第12話 「シモン」 その5
嫌な予感がしながらも、二人ともそちらへ向かう。広場を抜けたところで全体像が見えてきた。ヨハネの信徒達が暴動を始めているのだ。手に棒や槍などの武器を持って襲いかかる人々に、防ぐ兵士達。大衆の喧噪と怒号が響き渡り、土煙がいっそうその様子を荒々しく見せていた。
ふいに、何者かに肩を掴まれ路地裏へと引きずり込まれる。
「おい、こんな所にいたら危ねぇぞ」
振り返るとタダイが心配そうにシモンを見ていた。
「・・・・、タダイ様。・・・・・あなた、今、謹慎中のはずじゃ・・・」
「それはお前達もだろう?」
シモンの言葉にタダイは苦笑を返す。
「・・・それはそうですが」
「私達は先ほど来たんだが、これまでの経過は知っているか?」
シモンが言いよどんでいるとユダが口を開く。タダイは頷いた。
「ああ。最初はヨハネ様の首を取り戻すだけだったんだが、そこの護衛の兵士達を倒したことで気が乗ったんだろう、今度はアンティパス王の所へ行った。・・・・訓練もしていないあいつらが勢いだけで乗り切れるほど王の護衛も弱くねぇ。このままじゃ犬死にだ」
「そんな・・・」
シモンは再び城門を見る。たくさんの男たちが怒鳴り声をあげていた。
「だからといって俺達にはどうすることも出来ねぇがな」
「・・・・・でも」
抗議をしようとタダイに振り返ったその時だった。
人の声が一層大きくなる。困惑の叫びに空気が震える。
何事かと思いシモンが再びそちらを振り向くと人垣の中に赤い煙が舞っていた。
眉をひそめ、よく見る。
最初煙と思っていたそれは、血飛沫だった。
弓の雨が降る。
暴徒の上にも、城を守る為に出た兵士の間にも平等に。
「・・・・・・・・っ!?」
城壁の上から振る弓に、上の方を見ると兵士達に混じって一際身分の高そうな男が立っていた。
苦々しそうな顔をして何かを命じている。彼の言葉に従い、更に弓が降り注ぐ。同時に下方ではさらに血が舞う。
「・・・・・アンティパス」
ユダが、心の底から憎らしそうに呟く。
「そんな・・・、兵士だっているのに」
よろよろと出ていこうとしたシモンの腕をタダイが捕らえる。
「奴ら、短時間で話をつけようとしやがっているのか・・・」
「なんで、あんな残酷なことを」
「アンティパス王はローマから自治権を得ている。暴徒に下手にのさぼらせてしまってはその権利を失う」
「だからって・・・」
弓の雨に怯んだ暴徒は退却を始める。たまったものではないのは兵士達だった。暴徒達は逃げればいい。けれど、兵士はこの城を守るべくこの場に居るのだ。この弓矢をどうやってやり過ごせと言うのだろう。
数十秒の後に轟音と共に信徒達はほうぼうへと逃げた。城門の前には人々の死骸が横たわっていた。兵士のものも信者のものもある。
「・・・・・・ひどい」
「・・・帰るぞ、シモン」
震えるシモンにユダが声をかける。
「そんな」
足が動かない。このまま見て見ぬ振りをするのは良心が痛んだ。
「・・・・・あそこへ行ってあいつらの弔いをしてやるか? 止めはしないが、危険だぞ」
ユダは歪んだ笑みを浮かべて言うと、踵を返し歩き出す。
唇をかみしめてそちらの方を見ていたら、気を使ったのかタダイが背中を押してくれた。温かい掌の感触に泣きそうになりながらも住居に向かって歩き出す。市内全体に染み付いたとしか思えない血の匂いに何度も吐きそうになった。
更に非道なことに、前日ヨハネの首の置かれていた場所に、翌日には暴動で死んだ人々の首が並べられていたのだった。
街全体に染み付いた血の匂いは時間が経つにしたがって薄まっていく。
暴動から数日が経つが、後の動きは大人しいもので、ヨハネの教団の人間を街で見ることはなくなった。川の方からは次第に人がいなくなり、どこかへ移動してしまったようだった。
そうして川付近が閑散していくのと比例して、ユダは日に日に元気がなくなっていっているようだった。
謹慎が解けて普段通りに仕事をするようになっても、よくどこか思い悩むような顔をしてぼうっとすることが多い。以前のきびきびと働く彼からすると考えられないようなことだった。
そんな日々を過ごしていたある日、シモンは訓練をあけたばかりのヤコブに呼び止められた。
「おい、そこのちびっ子」
「・・・・ちびっ子って、僕にはシモンという名前が・・・」
ヨハネ救出のために協力をしあった日以来、ヤコブに話しかけられたのは初めてだった。嫌な予感がしながらも移動中であった足を止める。兵舎と図書館をつなぐ通路で呼び止められた。
「そんなことより、どうだ? 最近?」
ヤコブはシモンの抗議の言葉を聞き流しながらたずねる。
