第13話 「シモン」 その6



 その次の日だった。

 たまたまシモンはタダイと廊下で遭遇し、雑談をしていた。ヨハネの信徒の暴動からというもの、彼はシモンを見ると優しい顔で話しかけてきてくれるのだ。

 ふいに、会議室から勢い良く音を立てて扉が開く音がする。そちらの方を振り向くと、ユダが鬼のような形相をして早足で歩いて来た。

 周囲が見えてないのだろうか、彼は耳まで赤くして正面を睨みつけるようにどんどんと足音を立てて自室の方へと向かっていた。


「お、おいユダ。どうしたんだ?」


 シモンには話かけられる勇気などなかったというのに、タダイはあっさりとその背中に向かって声をかける。

 ユダはぴくり、と立ち止まるとこちらを振り向いた。シモンとタダイの姿をみとめると二人の手を片手ずつを取り、走って外へと抜けようとする。

 いきなりの事だったので抵抗する間もなくシモンもタダイも彼の後ろを付いていく事になった。

 呆気にとられた表情の門番を横目で見ながら、人通りの少ない裏路地に出るとやっとユダはこちらを向いて何かを言いたそうにシモン達の顔を見比べる。


「・・・・悪い。気が立っていた」


 走っている間に気が少しは落ち着いたのだろう。ユダは気まずそうに俯いた。


「大丈夫だが・・・、一体どうしたんだ?」


 タダイはユダの肩を叩く。


「・・・休みを欲しいと言ったんだ」

「休み?」


 シモンは目を瞬かす。今までユダは休むことなく働いていた。功績からしても一日二日くらいなら構わないだろうに。


「ナザレのイエスという男を探しに行きたい、と」

「えぇっ・・・・」


 けれどソレは長期の休みだったようでシモンはうわずった声を出す。


「しかし、上の方にはふざけるな、と一蹴された」

「・・・・・まぁ、それはそうだろうな」


 タダイも当然とばかりに頷く。ユダは少し悔しそうな顔をしたがすぐにタダイから目をそらした。


「え? でも、ヨハネ様の時はあんなに一生懸命になっていたのに・・・」


 シモンは首を傾げる。タダイが答えた。


「そりゃ、実績が既にあるヨハネ様と無名のイエスという男では上層部の方々の対応も変わってくるだろう」

「使えるヨハネ様はいるけれど、どこの馬の骨ともわからないイエスという男はいらない、ということだ」


 タダイの言葉にユダが当たり前だとばかりに補足を入れた。


「・・わかってはいた。けれど」


 ユダが苦しそうに俯いた。

 シモンは上司になんと声をかけていいのかわからなかった。タダイがユダの背中に手をかけようとした、その時だった。


「それなら、脱走しちまえばいいじゃないか」

「・・・・・・・・は?」


 肩に腕をかけられ、シモンがそちらの方を向く。ニヤニヤと笑いながらヤコブがユダを挑発するような目で見ていた。


「・・・・・ヤコブ。なんでここに」


 嫌な奴に見つかった、とでも言いたげにユダは眉をひそめた。


「そりゃ、お前が沈痛な面持ちで会議室へ入ったかと思ったら今度は怒って出てきて、さらには筋肉野郎とガキを連れて走って出て行ったのを見たから。面白そうなことがありそうと思ったんだよ」


 ヤコブは楽しそうに告げる。この様子では今までの話を全部聞いていたに違いない。


「盗み聞きか」

「悪い悪い」


 一切悪いと思っていなさそうな顔をしている。

 ユダは盛大なため息をついた。


「大体、そんな事出来るはずがないだろう? 私は会計役として内部の事を知っている。知りすぎているとも言える。そんな私が熱心党を抜け出すと、すぐに追手に殺されることだろう」

