第27話 「マタイ」 その4
取税人の主な収入源は仕事をした上での給料だったが、そのほかに暗黙の内の収入源がある。それが、税を水増しして、その分を得るという方法である。
銀10枚が税だとしたら銀15枚を取り立ててその内の5枚を自分のものにする。
ローマの為に金を取り立てるというだけでも嫌われるというのに、そうやって税金を水増ししているということで民衆の嫌悪の対象になっていた。これはそうして手に入れた金で作られた料理なのだろうか、とユダは目の前に並べられたご馳走を眺める。
野菜や魚、果物まで見たこともないような量が並べられていた。レビはワインをついでヤコブとユダに渡すと、乾杯、と杯を傾けた。
ヤコブはワインを胡散臭そうに眺めていたが、レビが飲んだことで自分も口に含む。ユダは飲まずに脇に置いた。
「それで、今まで一体どうしていたんだ?」
にこにこと、上機嫌にレビが尋ねる。
ヤコブは彼の目を見ないようにしながらパンを手に取った。
「熱心党にいた」
「・・・・・・へぇ、熱心党。お前らしい」
くすり、と笑いながら言う。
その口調は先ほどまでの和やかなものとは違い、少し揶揄するような響きが含まれていた。
「そっちの・・・・、ええと、ユダというんだっけ? 君も熱心党かい?」
「ええ・・・、まぁ」
口は笑ってはいるが目は笑っていない。ユダは居心地が悪かった。
「それで、今はどうして4人でこんなところに? 何かの調査かい?」
「いえ・・・・・」
答えたあとにしまった、と思った。レビの目の奥が光ったような気がした。
「・・・・・もしかして脱走かい? あそこは、結束が強いと聞いていたけれど」
「・・・・・・いや。 あー・・・・人探しだ」
「へぇ、熱心党での?」
「そんなところだ」
答えあぐねたユダは結局曖昧にしておいた。取税人に真実を告げる気にはなれなかった。
目を泳がせているユダにさらにレビが話しかけてくる。
「ところで、君たち、熱心党ならツンデレという男を知っているかい?」
不意に出てきた意外な言葉にあと少しで口の中のものを吹き出すところだった。ヤコブも気まずそうにこちらを見ている。
何とか理性を総動員し、平静を装う。
「・・・・知らないが、どうしたんだ?」
「アンティパス王からの通達が来た。その男がいたら捕まえて引き渡すように、と。ツンデレなんて、変わった名前だよなぁ」
「・・・・・そうだな」
というより、名前ですらない。
ユダはヤコブと目を合わす。どうやら架空の男、ツンデレはお尋ね者になったらしい。
それにしては最初想定していた熱心党からの刺客はいない。見つけられていないだけだろうか。考えを巡らすユダにレビが話しかけた。
「・・・・ユダというのは、本名か?」
「まさか、私を疑っているのですか?」
「いやいや、そんなまさか。ただ、話には聞いていた熱心党の者と話をするのは初めてだから、もっと話を聞いてみたいだけだ」
にこにこと返答をするレビ。
実際にはどの街にも一定の層の熱心党のものはいるのだが、わざわざ取税人に名乗るものはいない。
「あの、テロリスト集団だろう? 熱心党とは」
挑発するような物言いに眉を潜め抑えて返す。
「・・・・・誇り高き愛国主義者と呼んでいただきたい。事実、私たち熱心党は市民に被害を与えたことはない」
確かに取税人からしたらローマに仇なす熱心党は胡散臭く思えるかもしれないとユダは思う。
ヤコブが眉根を寄せる。
「おい、レビ。何喧嘩腰になってやがる」
「はは」
乾いた笑いを漏らすレビの視線がユダから彼の弟に移された。
「すまない、すまない。酔っているようだ。 よし、お前の話を聞こう、ヤコブ。お前は熱心党で何をしていたんだ?」
「俺は、・・・・・・兵士だ」
ヤコブは警戒したまま答えた。
「へぇ、あの泣き虫だったお前が? ちゃんと槍を振るえたのか?」
「ほう、泣き虫、」
驚いたように声を出すレビにユダは目を丸くする。 今の皮肉屋で自身に溢れた彼からは想像もよらない事だった。
ヤコブが頬を赤くする。
「違ぇよ! 何言ってやがんだ」
