アンデレ

第15話 「アンデレ」 その1

 兄は、いつも途方のないことをいきなり言い出す。

 二週間前には空飛ぶタコを捕まえに行くと言って家の網を持ち出して三日三晩海に出ていた。

 かと思えば五日前には旅芸人になるなどと言い出して、ひたすら逆立ちで歩く練習をしていた。

 それを一人でやる分にはどうでもいいのだが、兄の質の悪いところは、いつも弟である彼を巻き込むことだった。

 今回だってそうだ。


「おい、アンデレ。光るラクダを捕まえに行くぞ」


 そう言って、兄のバルヨナは投網を背負い、皮袋に旅道具を詰めてアンデレの前に立った。

 彼の頭の中では弟の参加はもう決定事項となっているらしく、アンデレの分だと思われる皮袋も持っていた。


「・・・・・・行ってらっしゃい、兄さん。明日までには戻って来てくれよ」


 アンデレ達の家は漁師をして生計を立てている。年中仕事をしなければいけないというのに、この兄の放蕩癖によりたまに仕事に遅れが出る。

 今度も何日も家から出ていかないように釘を差して置くが、兄はびっくりしたような顔をして言った。


「お前も一緒に行くんだぞ?」

「嫌だ」


 冷たい目でそう返すと、兄は不満そうに頬を膨らませた。

 全然かわいくない。


「なんでだよ、光るラクダだぞ!? 珍しいんだからな」

「ラクダが光るわけないだろうが!! なんだ? ラクダにヒカリゴケでもくっつけるとでもいうのか!?」

「おいおい、あれは苔が光ってるんじゃなくて、太陽が葉に反射してあたかも光っているように見えるだけだろ? 常識で考えろよ」


 はは、と軽く笑うバルヨナを軽く睨みつける。ラクダが光るだの言っている奴に常識を語られたくはない。


「どっちにしろ、俺は行かない。どうせまたいつもの兄さんの思いつきだろ」

「それがな、今度はそうでもないんだ。そのラクダはしゃべって二足歩行までするって話だからな」

「・・・・・・・・・・・・」


 無言で兄の頭に手を当て熱を計る。

 平熱だった。


「な、何、人を病人扱いしているんだ! そんな憐れむ瞳で俺をみるな!」

「見たくもなる。大体誰がそんなことを言っていたんだ」

「今日、魚を売りに行った先の市場で旅人に聞いたんだ」


 バルヨナは胸を張って言う。頭が痛くなってきた。


「騙されたんだろう、兄さん」

「騙されてねぇ! あの人は美しい澄んだ目をしていた! 俺は感動してその人がもう3日も何も食べてないって言うから、有り金全部プレゼントしてやったくらいなんだからな」

「・・・・・え、ちょ、おい」

「いやぁ、実にいいことを聞いた」

「あほか! その有り金って、どこから出た金なんだ!?」

「今日の売り上げだけど?」


 きょとんと言う兄に血の気が引く。


「どうするんだよ!?  明後日には取税人が来て税金を取っていくんだからな?!」

「え、マジで」

「それでなくても今月は厳しいのに、本当に何をやってるんだ」


 アンデレはその場で蹲り頭を抱えた。バルヨナは困ったような顔をした。


「だって、いい話を聞いたから・・・」

「とにかく、家にある有り金を全て見てみるか・・・」


 兄が何かを言うのを見て見ぬ振りをして家の金を全て集めてみた。今月納める分の税金に少し足りない。アンデレの顔が蒼白になる。

 税を払えないとなると、奴隷にされる。そうなりたくなければ家にある財を何か差し出さなければならない。漁師である彼らの場合、それは船か網だ。彼らの船は数年前に嵐でなくなった両親から譲り受けたたった一隻のものだ。これがなければ生きていく術がない。

 しばらくの間、アンデレは頭を抱えていたが、こうしていても始まらないと思い船を出すことにした。しかし、その日は全く魚が取れず、次の日も漁をしなければならなくなったのだった。

 都合の悪いことに、翌日は安息日だった。安息日とは神が世界を作った時に休んだ日にちなんで、一切の労働をせずに休みを取らなければならない日のことであり、この日に労働をすることは律法により禁じられていた。安息日に少しでも働き、それが人に見られたとしたら、即座に糾弾され、周囲に非難されることとなる。酷い時には律法を破ったとして罰を受けなければならなくなる時もある。いつもは下手なことをしないために家でひっそりと過ごすのだった。しかし、ないものはない。安息日であるが働かなければ彼らは船を失ってしまう。

