第25話 「マタイ」 その2
カペナウムは街道の分岐点であり、交通の要所だった。旅の人々を相手に店が立ち、それが集まって小さな市となっている。宿泊施設もたくさんあり、数日ならば飽きずに暮らせるような、そんな街だ。
「入門手続きはこれで終わりか?」
「ああ。次に、交通税を払いに行くぞ」
タダイにシモンの付き添いをまかせ、ユダは手持ちの金を確認する。街ごとに関税が設けられ、通るためには税を払わなければならなかった。
ヤコブは再び目に見えて嫌そうな顔をした。
「税・・・・・。悪いが、今回はユダ一人で行ってきてくれ」
「・・・どうしたんだ? さっきから、何故そんなに周りを気にしている?」
先程の言葉も、いつもならば尊大に「行ってこい」と命令口調で言う癖に、「行ってきてくれ」と懇願するような顔でヤコブは返す。 彼らしくない態度にユダが眉をひそめると同時に、甲高い男の声が耳をつんざいた。
「ヤァ~コブ!! 戻ってきてくれたんだね!」
赤い何かが目の前を通り過ぎた、と認識するよりも先にそれはヤコブに抱きついた。落ち着いて見ればそれは布だった。その布から日に焼けていない白い腕が二本出て、ヤコブを抱きしめている。
「・・・・・・・・・・・!!?」
驚いて目を見張ると、布がはだけ中から優男が顔を出す。ヤコブと同じ色の髪を背中まで伸ばし、ヤコブと同じ色の目を嬉しそうに細めている。
「さあ、その顔をよく見せておくれ。ああ、こんなに逞しくなって」
僥倖に巡り合えたかのような顔をしてヤコブの顔を掴みじろじろと眺めていた。 ヤコブは嫌そうに男を引き離そうとしながら、顔を青くして答えた。
「人違いだ」
「そんな事ある筈ないだろう? 私が愛するお前の顔を見間違える訳がない。お前はヤコブだ」
ヤコブの顔を見つめそう言う男の目には涙すら浮かんでいた。どう言っていいのかわからず、ユダは事の成り行きを見守る他なかった。
「積もる話もあるし、取り合えず私の屋敷でのんびりしていくといい。さぁ、お前達! この子を連れて行っておくれ! 抵抗するようなら縛ってもいいよ!」
「ちょっと待ってください」
感動の再会かと思いきや彼を取り巻いている兵士達に物騒なことを命令する男に思わずユダは停止をかける。男はこちらを見て怪訝そうに眉をひそめた。
「なんだい君は」
「そこのヤコブと共に旅をしているものです。 一体どうしたんですか」
やっと男はユダに気がついたとでも言わんばかりにユダに視線を向ける。さきほどまでの嬉しそうな感情は鳴りを潜め、不審者を見るような目つきになっていた。
「へぇ、お前に友達がいたのか。よかったなぁ、よかったなぁ、ヤコブ」
「なっ、人を寂しい奴みたいに言うんじゃねぇ! っていうか、俺が孤立していたのはお前のせいだろうが!」
ヤコブは自分に絡みついた男の手を離すことに成功し、声を荒げる。男は動じた様子もなく頷いた。
「うんうん、私恋しさから他に友達が作れなかったんだろう、わかってる、わかってるよ」
「んなわけあるか!」
心底面倒くさそうにヤコブは叫んだ。道行く人達の視線が痛い。
普段飄々としていて人をからかうことが多いヤコブのこんな表情は初めて見るな、とユダは冷静に観察していた。彼からしたらほぼ他人事だ。余裕が違う。
「あー・・・・、この人は一体なんなんだ?」
何かの見世物だろうかと周囲に人が集まってくる。出来るだけ目立ちたくなかったのだが、と苦々しく思いながらユダは話を続けた。
「ああ、私かい? 私の名はレビ。ここで取税人をしているよ!」
「取税人・・・・」
レビは明朗に答える。取税人とは、その名前のとおり税を取る人をさす。ユダヤの民から様々な名目で税を取り、それをローマに献上するのだ。 見てみると、本来彼がいるべきであろう税関の机が空になっていた。 先程の兵士たちは彼を警護するための私兵だったのだろう。困ったようにこちらを見ている。
