第18話 「アンデレ」 その4

「朝は日の出とともに起き出し瞑想。それからヨハネ様が洗礼を受ける方々にされる説法をお聞きし理解するです。午後から夕方にかけてはあの方の教えを街で布教します」


 先輩とも言える高弟達に話を聞きに行くと、その中でも一番位が高いのであろうイオアンとイアコフの二人が俺達に一日の流れについて教えてくれた。彼らはこの近くの網元のゼベダイという男の息子であると聞いた。網元とは、漁師を雇い魚を取っている人であり、彼らが漁師に金を払い、漁師が取ってきた魚を売って稼いでいる。彼らの父の所は規模が大きいらしい。そのせいだろうか、ゼベダイがヨハネの弟子達に出資し、弟子達の食べるものや着る物を賄っている。いわばパトロンのようなものだった。その息子だからだろう、二人は見た目はアンデレ達よりも俄然若く見え、少年のような風貌をしているというのに、この教団の中心のような立ち位置だった。


「あなた達は入ったばかりですし、まだまだわからないことが多いと思うです。とりあえずヨハネ様に付き従って彼の考え方を理解することから始めたらいいと思うのです」


 イアコフがそう言うと、イオアンはうん、うんと頷いている。彼らは面倒見がいいようで、アンデレ達以外にも新参者に修行の仕方について教えていた。


「それにしても、最近はますますヨハネ様の人気は高まってきたのです」

「彼こそがローマから俺達を救い出してくれる救世主かもしれないという話まで出ているです」

「僕たちも鼻が高いです」


 嬉しそうに二人が話す。

 昔の予言に、彼らユダヤの民を救う救世主が現れるという話がある。そして、ローマに支配されている今、救世主を待ち望んでいる人は多い。救世主こそがヨハネだと言う噂が流れているのだった。彼に心酔している弟子達がその噂を喜ぶのは当然だろう。二人とも興奮したような様子でアンデレ達にヨハネについて語りだす。その話のどれもがヨハネのすばらしさを伝えるもので、アンデレは彼の弟子になってよかった、と心底思ったのだった。

 言われたとおりヨハネに付き従って彼の考え方を理解しようとする。彼の考え方はシンプルでわかりやすく、2,3日したころには外円がつかめてきたのだった。

 アンデレの方は。

 けれどバルヨナはというと、何でも派手な事を好む性格だからか、いきなり断食を始め、今日で4日目だった。

 日に日に痩せてくる兄を見て、心配になってくるが、もっと徳の高い修行者は平気で1か月くらい断食をして生き延びる。いつまで続くだろう、と思ってアンデレが見ているとそれは5日目である次の日に音を上げた。


「もー無理だ。飯。飯を食わせろ」


 弟の足を掴んでバルヨナが倒れこんでいる。目は血走っていて、この5日間の辛さを物語っている。アンデレはすぐに水を用意し、ナツメヤシの蜜を分けてやる。ちびちびと蜜を飲むバルヨナを見て、ヨハネが苦笑しながら近寄ってきた。


「何をしているのかと思えば・・・。修行の成果はどうだい?」

「天国が見えた。リアルな意味で・・・・」


 ぐったりと言うバルヨナにヨハネは笑みを深くする。


「そうだろうねぇ・・・。断食は本当につらい修行だからね。それよりも、今日はとんでもないVIPが現れるよ。さぁ、一緒に川の方で待っていよう」

「・・・・・び、び?」


 ここ数日ヨハネ様の言動を見ていたが、よく不可解なことを言い、その度にどういう意味かを尋ねることがあった。今回もまた意味のわからない言葉を使う。


「大物ってことさ。君たちは会っておいたほうがいいだろう」

「・・・・・そうなんですか?」


 不可解と言えば、最初に出会った時もアンデレ達を待っていたと言った。彼は未来を見ることが出来ると言っていたが、何か関係があるのだろうか。アンデレはヨハネの背中を見ながら考える。

 中天にある太陽の光を受けてヨルダン川の水面がキラキラと輝いている。昼食時の一刻の平穏そのものの川の様子はたまに息を飲むほど美しい。ヨハネについて行くと、ヨハネは川の岸辺に腰をおろし、晴れ晴れとした様子で伸びをする。