「こぉんな小さい頃なんか、ずぅっと私の後ろを付いてきていたのになぁ・・・。おにいちゃん、おにいちゃんって」
うっとりとレビは手で三歳児くらいの子供の背丈を示す。
「そんな小さい頃のことなんか覚えてねぇよ!」
「あの頃のお前は本当に可愛かったんだぞ? 何をするにも私のそばでちょこちょこと動き回っていて、目が離せなかったなぁ」
「すごい・・・、ヤコブでも小さい頃は可愛かったんだな」
「どういう意味だゴラ」
ユダが感心するように呟くとヤコブは苛立った声を向けてくる。
「そうだぞ、ヤコブは今も可愛いじゃないか!」
「そういう意味でもない!」
レビの言葉にヤコブは更に声を荒らげる。
「ああくそ、これだから帰りたくなかったんだよ! 俺は明日から別のところに泊まる! いいな!?」
言うと立ち上がり、部屋から出ようとした。その背中に向かってレビが声をかける。
「また、逃げるのかい?」
「逃げてねぇ!」
「逃げただろう? ・・・・・・・・・8年前も」
急に真面目な顔になったレビにヤコブは嫌そうな顔をした。
「・・・・・・・逃げてない」
「それじゃあ、なんで出て行ったんだい?」
「・・・・・・・お前が嫌いだったからだ!」
言うなり、今度こそ勢い良く踵を返し部屋を出て行く。あそこまで嫌悪感をあらわにしたヤコブは初めて見た。
ユダたちに対して文句をいうときも、いつも口調は皮肉めいたものがあるにしても、心から相手を嫌っている様子はない。それは熱心党に対してもそうだった。
レビは出て行ったヤコブから自分の手元に視線を戻し、くすくす笑った。
「すまない、酔っているようだ」
「いえ・・・・」
聞くべきかどうか迷ったのだが、結局好奇心に負けてしまう。
「あの、逃げたというのはどういうことですか? ヤコブは・・・・」
レビは私にちらりと視線を送ると、再びワインを口に含む。
「あの子は堪え性がないからね。昔から親に叱られて部屋に閉じ込められるたびによく逃げ出していたんだ。・・・・・8年前、私が取税人になって、彼にも勉強を進めた。肉体労働よりも何倍も稼げるからね。でも、それが嫌でとうとうこの家からも逃げ出したようだよ」
「・・・・・・・・そうなのですか」
なんとなく、その言葉は今のヤコブからすると違和感があるように思えた。その位で本当に逃げ出すような男だろうか。
「・・・今の彼は違うと思いますよ」
熱心党を出る前の彼の言葉を思い出す。上のやり方に疑問を感じると強い口調で語る彼はきちんと色々考えているようにユダは感じた。
言うと、レビは片眉を上げてユダを凝視した。
「へぇ、本当かい?」
どこか揶揄するような口調だった。
「あの子がねぇ・・・。私はまた、てっきり逃げ出してきたものかと思った。・・・熱心党を」
「・・・・・・・そんな、」
「普通の兵士だというなら、滅多に移動はしないものだろう? だとしたら、何故あの子はここにいるんだい? 間諜になれるほど慎重な性格でもないだろうに」
「・・・・・・・・・・」
背中に冷や汗が流れる。
さきほどまでの弟を溺愛していた兄と同一人物だとは思えなかった。蛇のような狡猾な瞳に肝が冷える。試されているような心地がした。
「もしかして、誰かの護衛かな? ・・・・・・・あのタダイという男も兵士だろうから、君かあの子供は、重要人物なのかい? それとも、どちらかが“ツンデレ”、とか?」
「・・・・・・・・・・・・・」
彼がじ、とユダを見てくる。 居心地が悪い。彼は他愛ないうわさ話でもするように話を続けた。
「普通に考えて、死刑囚、それも思想犯の男が最後に本名で伝言を伝えるだろうか? その後捜査の手が入るのは目に見えているのに。 ・・・・熱心党は内部調査をされて随分ご立腹だったらしいねぇ」
「・・・・よくご存知で」
ユダですら知らない情報を話す男の目が彼を疑っている事を雄弁に物語っていた。
先程熱心党のものだと言った手前、知らない振りをすることができずユダは訳知り顔で頷いた。
「あの団体は目立つからねぇ。今時あそこまで過激な集団もなかなかいないよ。堂々と武器を蓄えるわ、声を出してローマを糾弾するわ、税は払わないわ」
