第29話 「マタイ」 その6
「ああ・・・、くそ。あいつはいつもこうだ」
ヤコブは毒づく。彼いわく、両親が生きていた頃ヤコブはよくレビの密告により悪事が露見し、ここに閉じ込められていたと言う。
完全にレビの気配が無くなってからヤコブは振り返り石畳で覆われた床の端を軽く叩いた。端の方に無造作に置かれていた石を持ち上げると、中から抜け穴が出てきた。
「まだあった」
「なんだこれは」
「抜け穴。昔親に怒られてここに閉じ込められるたびによく抜け出してたんだよ」
「・・・・・・・・」
飄々と言うヤコブにユダは白んだ目を返す。ヤコブは気にしていない様子で中を確認していた。穴は成人男性がかろうじて通れるような大きさで、けれどタダイが通ることは無理そうだった。多分、八年前のヤコブの大きさなのだろう。
「ちょっと行ってくる」
穴の中へ入るヤコブ。どうやら一度出てこの部屋の鍵を取ってきてくれるらしい。
ユダは頷いた。
「ああ、よろしく頼む」
ヤコブが窮屈そうに体を入れると、彼の姿はすぐに見えなくなった。一応、穴の上から蓋をしておくと隅に座る。じっとりと冷たい石の温度が布越しに体に伝わった。
ヤコブが戻ってきたのはそれから数十分後だった。
盗んできたのであろう鍵を使い扉を開け、人目に付かないように出ていく。
「助かった」
タダイが目を細めるとヤコブはすぐに踵を返した。
「よし、それじゃ行くぞ」
「行く? どこへ?」
どこか急いでいるような彼の後ろをついていきながらユダは尋ねる。
「シモンを助け出しにだろう? このままじゃ、あのガキ、明日には燃やされちまうんだぞ」
「それは・・・、そうだが、どうやって中へ入るんだ?」
「これ」
ヤコブはユダに紙を見せる。紙面には既に伝染病に掛かっているシモンを泊めたこと、その同行者であるユダたちを今朝取り逃がしたことに対する謝罪が書かれていた。
ご丁寧にレビのサイン入りで。
「どうしたんだ? それ」
「さっき書いてきた。これと一緒に金貨を持って行く。で、ついでに内部に侵入する」
「大丈夫なのか?」
用意周到にヤコブは金貨まで持っていた。言うまでもなくすべてレビのものだろう。タダイは眉をひそめる。
「大丈夫さ。どうせあっちも保身のためにレビがやったと思うだろ」
「そうじゃなくて、そういうことをしたらレビに迷惑がかかるだろう、と言ってるんだ」
「知るか」
「・・・・・お前なぁ」
呆れたようなタダイの声にヤコブが振り返る。
「じゃあシモンを見殺しにしろって言うのか? 言っとくけど、あのジジイの家はこの家の比じゃねぇぞ? 見張り台はあるわ、常時周囲を兵士が取り囲んでるわ・・・。忍びこむのはまず無理だぞ」
「それは・・・・、そうかも知れないが」
「タダイ、とりあえず今はこの紙を使わせてもらわないか?」
納得いっていないような表情を見せるタダイにユダが告げる。
「・・・・・・ああ」
不承不承ながらもタダイは頷いた。外に出てヤコブの案内で今朝の首長の家へと移動する。レビの言っていたことが正しければ今頃は議会へと招集されているはずだ。
すぐに確認をされることはないだろう。
「すみません、レビの家のものですが」
ヤコブが堂々と門を叩き言うと兵士が出てきた。
確かに彼が言う分にはレビの家のものということで間違ってはいない。ユダは黙って事の成り行きを見守っていた。
「なんだ」
「本日のことで・・・・、こちらを」
訝しげな兵士にヤコブは金貨の入った袋を渡す。袋の中身と謝罪状を見て兵士は口元を緩めた。その袋はずっしりと重そうだった。中に入っているものが金貨だとしたら一体いくら入っているのだろう。
「こういうのは禁止されているんだがな」
「わかっています。それを承知でお願いしているのです。よろしければ、これを・・・・」
袋の中から金貨を一枚取り出し兵士の手に握らせる。
「・・・・・・・・仕方ないな。これはちゃんと渡しておく」
