第21話 「アンデレ」 その7

 ヘロデ王の築いたローマ風の城塞都市は大きな石の家のようにも思えた。聖書に書いてあったバベルの塔はこれを積み重ねていけば完成するのだろうか、そんなことを考えながら祭りに浮かれきった市民の間をすり抜けアンデレは城の方へ向かう。

 ついた頃にはすっかり日は暮れていた。城へと辿りつくと、一際人の多い場所を見つけ歩み寄る。

 普段はめったに見ることが出来ないアンティパスの一家を中心に貴族が並び、更にその周辺を兵士が取り囲んでいた。その兵士の外側から市民が宴の様子を見ている。王族達の前に並べられたご馳走にアンデレの腹が鳴った。

 アンティパス王の娘らしき人物が場の中心に進み出ると同時に音楽が奏でられる。確かサロメと言ったはずだ。栗色の髪と大きな瞳、スラリと伸びた細い肢体。音にならい、彼女は踊り出した。美しい。

 アンティパス王もご満悦のようで、踊りを終えた彼女に欲しいものはないか、と訪ねた。


「なんでもいい。お前の望むものを与えよう」

「本当? お父様」


 鈴を転がすような声でサロメは言う。アンティパス王は大仰に頷いた。


「なら、洗礼者ヨハネの首が欲しいわ」


 その言葉にざわ、というどよめきが市民だけではなく貴族からも漏れた。

 人々を横目でちらりと見ると、サロメは続ける。


「この所お父様はおかしいわ。あんな男の話を聞いて税を下げようとするなんて。ローマに収める分がなくなっちゃうじゃない。それに、あの男に対してお父様も敵意を持っていた筈よ。どうして最近あの男のもとに通ってらっしゃるの?」

「・・・・・・・・・・・・・・・う」


 アンティパス王が黙る。

 ヨハネ様の説得がここまで功を奏していたのか、とこんな場面なのにアンデレは少なからず感動した。


「・・・・・・・・・あいつは、殺すほどの男でもないだろう」


 苦しげにアンティパス王は言うが、サロメは大きな目で彼を睨んだ。


「そうかしら。あの男はローマを倒す救世主になると言う人が沢山います。そんな男を放って、それどころかその話を聞きに行っておいてはお父様の立場が危ないことくらい、あなたが一番分かっているのじゃないですか?」

「・・・・・・・・・・」


 苦しそうな顔をしてアンティパス王は助けを求めるように妻を見た。妻は、柔和な笑みを浮かべて王を見返す。あの女が、アラビアとの火種になりかけたヘロディアか。確かに儚げで美しい女だ。

 血を嫌いそうな彼女はしかし、王に向かってはっきりとした口調で言った。


「あなた、先程あの子に何でもお与えになるとおっしゃいましたわよね」


 強い口調に王は呻く。


「・・・・・・いや、しかし・・・」

「あら、あなたともあろう方が約束をお破りになるの?」


 たおやかな外見からは想像もつかないような厳しい言葉が発せられる。その場にいた市民でヨハネの肩をもつものは多いだろう。なのに誰も何も言わなかった。兵士の目を気にして。皆悔しそうに歯をかみしめている。市民だけではない。貴族の中にも数人、サロメを睨みつけている者がいる。けれど貴族なら一層何も言えないだろう。己の保身のために。

 アンティパス王はそうした人々を見回し、誰も助けがいないことを悟る。しかし、ここで彼一人が反対しようものならローマに敵意有りと判断されかねない。

 アンティパス王はしぶしぶといった様子で兵士に命じるとヨハネを連れてきた。

 久しぶりに見る彼は痩せていた。


「さあ、首を刎ねてちょうだい」


 サロメの甲高い声がする。

 ラクダの皮衣を剥がされヨハネの首が顕になった。縛られ兵士たちの前に跪く。

 やめろ、やめてくれ。

 アンデレは喉をひりつかせ成り行きを凝視した。叫ぶことすらできなかった。

 けれど、願いは届かず、兵士の剣が彼の頭と胴体を切り離したのだった。







 銀の盆に載せられ広場に晒された首はまるでまだ生きているようだった。

 涙が次から次へと溢れ出て、悔しくて居ても立ってもいられなかった。

 アンデレは走って教団の場所へ戻るとその知らせを告げた。けれどそれは既に知られていたようで、遅れてきた彼に対して高弟達は愚か者を見るような視線を投げかけたのだった。


「ヨハネ様を処刑するなんて許せねぇです!」


 だん、と地面を叩きゼベダイ息子のイオアンが言う。その言葉に周囲の者が頷いている。アンデレも迎合しようとした、その時だった。


「これじゃあ、僕たちは一体なんだったですかっ!」


 イオアンの言葉を受けて言った弟、イアコフの言葉に彼は固まる。

 けれど周囲の者はその通りだと言わんばかりに頷く。


「僕はあの人が救世主だと、いつかローマからユダヤの国を取り戻してくれると信じていたからこそ付いてきたのに、そのヨハネ様が死んじゃったら僕たちはどうすればいいですか!」

「あの人に付いておけばそれなりの地位が得られると思っていたのに」

「話が違うです」


 高弟達が口々にそう言う。

 なんだこれは。


「このままじゃいられません! せめて一太刀でもアンティパス王に復讐するのです!」


 イオアンの言葉に武器を持っていた人々が蜂起する。

 アンデレは輪にも入ることが出来ず、その場に棒のようにつっ立っていた。




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