マタイ
第24話 「マタイ」 その1
「・・・・・・・・・はぅっ」
「え!? おい、ちょ、シモン!?」
ばたり、と大きな音を立て、朝から顔を赤くしてふらふらと歩いてきていたシモンが倒れた。その場にうつ伏せに寝転がる彼は苦しそうに息を浅く繰り返している。肩を揺り動かしても、彼は気絶しているようで反応がなかった。
「おい、こら、どうしたんだ?」
「だから熱じゃないのか? と何度も聞いただろうが」
ユダの背後からヤコブ、タダイも振り返りシモンに近寄る。
ヤコブはシモンの顔を覗き込むとため息を付いた。
「あぁもう、倒れるくらいなら素直に言っとけよ」
「・・・・お前が事あるごとにいじめるからだろう?」
ヤコブの言葉にユダが反撃する。
「はぁ!? 俺のせいかよ!」
シモンは彼らの中で一番年下ということもあり、ヤコブはよく彼をからかって遊んでいた。
「お前のせいじゃないが、おかげで言い出しにくかったんじゃないのか?」
おかげでシモンが泣き言を言うことが少なくて助かっていた為にユダも咎めなかったが。自分のことは棚に上げてユダは言い返す。
「で、でも程度があるだろうが」
なおも口論を続けようとするヤコブにタダイは両手を叩いた。
「ああもうお前ら! そんな言い争いをしてる場合じゃないだろう!? ほら、ユダもヤコブもゆっくりと休める場所を見つけてこい」
しばらくして見つけた洞窟は開けた場所にあり、他にも様々な旅人がここで一晩を明かしたのだろうと推測出来るところだった。雨が避けられ、風も入ってきにくい作りになっており、中は少し温かい。少し休むにしては十分すぎる場所だった。
「まったく、しんどいならしんどいと素直に言え」
寝転んだシモンの額に水を含んだ布を当てる。 意識を取り戻したシモンは罰が悪そうにユダの瞳を見た。
「・・・すみません、ユダ様。 あの、もう少し休んだら大丈夫ですから・・・」
「そう言ってまた意識を飛ばしたらどうするんだ」
よく見ると首筋や胸元にも汗をかいていた。ユダはシモンの首元をくつろげると汗を拭う。
「そうだぞ? 何だったら俺が負ぶってもいいし・・・」
「・・・・お前も大概シモンに甘いよな・・・」
シモンの頭の隣に座り、水を与えていたタダイが言う。元上司にヤコブはうんざりとした声を出した。
「当たり前だろう? こんな小さいんだから」
タダイの言葉にシモンは気恥ずかしそうに薄く笑う。旅を始めてから数ヶ月が経つが、その間にタダイはシモンをまるで弟のように扱うようになっていた。シモンのほうもそれを嬉しそうに受け入れている。
「とりあえず、今日はここに泊まって様子をみるか」
ユダは周囲の様子を見る。夜、盗賊や獣に襲われないような場所を見つけて野宿するという事は最初に思っていたより骨が折れることだった。 何とかなるだろうと思って飛び出してきたものの、タダイやヤコブがいなければ命を失っていたかもしれない状況がこれまでに何度かあった。
「それにしても、何による熱なんだろうな」
「お前、なんか変なもんでも食べたのか?」
「いえ特に・・・。皆さんと同じ物しか食べてませんよ」
ユダとヤコブの言葉に視線を移しシモンは首を振る。実際、シモンは兵士であったタダイやヤコブよりも食べる量は少なかった。
「何か心当たりはないか? じゃないと、薬草も処方できない」
「本当に思い当たらないのですが・・・」
シモンはますます眉尻を下げた。ユダはため息をつく。風邪ならばいいが、そうでない場合医学の心得があるものがこの場に居ない以上心もとなかった。
「取り敢えず、疲れが出ているだけかもしれねぇし、今日ゆっくり休んで、明日、また調子を見よう」
タダイの言葉に、それ以上追求することはせずお開きとなった。ヤコブは外に出て全員分の食料を探してくる。食べて、早めに眠り、次の日に備えた。
しかし、朝になっても彼の様子はよくならなかった。 というより、より酷くなったようにも思える。息も絶え絶えになり、体温も上昇している。ユダは汗だくになったシモンの体を拭うが、拭いても拭いても汗が玉になって彼の皮膚の表面へと溜まっていく。
「・・・・・・・ん?」
汗を拭っていたユダは彼の鎖骨に小さな黒い斑点が出来ている事に眉を顰める。これは前からあったものだろうか。ユダは目をつむって苦しそうに呼吸を続けているシモンを揺り動かす。
「おい、シモン・・・・」
「なんだぁ? こんな所に」
黒い斑点について聞こうとした時だった。背後からタダイのものでもヤコブのものでもない声がする。振り返ると、男が五人、こちらをにやにやと眺めていた。ボロボロの服に似合わない高価な武器。野盗だろう。ひやり、と背筋が粟立った。
タダイとヤコブは今、食料を探しに外へ出ている。よりにもよってこんな時に。ユダは奥歯を噛み締めた。懐に仕込んでおいた剣を探す。この旅に出る時に身を守る為に調達しておいたものだった。
「・・・・・・・・・金は、ないぞ」
ユダが乾いた声を出す。盗賊の頭領らしき男がせせら笑った。
「本当かよ。お前、それなりにいい身なりをしてんじゃねぇか」
「追いはぎでもするか?」
虚勢を張って口で笑みの形を作る。頭領の後ろに控えていた男が鼻を鳴らした。
「ばぁか、それだけで終わらせるかよ。お前たち自身が奴隷として売れるだろうに」
「・・・・・・・・下衆が」
ポツリ。呟くと相変わらずニヤニヤと彼らがこちらへと近寄る。洞窟の中に入ったのが裏目に出た。逃げ場がない。
短刀を抜き、どうにか抵抗しようとしたが、彼らの更に後ろにある姿を見て力を抜く。
ユダの様子に男たちは怪訝そうな顔をする。
「・・・・・・・なんだ・・・うわっ」
ユダたちの方に気を取られていた盗賊達は頭を強く殴られ、前面に倒れこんだ。
「な、なんなんだ!? ・・・・っ!?」
振り返った他の仲間はそこにいたタダイの姿を見て息を飲む。 話してみると好人物である彼はしかし、外見は体についた無数の傷跡も手伝い恐ろしく思える。タダイに凄まれて、彼らはじり、と後ずさる。
その時だった。さらに別の方角からの衝撃に一気に三人が倒れこむ。
視線を移すと、ヤコブが得意げな顔をして残った一人に剣を向けていた。
「・・・・・くそっ」
悪態を付き、残った一人は二人の間を抜けて逃げていく。
ユダは安堵の溜息をついた。
「おい、ユダ。大丈夫か?」
「ああ・・・・。ありがとう、助かった」
「いや。間に合ってよかったよ」
あくまでも爽やかに言うタダイとは対照的に、ヤコブはにやにやとユダの顔を覗き込んだ。
嫌な予感がする。ユダは渋面を作って睨み返した。
「な? 俺らと一緒に来てよかっただろ?」
やはりか。彼はよくこうやってユダやシモンをからかってくる。出会った時から苦手なタイプだと思っていたが、いまだにユダは彼のことを好きになれそうになかった。
「・・・・・・・・・・・タダイはすごく助かっているな」
「んだとゴルァ」
ため息を付きながら返すとヤコブはチンピラさながらに半眼になった。
「何か」
「あー、もう、お前らは! もう少し仲良くしろよ・・・」
「うぅ・・・、二人の声が洞窟の中で響きます・・・」
しれっとしたユダに頭を抱えるタダイ。よろよろと起き上がったシモンははだけていた衣服を元に戻した。思わずユダは謝った。
「しっかし・・・、全然具合がよくならねぇなぁ・・・。少しは楽になったか?」
「えっと・・・・」
タダイの言葉に言いにくそうにシモンが俯く。 ぼんやりとした顔と赤い頬、体中に浮かぶ汗が彼の感じている苦しさを物語っていた。
「あの、はい、えっと、もう歩けるくらいには・・・」
「嘘を言うな。その熱でまともに歩けるわけがないだろう」
「そ、そんなことは・・・」
元上司の言葉にのろのろと起き上がろうとする彼はしかし、立ち上がることも出来ずその場に倒れこんだ。
「おい! シモン!」
「いわんこっちゃねぇ・・・」
タダイが手を差し伸べるが、再びシモンは地面に倒れ伏す。ヤコブは頭を抱えた。
「こうなったら、一番近くの街で医者に見せるか」
「そうだな。・・・・・ここからだと、カペナウムになるか」
ユダは脳内にこの近辺の地図を思い描く。医者がいそうな大きな村だとカペナウム以外に思い当たらなかった。それまでどこか他人事のように話を聞いていたヤコブが急に反応し、嫌そうに眉根にシワを作る。
「は!? ・・・・あそこには行かないんじゃなかったのか?」
「仕方ないだろう。シモンの具合がわるいのだから」
ヤコブはシモンに視線を移しぐ、と黙り込む。
「それはそうだが・・・・・」
「どうしたんだ? なにかあるのか?」
「あそこは・・・・、あー・・・・・・・、いや」
彼にしては珍しく言いにくそうに目を泳がせている。けれどシモンの様子を見ていると他に選択肢がないことは明白だろう。それ以上何かを言うことがなかったから、結局一同はカペナウムでしばらく休むことになったのだった。
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