第30話 「マタイ」 その7
「・・・・・・・そういう事だったんだな」
「ああ・・・・。くそ、あのジジイ」
廊下に出て人気がない事を確認するとタダイとヤコブは足を止め、それに付き合う形でユダも立ち止まった。
「・・・・あの子供の為に・・・」
「おい、筋肉、お前もしかして同情なんてしてるんじゃないだろうな?」
タダイが悲痛な顔で呟くと、ヤコブの厳しい声がする。
「・・・・・何故?」
「してないならいい」
言うとヤコブは再び歩きだす。二人ともその背中をついていった。
早足で歩くヤコブの背中に向かってタダイが声をかける。
「・・・・・・・可哀相だと思う」
「そりゃ、俺だってあんな様子を見れば可哀想にはなるさ。でも、だからと言ってシモンが死んでいいわけがないだろう」
ヤコブの返答は冷たい。ユダもヤコブと同意見だったので黙っていた。むしろ、タダイがあまりにも簡単に情を移しているものだからびっくりしたくらいだった。
「・・・・・・そうだな」
「それに、理由がどうであれ、結局は殺人じゃねぇか。自分の餓鬼の為に他人を殺そうってことだろう?」
「・・・・・・・・・」
ヤコブの言葉にタダイはそれ以上何も言わなかった。きっとヤコブの言葉を正しいとは思っていないのだろうが、反論する気にはなれないのだろう。
ヤコブの足は迷うことなく地下へ向かった。
「多分、シモンが捕らえられているとしたらここらへんだろう」
どろどろと湿った空気のする地下はいかにも余所者の伝染病患者を捕らえておくであろう場所にふさわしかった。彼の勘は当たっていたようで、聞き慣れてしまったシモンの咳が聞こえてきた。
「シモン」
声のした方へ近寄る。そこにはシモンが縛られたまま硬い床に転がされていた。
「・・・ユダ様? ヤコブ様にタダイ様・・・・?」
か細い声で答える彼の目の焦点はあっていなかった。病が進行し、こんな場所に寝かされているのだ。さもありなんだろう。
「今助ける」
「それは出来ないな」
ふいに、背後が明るくなった。
振り返ると首長と複数の男の姿。シモンに洗礼を授けるために現れたのだろう。
祭司らしき男が一人、手には鳩の死骸を持っていた。まさかこんなタイミングで、とユダは間の悪さを嘆きたくなった。
「・・・・・まったく、レビめ・・。何度も何度も取り逃がしおって」
言いながら外に待たせていたのであろう兵士を呼びユダたちを捕らえる。
当然抵抗をしたのだったが、ユダは鳩尾を強く殴られ、意識が落ちてしまったのだった。
がん、と背中に何かが当たる感触がして目を覚ます。
「おい、ユダ!! いい加減起きろ!」
「・・・・・・・ヤコブ」
徐々にはっきりしてきた視界に写ったのはヤコブの焦った顔。そしてその後ろでタダイが憎々しげにまっすぐと正面を見ていた。何を見ているのだろう、と視線のほうを向く。
頭が真っ白になった。
シモンが、十字架にかけられようとしている。彼の背丈の倍以上はあるかという木の十字架を前に彼はガクガクと震えていた。けれど両腕を兵士に抑えられ逃げようにも逃げられない。
それはユダたちも同様だった。全身を縛られ、兵士に取り囲まれている。
場所はどうやら処刑場のようだった。とうに日は傾いているようで太陽の光が朱に染まっている。
ユダたちを取り囲んだ兵士たちの更に奥に好奇の目を持つ民衆が取り囲んでいる。彼らの目から見たら伝染病を持った悪魔を退治しているところなのだろうか。
老人の周囲に高貴な服を着た人々。
末席にレビの姿もあった。表情のない氷のような瞳でヤコブたちを見ている。
「やめろ! シモンを離せ!」
「・・・・・・・・心配しなくても、すぐに後を追わせてやる」
ユダの叫びに面倒くさそうに首長が答える。