兵士はにやりと笑うと金貨を懐に忍ばせた。
「お待ちください。きちんと渡したことを見届けなくては私が旦那様に怒られてしまいます。どうか、直接渡させてください」
「・・・しかし、今こちらの旦那様は外に出られている。しばらく待ってもらうことになるが、いいか?」
「はい。ぜひよろしくお願いします」
ヤコブが答えると、ユダたち三人は客間に通された。こいつにこんな腹芸が出来たのか、とユダは内心舌を巻く。
「では、ここでしばらく待っていてもらおう」
兵士が出ていくのを確認して、ユダたちはそこを抜け出た。扉の外には兵士達が立っている為、窓伝いに外へ出る。人一人が通れるような排水口があった。そこを伝い部屋を移る。
入れる部屋はないだろうかと探していると、窓が開けっ放しになっている一室を発見した。中を見ると薄暗く、誰かがいる様子は無かった。部屋にはベッドが一つ置かれ、その周囲を立派な調度品が取り囲んでいる。
「誰かの自室だろうか・・・」
「だとしたら、今の時間誰かがいるわけないだろう。よし、ここからはいろう」
観察をするユダにヤコブは軽く答え中へと入る。この部屋が誰のものかはわからなかったが、太陽が西に向かっているこの時間、普通ならこれだけの部屋を持つような人物は仕事をしているだろう。
三人が部屋へと入り、扉の方へ向かうと、後ろからか細い声がした。
「お兄ちゃんたち、誰?」
小さな子供の声だった。頻繁に咳き込んでいることから病気であるということが知れる。
「・・・・・・・・・・」
三人共黙り、その場で固まった。子供部屋だったのか。無邪気な声が続く。
「あ、もしかして、使用人さん? 僕が窓の外の鳥の巣が気になるってお爺様に言ったから、移動してくれたの?」
「・・・・・・・あー、ええ」
振り返ると、声通りの子供のシルエット。けれど、ユダたち三人はその姿を見て息を飲んだ。
子供の体中に黒い斑点。胸だけでなく、顔も、手も足も黒い斑点に覆われていた。
シモンの比ではないほどに。
彼も、伝染病に掛かっているのだ。
「・・・・お兄ちゃんたち、どうしたの?」
ユダたちの表情を見て子どもがいぶがしそうに尋ねる。ヤコブが怪訝そうな表情を浮かべ子供の体を指差した。
「お前・・・、どうしたんだ、それ」
「ああ、この点々? びょうきなんだけど、もうすぐよくなるって、おじいさまが言ってた」
「・・・・・よくなる?」
子供の言葉にユダが眉をひそめた。
「うん。あのね、ぞうき? をたべるの」
「・・・・・・・・・は?」
子供の言葉に聞き間違いかと問い返す。
けれど聞き間違いではなかったようで子供は朗々と続けた。
「おなじように病気になった人のぞうきをたべれば、よくなるんだって。お医者様が言ってたよ」
「・・・・・・・・・・・」
頭に、今朝の老人の姿が思い浮かぶ。
囚われたシモン。医者。老人。その家に居る、病気の子ども。臓器。すべてが一つに結びついた。
「ぞうきって、なんだろうね? お兄ちゃん知ってる?」
「・・・・・・・・・・・」
何も答えることが出来ず三人共黙り込むしかできなかった。
「あのジジイ・・・・」
憎々しげにヤコブがつぶやくが、タダイが子供に見えないように背中を小さく叩くとそれ以上何も言わなかった。
子供は不思議そうに頭をかしげ、笑った。
「ぼくね、治ったら学校でともだちにずかんを見せてあげるんだ。前に一緒に見ようねって言ったのに、そのあとびょうきになってずっと外に出れなかったの」
「・・・・・・・・そうか」
「お兄ちゃんたちもずかんみる? いろんな絵が書いてあって面白いよ。遊んでいってよ」
すっかりユダたちのことを使用人だと誤解している彼は話をするつもりでいるようだった。子供に応えず、背を向け外へ出る。 後ろでタダイが慰めるようにまた今度などと返していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます