第22話 「アンデレ」 その8
どれだけの間そうしていただろうか、気がつけば周囲は閑散としていて、人影がまばらになっていた。
太陽の位置からとっくに夜が明けたことを悟る。
バルヨナは、と周囲を見渡すが見当たらない。彼らと一緒に行ったのだろう。
あれは、何だったんだろう。
先程の高弟たちの言葉を思い出しアンデレは首を傾げる。ひどく虚しい気持ちを抱えながら。
ヨハネは一度も自分こそが救世主であるとは言っていない。それなのに、周囲の者達が勝手に期待して祭りあげていたのだ。それならば、彼らにもヨハネの死の原因の一端はあるのではないだろうか。
しかしそれ以上に高弟たちを動かしていたものが権力欲だったということに失望を禁じ得無い。多くの弟子達がそれに疑問を抱かずについていったということも。
空を見ると、昨日あんなことがあったことが信じられないような明るい色をしていた。
「ここらへんにいた信者の方達はどうなさったのですか」
ふいに後ろから声がした。
振り返ると身なりのいい男とその後ろに少年が立っている。漆黒の髪に亜麻色の瞳を持ち、背筋を真っ直ぐに伸ばした男。後ろの少年は全体的に色素が薄く大人しげな雰囲気があった。二人共血統のいい猫のような雰囲気をまとっており、この場にはひどくそぐわないような気がした。
「・・・・・・・・・お前達は?」
「私は熱心党のものだ。ヨハネ様処刑の件で個人的に縁があったので葬式でもやっていないかとこちらへ来た。・・・・、しかし、葬式どころかこんなに閑散としていたのでは・・・」
彼の言葉に内心驚き眉をひそめる。
熱心党とはローマに対し武力で持って反旗を翻そうとしている武装集団である。そんな連中がどうしてあの平和主義者のヨハネと知り合いなのだろう。
葬式。そう言えばその言葉は弟子達の間から聞くことは出来なかった。
「葬式なんて、いつになるんだろうな」
苦く呟いて俯く。
頭の中に昨晩の高弟たちの姿が浮かぶ。
結局自分達のためだったのではないか。
ヨハネ自身はあんなにも民衆のことを憂いていたというのに。
「ヨハネ様の信徒達はアンティパス王へ復讐しようと市内へ行った。・・・・・それ以外にもいたんだが、どこかへ行ってしまった」
「・・・・・・そんな・・・。死を悼む人達は・・・」
後ろの少年が言う。
ひどく痛ましい顔をしていた。
「死を悼むよりも先に武器を持って市街地へ走っていったよ」
「・・・・・・・・・あなたは」
「俺も、信徒だった・・・・。死を悼む人、というならきっと俺がそうだろう・・・。いや・・・・けれど・・・・」
目頭が熱い。
本当に、自分は一体なんだったんだろうとアンデレは苦悶した。
「・・・・俺は、あの方の教えに感動した。集まっていた人達もそうだと思っていた・・・・」
高弟たちの姿を思い描く。
ヨハネが生きている間はけして悪い人じゃなかった。それどころか彼らの面倒をよく見てくれていた、良い人だと思っていたのに。
「それなのに・・・」
ぐ、と自分の服を掴む。
目の前の男は辛そうに俯き、違う話題を口にする。
「・・・・・イエスという男を知っていますか? ナザレから来たという」
「・・・ああ、あの男。あいつが何か?」
昔一度だけ見た男をアンデレは思い出す。そういえば彼はヨハネに大物だとか言われていた。
何故今彼のことが口に上るのだろう。
「今、どこにいるかわかりますか?」
「・・・・知らない。ヨハネ様から洗礼を受けて、どこかへ行った」
「・・・・・・・、そうですか。ありがとうございました」
言うと男は振り返り歩き出した。後ろを慌てて少年が追いかける。
アンデレは引き止めるわけでもなくぼんやりと不思議な二人組の後ろ姿を眺めていた。
夕方近くになって信者達が血を流しながら帰ってきた。その中にはイオアンやイアコフ、バルヨナの姿があった。けれど、明らかに人数が少なくなっている。
バルヨナは弟の姿を見て眉をひそめながら近寄ってきた。
「おい、アンデレ。こんな所で何をしていたんだ」
そう言う彼は肩に傷を負っていた。見たところ矢の傷だろう。
痛ましげな姿に息を呑む。
「兄さんこそ、どうしたんだ、この傷は」
心配して肩に触ると顔をしかめた。
「弓で射られた。幸い俺は傷はひどくないが、死んだ人もいた」
「そんな・・・・」
周囲を見渡すと皆の顔に疲労と絶望が浮かんでいる。皆ここまで来て気が緩んだのだろう、ある者はへたり込んで、ある者は横たわって何も言わずに浅く呼吸を繰り返していた。
「おい」
アンデレに気がついたイオアンとイアコフがバルヨナの後ろに立つ。バルヨナは怯えたような顔をして振り向いた。
「アンデレ、お前今までどこにいたです。決起にも加わらずに・・・」
「・・・・・・・ここに、いました」
「何故ですか。お前はヨハネ様が殺されて悔しくないのですか!」
ぐ、とこぶしを握り締める。
ヨハネが殺されたのは悔しい。悲しいし、報復をしたいと思う。けれど、先ほどの彼らの言い分に疑問が浮かぶ。
「・・・・悔しいです・・・。けれど、」
何を言えばいいのかわからない。
視線を宙に泳がせた。イオアンとイアコフが彼を不審げに見つめている。
「あなた達は、本当にヨハネ様が殺されたから、悔しいのですか?」
「当たり前です」
「先ほど、ヨハネ様についていけば地位が得られると言っていた。あなたたちが悔しいのは自分の未来が白紙になったからじゃないのですか」
「そんなことあるわけないのです」
堂々とイオアンが返す。
「それに、救世主が現れるのは僕たちだけじゃなく、我々ユダヤの民の悲願です。あの方が救世主だとしたら、未来が白紙に返されたのはユダヤの民全員になるではないですか」
「それは・・・、そうなのですが」
「それとも、お前は自分の損得勘定のためにヨハネ様についてきたですか!?」
「そんなわけないじゃないか! 俺は、あの方の考え方に感じ入ったからこそ・・・」
「それは僕たちも同じです。あの方は救世主足り得る方でした。それなのに・・・」
悔しそうにイアコフが俯いた。
釈然としない気持ちを抱く。けれど、話しても話してもどこか違うところで話が繰り広げられているような気がして、これ以上は何を話しても無駄のような気がした。
「それで、あなた達はこの後どうするのですか」
バルヨナが二人に問う。
二人はバルヨナを見返し、鼻を鳴らした。
「あの方の教えを広めていくです」
「ええ。あの方の教えはもっと皆に知ってもらう必要があるのです。あの方の考え方は革新的だったです」
そう言って二人は踵を返し他の高弟達のところへ行った。きっと他の人たちを引き込むつもりだろう。
「よし、俺もついていくか」
バルヨナはそう言って立ち上がる。その腕を咄嗟に掴んだ。
「あいつらに、付いていくというのか?」
「ああ。俺もこのまま終わりたくはないし、ヨハネ様の考え方を世に広めるというのには賛成だ」
「あいつらの考え方は・・・、だけど・・・」
「・・・? どうしたんだ?」
バルヨナは違和感を感じていないのだろうか。彼らの言葉に。
けれど、それを説明することが出来なかった。何かが違う、とだけ言って、そんな曖昧な言葉でこの兄を動かせないことはわかっていた。
「お前も来るだろう?」
一点の曇りもないその瞳で見つめられて、アンデレはそれ以上何も言うことが出来なかった。
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