「ま、そう誓約したもんな」


 さもありなんとヤコブは頷く。


「誓約?」


 シモンは頭をかしげながら問いかける。彼はそんなことも知らないのかとでも言いたげにシモンを見た。


「熱心党はよそ者を中に入れる時に一生裏切らないと神の前で誓約させられるんだよ。俺も、多分そいつらもその誓約をさせられた」

「・・・・・・・そうなのですか?」


 シモンは目を丸くして二人を見る。その通りだったらしく、二人とも頷いた。


「神の前での近いは絶対だからな。誓約書があるなら尚更だ。あれがある以上は俺たちはここのもんだし、裏切ったら殺されても文句は言えない。お前は裏切らないと思われているんだろ。だって、ここ以外に行くところなんかないもんな。熱心党の中でぬくぬく育っていた分には外に出ようとなんて思わないと思われてるだろうし」

「・・・・ヤコブ」


 タダイがヤコブをたしなめる。ひどい言い様だった。

 けれどヤコブは気にした様子もなくシモンから視線を外すとユダを見た。


「それで、結局どうするんだ、ユダ」

「・・・・・・どう、とは?」


 ユダはわかりやすく嫌そうな顔をしている。一刻も早く帰りたそうだったがヤコブの追及がそれを許さない。


「どうせああは言ったけど、お前だって頭の中で考えただろ? ここから抜け出して探しに行こうかと」

「・・・・・・・・・・・」

「ここはおかしい。確かに俺はローマが憎い。だから、ローマを倒すべく奔走しているこの熱心党へ入った。けれど、上層部のやり方は違うんじゃないかと思う時がある。前回のヨハネの時だってそうだ」

「おい・・・・」


 ヤコブの突然の告白に一同は目を丸くした。思わず周囲を見渡し誰もいないようだと安心する。


「俺は予言者なんて信じてなかった。絶対何かトリックがあるんだと思っていた。けどあの男は本当に未来が見えていた。そして、聞いた話だが、軽い治癒すら出来たという。ならばその力は効果があるものなんだろうが、何故その力をうまく使ってローマを倒そうとしなかった? 支援する貴族もいたという話じゃないか。未来が見えるのならばああやって矢面に立って糾弾して首を切られることになるのがわかっていたなら、どうして自重しなかった? ・・・・・・なあ、ユダ」

「・・・・・・・・・・・」


 分かっているのだろうと言いたげにヤコブはユダに食らいつく。ユダはヤコブから視線をそらした。


「・・・・あの方は、何よりも貧しい人の為を思っていらっしゃった。だから洗礼もなされたのだろう。・・・・・真実、あの人が何を考えていたかはわからないが、少なくともあの人は治癒や予言が出来たからと言ってそれで金を取ったり、その力を傘に来て権力を持とうとするような真似はなされなかった」

「そう。だからこそ思わないか? あの男と俺達熱心党は目指すところがまるで違う。俺達は打倒ローマ、あいつはローマ云々よりも身近な人々へ目を向けている。アンティパス王への糾弾も庶民の生活を脅かすからだ。ならば、どうして上の奴らはヨハネを引き入れるようなことを思いついたんだろうな」

「・・・・・・・・」


 小さく、ユダが舌打ちをする。ヤコブはこの数日間のうちにヨハネについてそれなりに調べていたようだった。

 二人の間にある緊張感に身が竦む。

 間に割って入れるわけもなく、シモンは事の成り行きをただただ見つめていた。


「ヨハネ様はただの客寄せで、上は彼の信条など興味がなかった。人気があるから引き入れようという安易な考えだ。腐敗していっている。そう、言いたいんだろう?」

「お、さすが。よくわかったな」


 ヤコブは楽しそうに短く口笛を吹いた。


「・・・・・分かっていて、あえてそれを私に言わせるな」


 くく、とヤコブが喉を鳴らす。

 そして、なぁ、とシモンに声をかけた。

 どこか小馬鹿にしたような顔をして。


「あいつらの一日の生活を知っているか?」

「父はずっと会議をしていると・・・」


 言うとヤコブは鼻で笑い、そうだろうな、と呟いて続ける。


「一日中あの小さな会議室でローマの情報を集めて議論をしているだけ。実際に何が起こっているかを見ようともしていない。情報も、下のヤツらに命令をして集めてこさせたものだ。それで十分にあいつらは働いている気になっているんだろう」