 仕方がないのでアンデレは早朝に起きだして魚を取りに行くことにしたのだった。


 朝早くから弟にたたき起こされたバルヨナは不満顔だったものの、黙って船の用意を始めた。少しは悪いと思っているのだろうか。

 人に見られたくないので沖の方へと船を出したのだが、驚くほど何も釣れなかった。 イライラと網で海面をかき混ぜていると、そうだ、とバルヨナがのんきな声を出した。


「光るラクダを捕まえて売ればいいんだ」

「黙れ」


 論外の言葉に即答する。

 バルヨナが頬をふくらませた。


「・・・・・じゃあ、明日までに魚が釣れなかったら、諦めてラクダを探す旅に出るということでどうだ?」

「どうだ?  じゃねぇよ!  漁師をやめてお尋ね者にでもなれって言うのか」

「いや、冒険者に」

「ならねぇよ」


 バルヨナの言葉を尽く無視してアンデレは漁を続ける。

 しばらくそうして漁を続けたが思うような釣果は得られなかった。日が沈もうとしている為、今日は諦め、暗くなってから船着き場へ戻った。

 昨日からあまりにも魚が取れない。いつもならば今頃はノルマとしている量は終わっているはずなのに。もしかしたら網に穴でもあいているのではないかと思い、点検をするべくアンデレは網を持って家へ帰ることにした。

 あと少しで家へたどり着く、そんな時だった。


「・・・・・お、おい。アンデレにバルヨナ・・。お前たち、その網、もしかして・・・」


 背後からの声にひやり、と振り返る。そこにはこの街の司祭がいぶかしげな顔をして立っていた。


「猟に出たのか・・・?  ・・・・・今日は安息日だということをわかっているのか」

「・・・・・」


 何も返せなくて黙って俯く。次第によっては俺たちは刑罰を受けなくてはならないかもしれない。そう思うと背中が凍えた。


「・・・・・これは重大な違反だぞ」


 追い打ちをかけるように司祭は低い声で言う。


「すみません・・・。でも、明日までにお金を作らなくては税が払えないんです」


 何とか温情を与えられないかとアンデレは言うが司祭は渋面を濃くしただけだった。


「何故計画を立てて稼いでおかなかった」

「稼いではいたのですが・・・」


 後ろを振り返り、バルヨナに助けを求める。しかし、そこには誰もいなかった。驚いて周囲を見渡すのだが、兄はどこにもいない。


「あの・・・、兄が浮浪者に売り上げのぶんをあげてしまったようで・・・」


 腹立ちをなんとか押さえ込みつつも言うと司祭は頭を押さえる。

 兄の奇行は今に始まったことではない。そしてそれは、この村では有名なこととして広まってしまっているのだ。


「・・・・バルヨナか」

「・・・はい」


 やっと、司祭が同情的な声を出した。なんとかなるかもしれないと期待したが、すぐに司祭は再び厳しい目でアンデレを見た。


「しかし、律法を破ったのは紛れもない事実だ。理由がどうであれ、許されることではない」

「ですが・・・っ」

「明日、議会で話をしてみよう。とりあえず今日は私と一緒に来るんだ」


 司祭はアンデレの手を掴んで連れて行こうとする。


「そんな・・・、困り・・・」


 司祭から身をよじって逃げようとした、その時だった。

 遠くから聞こえる馬の蹄の音。

 急に体が宙に浮いたかと思うと、次の瞬間彼の体は馬に跨っていた。何事か、と思い周囲を見ると、背後にバルヨナの姿があった。


「な、に、にいさ・・・」

「逃げるぞ、アンデレ」

「逃げるって・・・。ていうか、この馬どうしたんだ?」


 どこにでもいそうな痩せた馬だったが、家にこんな馬を購えるほどの金はない。


「俺の船と交換してもらった」

「ちょっ・・・・!」


 お前の船じゃない。俺達の船だ。アンデレは主張するが兄は特に気にした様子もなかった。

 見ると、昨日彼が作った旅道具を馬に積んでいる。いつの間に交換してもらったんだろうか。背後で司祭の怒声がする。そちらのほうを見ないようにして、馬にしがみついた。

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