かったらどうなるのだろうか。


「聞いた話だと、ヨルダン川での洗礼も今も続けているんだろう? 私は彼に洗礼をしてもらったことはないが、きっと市民の助けになっているんだろうな」


 ヨハネのしていたように洗礼を施すことは教団が彼の処刑後にすぐに始めたことだった。


「へぇ、そうなのか? なら俺もしてもらおうかな」


 大男であるタダイが上機嫌に言う。見かけは厳つくたくさんの傷跡を持ち恐ろしい彼だったが話してみるとこの集団の中で一位二位を争うほどに穏やかで話しやすかった。


「そうだな。明日寄ってみるか」

「なら俺たちが案内してやるよ。教団の中まで一応知っているしな!」


 ユダの言葉にバルヨナが胸を叩く。


「ああ。そうしてもらえると助かる。イエス様もそれでいいですか?」


 ユダはイエスに向き直る。おっとりとした男は緩やかに頷いた。








「へぇ、結構盛況のようじゃないか」


 次の日、朝から移動してヨルダン川に行った。朝から洗礼を待つ人の作る列を見ながらユダがつぶやく。


「ああ。とはいえ、ヨハネ様が生きてらっしゃった頃にはもっと沢山の人がいたんだけどな」


 アンデレが答える。彼らはその洗礼を更に近くで見る為に近づいた。


「・・・・・・なんつぅか、本当にここの水で洗礼になるのか?」


 宗教儀礼には従うが信心深さの足りなさそうなヤコブはいぶかしそうに目の前の光景を眺めていた。


「信じないものは救われないよ、ヤコブ」

「・・・・じゃあお前信じて洗礼受けてこいよ」


 したり顔の兄に弟はぐったりした顔をして返す。


「そうだな。一緒に行くか。そうしたら少しは素直な弟が戻ってくる気がする」

「最初からそんな奴はいねぇよ!」

「ははは、照れるなって!」


 ヤコブとマタイのじゃれ合いにバルヨナがのっかる。バルヨナはアンデレの方を振り向いた。


「そうだ、アンデレもついでに洗礼を受けてきたらどうだ? 最近俺を見る目がちょっと冷たいし!」

「・・・・・最近と言わず前々から白い目で見ていたが」


 第一、洗礼を受けたからといって性格が変わるなんてそんなわけがない。


「でも、僕も少し興味あります。受けるにはどうすればいいんでしょう」


 シモンの言葉にバルヨナは胸を張った。


「おとなしく並ぶ。その際くれぐれもその時水の中に入って自分にしてくれと順番を飛ばさない」

「・・・・・・・・・んな事するのはお前くらいだ」


 

「・・・・。と、とりあえずあそこに並べばいいんですね!」

「俺も行ってみるか」


 シモンとタダイが列の最後尾に並ぶ信者を指差す。ふとヨルダン川にかかる橋の方に視線を移すとイオアンとイアコフがいた。

 彼らはこんな所まで視察に来ているのか。

 二人は洗礼を終えたらしい男に話しかける。


「洗礼を受けたですか?」

「悔い改めたですか?」

「ええ・・・。あなたがたは?」


 男は不思議そうな顔をして身なりの良い二人組を見返す。

 

「僕たちはヨハネ様の一番弟子だった者です」

「彼の意思を受け継いで洗礼をしているです」

「なるほど。それはとても有難い事です」


 にこにこと男が答える。


「でも今はヨハネ様の教団はとても財政が苦しいです。あの方が生きてらっしゃった時には貴族からのご寄付もたくさんいただけていたですが・・・」

「このままじゃ僕たちは解散するしかないです」


 二人が悲しそうに顔を伏せる。どこまで本当なのかとアンデレは眉をひそめた。あの二人が解散を考えているなんて信じられなかった。


「・・・・・・・・・それはそれは・・。残念ですね。そうだ、少ないながらも私もお布施をさせていただきましょう。洗礼を受けさせていただいたお礼に」

「わぁ!ありがとうございます!」


 通行人から布施と言う名前の金を受け取る二人。

 ちゃんと金を持っていそうな人を狙って声をかけているところに策略めいたものを感じた。

 ユダが隣でそれを見て眉をしかめた。


「・・・・・・あれは前々からやっているのか?」

「・・・・・知らなかった」

「まぁ、してもらったことに対価を返すのは間違っていないだろ」


 アンデレの回答にマタイは当たり前のように頷く。


「・・・・・・・・・・けれど・・・」


 ユダは二人を見て唇をかむ。思うところがあるのだろう。

 彼は何も言わずにシモンとタダイのほうへ足を向けた。

 そこでは受付が設けてあり、洗礼を受けるための服を購入しなければいけないようになっていた。


「・・・・・あの方の洗礼には、特別な服は必要だっただろうか・・・」

「私の時はそのまま中にはいっていたけど」


 ユダの言葉にイエスが返す。後ろから元気のいい声がした。


「配慮です!」


 いつの間にかイオアンとイアコフが背後に立っていた。


「そのままの服で中に入ったら洋服が乾くまで大変です」

「だから簡単な服を用意して着てもらうです」

「これにより、洗礼を受けたらわざわざ服を乾かさなくてもすぐに家に帰れるです」

「画期的なシステムです」


 えへん、と二人が胸を張った。

 ユダが眉をひそめる。一瞬目に白いものが混じったような気がした。


「よければお前たちも受けるです。心が洗われるです」

「・・・・・・・・・・」


 ユダは目をそらし洗礼の方を再び見つめた。

 イオアンたちはバルヨナ達に目を移した。


「アンデレにバルヨナ! そういえばお前たちはなんでこんな所にいるですか?」

「勉強はすんでるですか? ちゃんと彼の教えを理解しなきゃいけねぇですよ」

「あ・・・・、この方々がヨハネ様の弔いに訪れたいと言っていたので・・・」


 二人の言葉にアンデレはマタイ達を示した。元取税人という彼は他の人間に比べたら身なりがいい。二人共満面の笑顔を浮かべた。


「ヨハネ様の、ですか? それはよくいらっしゃいましたです」

「彼を弔っている場所はここからちょっと遠い場所にあるです。アンデレたちに案内してもらうがいいです」

「あなた達は?」


 にこやかにマタイが微笑む。二人は意気揚々と自己紹介をした。


「ヨハネ様の一番弟子で、今の教団の頭です」

「僕はイアコフ。こっちが弟のイオアンです」

「なるほど・・・。私はナザレのイエスだ。あの方には洗礼を授けていただき、とても有り難いお言葉を頂いた。是非とも弔いをしたいと思っている」


 二人の言葉にイエスが答える。


「うんうん、あの方は洗礼をするだけじゃなくて素晴らしい説法もなされていたです。僕もよく感動してたです」

「是非とも弔いをしていって欲しいです。あ、ご寄付があるならアンデレにでも渡しておいて欲しいです」

「・・・・・」


 言うと2人は踵を返し洗礼の様子を見に行く。アンデレはあっけにとられて二人の後ろ姿を見つめていた。

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