第14話 「シモン」 その7
コンコン
恐怖の音に、相変わらずシモンはすくみ上がる。
「やぁ、シモン。その後どうだい?」
「えっと・・・、その、変わらずですが・・・」
今日あった事は話しにくい。ムガルはシモンの言葉など聞いていないようですぐに口を開いた。
「そろそろ、ユダはここから脱走すると言ったんじゃないのかい?」
「・・・・え」
どくん、と心臓が鳴る。見ていたのだろうか。伺うような目線を向けるとムガルは口の端をあげた。
「今日、彼が休みを欲しいと言い出したから、そうかと思ったけど」
「・・・・・・・ええ、はい」
何故だろう、今日の会話を父に告げるのが躊躇われ、シモンは曖昧に口の中で呟く。
「・・・・・・・へぇ、出て行くって言ったのかい?」
父の目がキラリと光る。
「・・・・・・・・・・・はい」
「なるほどねぇ。やっぱり」
「・・・・・あの、お父さん。お聞きしたいことがあるんですが」
一人で納得しているような父にシモンは勇気を出す。
「なんだい?」
「・・・・・教団の人たちが矢に射られて、重傷で、ここに助けを求めに来たと聞きました」
「・・・・そのようだねぇ」
彼にとっては遠い話なのだろう。他人事のように頷いた。
「・・・・何故、それを追い返したのですか?」
「かくまったりしたらアンティパス王に攻め込まれる口実になるじゃないか」
「・・・・・・・・」
ヤコブの言った通りだった。そうでは無いと信じていたかった。
「治療も出来なかったのですか?」
「そうだねぇ、何もしてあげられないのはつらかったなぁ」
感情のこもってない声にチリチリと心臓が焼けていくような錯覚を覚えた。
「・・・・・何故、助けなかったのですか?」
「もう使えないからに決まってるだろう?」
「・・・・・・・・っ」
シモンには父の言葉がまるで自分に言われているようにも思え、拳を握りしめる。
「ヨハネがいれば、彼らを統率出来たんだろうけど、今の彼らはただの烏合の衆だよ? 兵力が増えても、アンティパス王に口実を与えるんじゃ何の意味もないだろう?」
「・・・・あの人達が、可哀想です」
「・・・・・・・・・・・・」
シモンのひねり出した声にムガルが大きな溜息をつく。
ビクリと震える。
「・・・・・・・・今日のお前は随分と反抗的だねぇ」
「・・・・・・そんなつもりじゃ・・」
「父さん達のやり方に不満でもあるのかい?」
「・・・・・・・・・・っ」
いいえ、と答えようとした。けれど、今日一日の会話を思い出し、口を噤む。
父が目を細めた。
「なるほどねぇ・・・・」
「・・・・父さん、もう一つ聞きたいことがあります」
「なんだい?」
「何故、そもそもヨハネ様を教団に引き入れようとしたんですか? 彼とここは、考え方がまるで違うでしょう?」
ヤコブの推理の答え合わせをしようとシモンが尋ねる。
「・・・・・・そんな事もわからないのかい?」
ムガルの声は明らかに苛立っていた。
「・・・・・・・・・・・っ」
冷たい声と呆れたような顔に泣きそうになる。
「そうだねぇ。とは言っても、私はこれでも守秘義務があるからねぇ。息子とはいえ何でもかんでもホイホイ言う事は出来ないなぁ」
「・・・・・・・・・教えてもらえませんか?」
「駄目」
ムガルは一蹴する。シモンは恐怖に頬の裏の肉を噛んで耐えた。
「・・・・・・それなら、僕ももうユダ様の監視はしません」
「・・・・・・へぇ」
苛立ったような声を出す父。
シモン自身、何故こんなに彼に逆らうのか理解できなかった。それでも、ここの所起こった出来事は、シモンの考えに波紋を生んだ。握った拳に汗がたまる。
「それじゃぁ、こうしよう。いつもの通りゲームで勝負だ」
「・・・・・・・っ」
にっこり、と微笑むとシモンの机からカードとダイスを取り出す。それは父とシモンを含む兄弟達の間でずっと昔から続けてきたやり方だった。最初は勝てばご褒美がもらえるという、児戯のようなものだったが、いつしか家族の間で取り決めをする際に用いられるようになった。カードの勝敗は絶対。長兄や次男は強かったので割を食うのはいつもシモンだった。
「・・・・・わかりました」
じくじくと痛む胃を押さえて勝負の卓につく。配布された札はどちらかと言うといい手札だった。
このゲームはカードと手札を使って擬似的に戦争をするものである。庶民の間で流行していたゲームで、最初のうちはなかなか勝つことが出来ないが、その分やり込むと俄然面白くなってくる。頭と経験を要するゲームだった。
父に勝てる気がしない。けれど、だからと言ってせっかくのチャンスを捨てる気にはなれなかった。
「・・・・・・それにしても、珍しいねぇ。君が私にここまで食いつくなんて」
「・・・・・・・・すみません」
カードを捲りなら父は口を開く。怖かった。胃もキリキリと傷んでいる。
「本当にねぇ。上の兄達のように役に立ってくれる訳でも無いくせに」
「・・・・・・・・・・・・」
ぴしり、と心にヒビが入る音がした。
顔が挙げられない。
震える手でダイスを振ると、自分の手札を捨てざるを得ない目が出た。
そこからは早かった。
頭が白くなったまま、気がつけばシモンの負けが決まっていた。
「さて、お前の王のカードは取ったよ。私の勝ちだ」
「・・・・・・・・・はい」
声に涙が交じる。やはりか、と絶望した。
「相変わらず弱いねぇ。そんなんなら、最初から私の言うことを聞いておけばいいんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
父の蔑んだ目を見て実感する。
シモンにとっての精一杯の抵抗は彼にはただの茶番だったのだ。