「ふざけんな! シモンが伝染病を持ち込んだ罪だというのなら、お前は伝染病患者をかくまっている罪があるじゃないか!」
ヤコブの言葉にざわり、と取り囲んだ民衆がどよめく。老人の側にいる祭司も目を丸くして首長を見た。
「・・・・・それは、どういうことですか?」
「知らん。そいつの戯言だ。責任逃れのために・・・」
祭司は蛇のような目を首長に向けた。首長は即座に否定する。ヤコブは更に大声をあげた。
「じゃああのガキはなんだったんだ!? お前の家にいた体中に黒い斑点を浮かべたあのガキは!」
「そんな子供は私の家にはいない」
あくまでもシラを切り続けるのだろう、首長は頭を振った。
「そのガキは言ってた。同じ病気にかかった奴の臓器を食べれば治るとな。つまり、シモンはそのガキに食われちまうってことなんだろうが!」
「・・・・・盗人が戯言を・・・」
首長の眉根にシワが刻まれる。
ここで下手なことを言えば間違いなく証拠隠滅のために全員首を切られる。ユダは止めさせようと口を開こうとしたが、 ヤコブは追求の手を休めなかった。
「戯言だと思うんならそのガキをここに連れてこいよ! そして聞いてみれば・・・っ」
威勢よく首長に食って掛かっていたヤコブが何者かに頭を押さえつけられ地に伏せる。彼の頭を押さえつけた男も同様に首長に跪いていた。レビだ。
「この度は我が愚弟が誠にご迷惑をおかけいたしました。これは私の不徳の致すところです。どうか、どうかご容赦ください」
レビは頭を地面にこすりつけ、首長に許しを乞う。必死な声だった。
彼の姿を見て首長は冷静さを取り戻したようで、は、と鼻で笑った。
「お前の弟だったのか・・・。まったく、お前の弟には本当に手間をかけさせられる・・・」
レビは顔をあげない。
危うい手だ。このまま温情をかけられるか、もしくはレビも責任を取って取税人を辞めさせられるかの二択だ。ユダは眉をしかめた。初めて会った時こそふざけていたが、彼はもっと理知的な男だと思っていたのだ。
「っ、ざけんなよ、レビ!」
力づくでヤコブが起き上がる。
兄とはいえ、今の成長したヤコブのほうが力は上だったようで、レビの手はヤコブの頭を離れた。
「お前は昔からそうだ! いつもいつも要領よく立ち回りやがって。今だってそうして権力のある方に頭を下げる! あいつは、自分の子供の為に関係ない子を殺そうとしているんだぞ! お前にはプライドってもんがないのか!?」
「うるさい! 黙れ!」
苦しそうにヤコブを見ながらレビが声を荒げる。
彼のそんな声を聞くのは初めてだった。
「お前だっていつもそうじゃないか! そうして理想論や正義を掲げておきながら結局お前に何が出来た!? プライドが、何をしてくれた!?」
レビが縛られたままのヤコブの肩を掴む。爪が肉に食い込んだのかヤコブは苦しそうに眉根を寄せた。
「昔からお前は私が強い者に頭をさげるのを嫌だといっていた。けれど、そう言うお前の体だって、そうして私が稼いだお金で買った食料で構成されていただろうが!」
レビの叫びにヤコブは黙って兄を凝視する。
「私が取税人として稼いだ金で建てた家に住んで、その金で食料を買って食べていた。何年も! そんなに嫌だというのならば、何も食べず神に召されればよかったんだ」
弟が兄を睨みつけるが、言い返す言葉が思いつかないのだろう、唇を引結び彼を睨みつける。二人の言葉に寒気がした。確かに、昔彼と共に生活していたというのならその通りだろうが。
いつ弾けてもおかしくないその空気を止めたのは、全く別のところからの声だった。
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