「それは・・・、父さん達は戦略を練っているんです」

「本当にきちんと戦略を考えているやつらが、あの男の教団に手を出すと思うかよ」

「・・・・・・・・・・」


 何も言い返す事が出来なかった。

 シモンは何の疑問も抱かなかったから。

 上層部がヨハネを引き入れたいと言った時も、自然な流れのように思ってしまっていたから。

 唇を引結びなにも言わなくなったシモンにヤコブは興味を無くしたようで再びユダに向き直った。

 相変わらず挑発的な瞳をしている。


「で、どうするんだ?」

「・・・・・・・・」


 ユダも無言で俯いた。唸るように答える。


「・・・・・・仮に私がどう思っていたとしても、それはここで言うようなことではないだろう」

「つまり、出て行くと言うことか」


 鼻を鳴らしたヤコブをユダが睨みつける。慌てたようにタダイが割って入った。


「お、おい、ヤコブ」

「なぁ、出て行くんだったら俺も連れていけよ。ここにいるよりもそっちのほうが意義のあることのように思える」


 ヤコブはユダの肩を掴み顔を近づける。無理矢理視線を合わせられたユダは迷惑そうに睨み返した。


「・・・・・・・・・」

「あの男が予言したんだ。俺はそいつがどんな奴が見てみたい」


 真剣な目で見つめるヤコブを制したのはタダイだった。肩を掴み引っ張ろうとする。


「ちょっと待て・・・。俺はそんなことを聞いたらお前の上司として黙っていられないぞ?」

「お前もあのままでいいと思っているのか? もしこれでローマと戦争になったとしても、あいつらに指揮をさせてたんじゃ俺達はみすみす犬死だぞ?」

「まさか、そんな」


部下の暴言に上司が渋面を作る。


「戦争となったら俺達は第一線へ行かなければいけない。そんな時、あいつらに・・・・、ヨハネが死んだ途端に掌を返したように信者を見捨てた、あいつらに命を預けたいと思うのか?」


 ヤコブの目には先程までのからかう様子は無くなっていた。真剣そのものの表情でタダイにくってかかる。


「・・・・・・見捨てた?」


 タダイは眉を潜める。


「ヨハネが死んだ次の日、信者の暴動が起きたのは知っているな?」

「・・・・・・ああ」

「その時、信者に向かって弓が放たれた。それで、傷を負った奴が数人、助けてくれと熱心党の門前まで来たんだ。けれど、上の奴らはそいつらを追い払った。血だらけで、歩くこともやっとだった人もいたのに」

「・・・・・・・・・」


 あの日、シモン達がいない間にそんな事が起きていたとは知らなかった。

 強い衝撃が彼を襲う。

 自分の所属している団体が、まさかそんな事をするとは思いたくなかった。タダイも同様だったようで絶句している。


「あいつらを匿えば熱心党はつけこまれる隙をアンティパス側に与えてしまう。それはわかっていた。それでもせめて傷の手当位はしてやってもよかったんじゃないのか? それも出来ないほどあの中の財政は苦しいのか?」


 ヤコブはユダに向き直る。ぐ、とユダが悲痛な顔をした。

 会計の事はほぼ把握している男だ。

 熱心党への献金の数や余剰の金、それらを考えるとお金が無いとは言い切れなかった。

 ヤコブは再びタダイに向き直る。


「自分たちだけは安全な所でぬくぬくと過ごし、一度引き入れようとした団体の使えなくなった信者どもを見捨てる。新しく入る分には裏切ったら殺されてもいいという誓約をさせる。俺はそんな奴らの為に戦いたくはない」

「・・・・・・・・・・・」


 押し黙り、4人の間に沈黙が降りた。

 ヤコブはユダの反応を伺っているようだった。けれど、ユダはヤコブのほうを見ようともせず、彼の手を乱暴に肩から外すと黙ったまま熱心党のほうまで戻って行った。





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