「さて、勝ったからには私の命令通りに動いてもらうよ」
「・・・・はい」
「もしもユダが逃げ出したら、お前はそれに付いていきなさい」
顔を上げて父の顔を見る。何を考えているか相変わらずわからなかった。
「そして、イエスという男のことを私たちに報告しなさい」
「・・・・・・・え? あの人のことはいらないのでは・・・」
「口答えするな」
「・・・・・・・・っ」
冷たいその言葉に唇を噛み俯く。
拳を握りしめていなければ泣いてしまいそうだった。
「わかったね? シモン」
「・・・・・・・・・・・はい」
「もしも彼が救世主足りえる男だったら、こちらに取り込むように働きなさい。もしもそうでなかったら、ユダを殺してお前は帰ってきなさい」
「・・・・・そんな」
父の言葉に血の気が引く。簡単に言うが、シモンは自分が人殺しなんてできるわけ無いと思った。
「分かったね?」
にこり、と笑う彼の言葉に二の句が付けられない。俯く。
「期待しているよ。シモン」
ぽん、と息子の肩を叩いて父が出て行く。シモンは父の言葉が信じられなくて、その場に固まって震えていた。
ムガルの言ったことは本当だった。
シモンは彼の自室からの唯一の脱出口であるドアの前で待っていると、その扉が開きユダが周囲をうかがうように顔を出した。誰もいない事を確認しようとしたのであろうユダは、その扉の前につったっている彼の姿を見て嫌そうな顔をして足を止める。
シモンは彼の袖をつかんだ。
「・・・ここで、何をしている」
「あの、もしかしてその荷物は」
心の中で、止めてほしいと祈っていた。こういう時ばかり神様は聞き届けてくれない。
「・・・・・・・・・お前には関係ない」
苛立った声で言うと少し後ずさる。到底ちょっと散歩に行くとは思えないような皮袋を持っていた。
「あの、僕もついていかせてください!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
ユダは目を白黒させてシモンを凝視した。まさか彼からそのような言葉が出ることはないと思っていたのだろう。
「馬鹿を言うな。お前を連れていけるわけないだろう」
「そ、それは僕が頼りないからですか!? 心許ないからですか!?」
「いや・・・、それもあるが、お前は両親ともども熱心党の者だろう? ご両親からお前を引き離せるか」
「・・・・・・・・・・それもあるが・・・」
やはり少なくともそう思われていたのか、とシモンは項垂れた。ユダが続ける。
「とにかく、連れて行くことは出来ない。行くなら一人で行け」
「そんな」
なんとしても食らいつかなければ、と脳内で策を巡らせる。助け舟は意外なところから与えられた。
「いいじゃねぇか、連れて行ってやろうぜ」
ユダの背後から声がする。視線を移すとヤコブが立っていた。
ユダは頭を抑えながらそちらを振り向く。
「どうしてお前が私と一緒に行く前提でいるんだ」
ため息をつきながら尋ねるとヤコブは一歩ユダに近寄る。
「俺は止められても一緒に行くぞ。お前がいなきゃ意味ないんだからな」
「意味が無い?」
ユダの眉根にシワが寄る。
「あの男は『未来が見えたからユダに会いに来た』と言ったんだ。つまり、お前も十分未来の重要人物ということなんだろう?」
「・・・・・・・・・えぇ!?」
「声が大きい」
ヤコブの言葉にシモンはつい高い声を上げた。ユダは咄嗟にシモンの口をふさいでこそこそと柱の影に隠れた。
「だからお前がいないと意味が無いと思う。そして、俺はその予言を信じてお前についていく。嫌とは言わせないからな」
「・・・・・・・・・」
ユダは諦めたように溜息をついた。
それから、シモンにも視線を送り、どうなっても知らないからな、とそっぽを向いた。
「なぁ、俺も連れて行ってくれないか?」
ヤコブの背後に更に男の影。そこに佇んでいたタダイは土気色の顔で真剣にユダを見ていた。
「・・・・・俺も、ここ数日で色々思うところが出てきた。悪いが、一緒に連れて行ってはもらえないかな。護衛くらいにはなるだろう」
ユダはタダイを見返した。ヤコブの時とは違ってどこかホッとしているようにも見えた。
「・・・・・・・・・後悔しても、知らないからな」
「・・・・・・あぁ」
ユダはシモン達三人の目を真摯に見つめる。
「もうここにも戻れない。ここの連中に殺されるかもしれない。それでもいいのか?」
「・・・・・・・・・あぁ」
「・・・・・・・・・はい」
「もちろん、そのつもりだ」
三者三様に答えを出し、ユダは俯き、歩き出した。
生まれ育った城砦はどこから抜け出ることが出来るか熟知している。
正門からではなく、石垣の窪みの隙間から外に出て、日が昇るまでに歩ける限り歩いてここを離れる。
ユダは特に口も聞かず、先頭を切って進む。シモン達も言葉を発するものはなくその後ろを追いかけた。
日が、少しだけ東の空から顔を出し、漆黒だった夜空を藍色に染める。後ろを振り返ると、一晩中歩いていたにもかかわらず熱心党の建物がまだ大きく見えた。
ああ、あんな形をしていたのか。
何度も見てきたというのに、今更ながらにそう感慨深くシモンは思う。
山肌にしがみつくように建てられた建物はアンティパスの城と比べても見劣りしないほどに大きい。
はぁ、とため息を付いて再び前を向くと、ユダ達はとっくに先に進み、その距離は以前よりも大きく開いていた。
三人の背中はシモンよりも大きなもので、皆それぞれの思惑を抱えて進んでいく。
ふいに、自分がひどく矮小な気がして泣きたくなった。
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