「絶好の洗礼日和だねぇ。さぁ、彼はいつ来るのかな」

「彼とは、誰ですか?」

「とても偉大な方さ。私は数十年もしたら名前が消えているだろうけれど、彼の名前は千年先も、二千年先も残っている」

「・・・・・・・・・・・・・・え」


 あくまでもにこにこと話し続けるヨハネに衝撃を受ける。


「・・・・ヨハネ様は、自分が死んだ後のことも見えているのですか?」

「むしろ死んだ後のことのほうがよく見えているかな」


 なんでもない事のように返すヨハネにやはり、という思いと驚愕とがないまぜになる。


「・・・・怖くはないのですか? そんな未来が見えていて」


 ヨハネは急に真面目な顔になってアンデレの顔を少し見たが、すぐにいつものおどけた様子を取り戻した。


「そうだねぇ、昔は嫌で仕方なかったかな」

「・・・・そう、ですか」

「なんたって、自分の死に様まで見えてしまったからね。この力に気が付いたしばらくは、眠ることすら出来なかった」


 何年も前のことなんだけどね、と言いながらヨハネは空を仰いだ。


「最初の方は視えた事は全て夢だと思っていた。でも、視た事が身近で本当に起きるようになって、次第に諦めていった」


 アンデレには、そんな力がない。だから思う。自分の死に様が視えてしまうというのは、どういう世界だろう、と。


「諦めた、といっても、悪い意味じゃない。どうせ死ぬのなら、出来ることをやってやろう、と思ったんだ。私が見た未来はたまに外れることもあったから。だから、視えた未来と違うことでも行動をしてみた。出会ってはいけないはずの人に会いに行ってみたりしてね」

「出会ってはいけないはずの人?」


 アンデレは首を傾げる。


「ああ。この近くの街に住んでいる男だ。意外にいい奴で驚いたなぁ」

「・・・・・・・・・・・」


 空を見たまま、ヨハネは楽しそうに笑い、それからすぐに無表情になって地面に顔を向ける。


「もっと、嫌な男だったらよかったのに・・・。変に情が沸いてしまったな」


 自嘲するような声色だった。誰に言うでもなく、自分に対して言っているように感じる。


「みんな仲良くハッピーエンドなんて不可能だって分かっているのに、望んでしまいそうになる」

「・・・・・・・・・? どういう事ですか?」

「彼はね、大罪を犯すんだ。そうして、死んだ後、地獄の業火で焼かれ続けるような罪を」


 アンデレの眉根に皺が寄る。なんでそんな悪人に会いたいと思ったのだろう。ヨハネの思考がわからない。


「・・・・・・・・、止める事は出来ないんですか?」

「私には出来ない」


 いやに断定めいた口調で彼は言う。 どこか悔しそうだった。

 ふいに、背後から足音と共に静かな声が聞こえた。

 ヨハネはすぐにそちらの方を向く。


「失礼。洗礼を行っているヨハネ、という方はいらっしゃいますか?」


 ひどく暗い目をした男が立っていた。夜の海のようなぬるりとした瞳でじ、とこちらを見つめている。


「ああ、私のことだ」

「・・・・・洗礼を、していただきたい」


 彼が、先程言っていた偉大な方だろうか。

 しかしアンデレには到底そうは思えなかった。男が持つ覇気はヨハネに比べるとひどく頼りない。言葉にも田舎の訛りがあり、着ている服も簡素で、千年先も名前が残るような大物には見えなかった。


「わかった。私はずっとあなたを待っていた。会えてとても光栄だ」


 ヨハネがそう言うと、男は怪訝そうな顔をした。

 けれど、その事には何も触れず、男は続ける。


「・・・・あなたには除霊をする能力はあるのですか?」


 その言葉に、ヨハネはふふ、と笑う。


「そんな力はないし、それはあなたには必要なものだ。取ってしまおうと考えるのではなく、向き合うべきだ。使い道によっては、とても頼りになる力になるだろう」


 男はひどく頼りなさそうな顔をした。まるで迷子になった子供のようにも見える。


「さぁ、洗礼を授けよう。こちらにおいで。・・・・・ナザレのイエスよ」


 名前を言い当てられたのであろう男は、初日の俺達と同じように、目を丸くしたのだった。




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