熱心党はローマの政治に対しても納得していない。その為、武力を盾に税を支払っていないのだ。
普通ならそんな事をしたらローマの討伐隊が来るのに、熱心党は巨大な組織であるために中々手を出してこない。
「・・・・・・・そのかわり、献金も増えています。そういうことでしょう」
試される心地の悪さから剣呑な口調になってしまう。レビはさらに続けた。
「そうだね。自分たちの手は汚したくない、それでもローマから独立したい。そんな人間の金で持っているんだろうね」
ユダはレビを正面から見据えた。けれどレビは視線を強気に受け、笑いすらする。
「・・・・どうやら、あなたは熱心党がお好きではないようだ」
「そりゃあ、そうだよ。あんなテロリスト集団。 何も知らない癖に、声は大きくて民衆に支持を得ているなんて」
あくまで笑っているのに、その表情の下から冷たいものを感じる。どうやら嫌悪感を隠すのはお互いに苦手なようだった。
事実、彼の顔はヤコブがいた時に比べて歪んだものとなっている。
「・・・・・取税人は、嫌われていますからね」
「言うねぇ。その通りだけれど」
言うと、レビは果物の中から葡萄を取り出した。沢山の実が蓄えられた大きな一房だった。
それから、ナツメヤシの実を一つもう片方の手に取る。
「君はローマの神殿を見たことあるかい? 闘技場は? 議院を見たことは? ・・・・・・・・・ないだろう?」
「・・・・・・・・・ええ、まぁ」
くすり、とレビが笑う。それから、葡萄の房をユダの目の前につきだした。
「こちらがローマ」
それから、ナツメヤシの実を隣に並べる。ひどく貧相に思えた。
「こちらがユダヤだ。 国の規模で言うとこれでも大きい程さ。 ・・・・ねぇ、なんて小さいんだろうと思わないかい?」
「・・・・・・・・・・・ええ」
「ローマに逆らうなんて、やめておいたほうがいい。 あんな大きな国に、こんな小さなユダヤが戦って勝てると思うのかい?」
「・・・・・・何も、ローマを征服しようというわけではない。独立出来ればそれでいいんです」
レビは私をちろり、と見て葡萄とナツメヤシの実を皿の上に置くと、葡萄の実を一つちぎってナツメヤシを潰そうとした。
ナツメヤシもそんな弱い実ではない。一つ目の葡萄の実はナツメヤシの抵抗により潰された。
次の実を取る。今度は強い実だったのだろうか、ナツメヤシの実は半分ほど潰された。
更に次の実を取り潰す。とうとう、ナツメヤシは潰され中から種が出てきた。
「・・・・・・・・・これが、あの国の強さだよ。資源も人もたくさんいる。それこそ、私たちの何倍もね」
「・・・・・・・・・・・何が言いたいんですか」
「そのままだろう? あの、ローマに抵抗しようなんて、無駄だ」
かっと頬が熱くなる。
血液が逆流をしているようで、苦しくなってはくはくと息を吐いた。
「だから、あなたみたいにローマに尻尾を触れ、と?」
「そうだな。お前たちよりは何倍も利口だろう?」
「・・・・・・・・っ」
手を握り締め、自分が暴走しないように抑えこむ。けれど、それは無駄な抵抗だったようで、憎しみが、悔しさが彼へ向かった。
ちらちら、ちらちらと頭に赤いマントをつけ白銀の鎧を着た男たちが浮かぶ。忘れようとしても忘れられない、幼少期の辛い思い出だ。
息が苦しくなった。
「・・・・・・・ローマの犬が」
「ははっ」
ユダの唾棄にレビは全く応えてない様子で快活に笑った。 レビも笑顔の仮面を取り払い、嫌悪感を満面に浮かべた。
その笑顔に、昔見たローマ兵の笑みがかぶる。ニヤニヤ笑いながら、彼らは槍を振り上げる。
「負け犬が」
槍が、振り下ろされる。
目の前が真っ赤に染まったような気がした。
「なるほど、ヤコブがここにいたがらない理由がよくわかりました。私共々出て行かせてもらいます」
気がつくと言葉がひとりでに外へ出ている。いつもの彼なら、絶対にこうして短絡的に発しないような言葉だった。
「ああ、そうだな。さっさと出て行くがいいさ。もう、戻ってくるなよ」
「彼にもそう言っておきます」
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