机の前には税を払うべく待っている人々の姿。
取税人という単語にユダは複雑な思いがする。
彼も多くのユダヤの民と同じく、ローマの為に税金を集めている彼らのことを好きにはなれなかった。
「さっさと仕事に戻れよ・・・」
憮然としたようにヤコブが言う。レビは何も言わずに手を二回叩く。
すると、すぐに背後から衝撃を感じ、何事かと振り向くころにはユダとヤコブは縄で縛られていたのだった。
そうして二人は彼の家であろう建物に連れてこられ、暫くの間窓のない物置のような部屋に閉じ込められた。何時間したのかわからないが、すっかり夜になってからレビは物置に顔を出したのだった。
「いやぁ~、悪かったね。痛むかい?」
まったく悪びれていない様子でレビが言う。
ヤコブはまだ縛られたまま憮然として「痛い」と返すとそっぽを向いた。 そんな彼を見ながらユダはため息をつく。 どうして自分までこんな目に会っているのだろう。
「おい、ヤコブ、この状況を説明してもらいたいんだが」
冷ややかな目でユダは尋ねるが相変わらずヤコブはそっぽを向いたままだった。
「だから、知らねぇって言ってるだろうが」
「な! 私のことを知らないと言うのかい!? 小さいころは毎晩のように私にキスをしてだぁいすきと言ってくれていただろう!?」
ヤコブの言葉にレビが激高する。ヤコブは呆れたような視線をレビに向けた。
「キスって・・・、挨拶の一環だろうが、それは! 大体、大好きだなんて言った覚えはねぇよ!」
ユダはヤコブの幼少期を想像し、目の前の彼に大好きと言っている様子を思い描く。うまく考えられなかった。
「で、結局二人はどういう仲なんだ?」
「切っても切れない、お互いのことを大切に思い合っているプレシャスな関係だよ」
レビがやたら上手にウインクをしながら言う。ヤコブはこめかみに青筋を浮かべながら怒鳴った。
「どんな関係だ! ただの兄弟だろうが!!」
なるほど、言われてみれば確かに目元のあたりが似ている。ユダはまじまじと二人を凝視する。ヤコブの兄ということで、先程まで感じていた取税人にたいする嫌悪感が少し和らいだ。
「あー・・・、つまり、数年ぶりに再会した弟が逃げないように縛っておいた、と言うことか」
「その通りさ! ヤコブときたら、ある日いきなりいなくなるんだから、お兄ちゃんは心配したんだゾ」
ゾ、の辺りでヤコブの額を人差し指でつつく。テンションが高く話していると疲れるな、とユダは冷静に考えた。兄弟共々苦手な人種だ。
ヤコブの二の腕には鳥肌が立っていた。
「これからはずっと一緒に暮らすんだゾ。
お兄ちゃん今までずっと一人で寂しかったんだゾ」
「その口調やめろ!」
イライラとヤコブがレビを睨みつける。
ユダとしてはさっさと帰りたかったが、残りの金とシモンの様子が頭を巡った。ヤコブには悪いが、しばらくここで厄介になることはできないだろうか。ユダはレビの方を向くと口を開いた。
「ずっと一緒に暮らすかどうかはさておいて、しばらくお世話になることは出来ませんか?」
「おい、ユダ・・・!」
ヤコブが抗議する。彼の目を見ないようにして話を続けた。レビのほうはというと、目を丸くしてユダを見ている。
「連れが病気になっているんです。しばらくの間泊めてもらえないでしょうか」
言うとレビは納得したように頷いた。
「あ、なんだ、まだ連れがいたのかい。そういう事なら喜んで場所を提供しよう」
にこりとレビが微笑む。お礼を言うとヤコブの顔が引きつったが、シモンの惨状は覚えているのだろう。それ以上は何も言うことはなく黙って俯いたのだった。
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