「どうとは?」
「特に変わったことはないか?」
「あー・・・・、まぁ・・・・」
「ユダはどうしてる?」
どうやら彼が聞きだしたかった事はその事だったようだ。このあと、何か動きがあるとしたらユダだろうと思っているのはヤコブも同じなのだろう。
「やはり、元気をなくされているようで・・・・」
シモンの言葉にヤコブは期待が外れたという顔をする。
「そうか。まぁ、あいつはあの男と仲良かったようだからな。ところで、ツンデレが誰かはわかったか?」
「ああ、はい。どうやらユダ様のことらしいです」
「へぇ、あいつそんな名前もあったのか?」
ヤコブは目を丸くして食いついてきた。
「いえ・・・、どうやら二人の間のあだ名だったようです。普段はツンツンしてるけど、後でデレっとするから、略してツンデレらしいです」
「・・・・・・そうなのか?」
ヤコブは不思議そうな顔をする。確かに考えてみればみるほどユダにはしっくりこないとシモンも思っていた。
その事自体については興味がないらしく詳しく尋ねる事はせずにヤコブは続けた。
「それで、あいつはナザレのイエスとやらを訪ねるのか?」
「それは・・・、わかりません。どうやら迷っていらっしゃるようです。ヨハネ様のように利用させられてもいいのだろうかと」
「へぇ」
ヤコブは意地悪そうな、それでいてどこか愉快そうな顔をして片眉をあげた。
「つまり、あいつはこの熱心党を裏切ろうという腹か?」
「そんな・・・・」
ヤコブの言葉にシモンは顔をしかめる。面白がっていることを隠そうともしないでヤコブは続けた。
「そういうことだろう? あの後誰にもイエスのことは言わず、更には利用されることを嫌がっているようなら。しばらくあいつの動向を見張っておいてみろよ。もしかしたら脱走して探しにいくかもな」
「まさか・・・・」
否定はできなかった。父だってそこまで見越してシモンに見張らせているのだ。
「有り得ないと思うか? 俺だったら未来の見える予言者様にああやって言われたらここは見捨ててさっさと出ていくけどな」
にやり、と言うヤコブに目を丸くして周囲を見渡す。誰かに聞かれたらどうするのだ。
「誰もいねぇよ」
シモンの思考を読んだのかヤコブは不遜に言う。
「・・・・・何が言いたいのですか?」
この廊下は人通りが多い。
いつ人が通るかわからない場所で離反を示すような言葉を口にされて、内心ヒヤヒヤしていた。
「別に。ただ気になっただけだ。あの筋肉もたまにぼんやりするようになってきてるし」
「・・・・タダイ様が、ですか?」
脳裏に豪放なあの男の姿を思い浮かべる。落ち込むようには思えない強さが滲み出る人だと思っていたのに。
けれど、ヨハネが殺された日、タダイが呟いた言葉が耳に浮かぶ。あの口調には何とも言えない悲しみを感じた。
「・・・・・あの方も、心情的にはヨハネ様に思い入れがあったようですから。・・・今でこそああやって力強くいらっしゃいますが、昔は苦労なされたようですよ」
思い出しながらそう言うとヤコブは片眉をつり上げた。
「へぇ。どんな?」
「・・・・・・あー・・・」
言ってもいいものかと少し迷ったが、この男なら上に告げ口などしないだろうと思った。
絶対に誰にも言わないで欲しいと告げ、彼の過去を掻い摘んで話した。ヤコブは面白いものでも見るような目をしてシモンを見ると、意地の悪い笑みをますます深くしたのだった。
「で、その話、信じたのか?」
「・・・・え?」
「普通信じねぇだろ、そんな話」
ニヤニヤと、からかわれているように告げられて嫌な気持ちになる。
「・・・・・・どういうことですか?」
「まず、その話は必要なことを話していないのか、もしくは半分は嘘だ。気付かなかったのか?」
「・・・・・・何を、ですか?」
訝しく思い問うと、どこか小馬鹿にしたような笑みを浮かべてヤコブは続けた。
「逃げ出してきたと言ったよな?」
「・・・・・ええ」
「あの国の奴隷にはいろんな種類があるが、あの筋肉男に高度な教養があるとは到底思えないから、多分家奴隷か農場での奴隷、もしくは公営奴隷だな。話を聞く限りじゃ農場か公営だと思うが」
公営奴隷とは国や市が所有している奴隷の事で、道路などの公共事業に駆り出される。
「そういう奴らは首輪をつけられて所属を書かれるんだ。脱走した時に連れ戻せるようにな。にも関わらずあいつは脱走した。首輪がついているのに易々と逃げ出せるほど甘い場所でもないだろうし、金属の首輪を鍵もないのにどうやって外したっていうんだ」
「・・・・・・そういえば」
ローマの奴隷制度については学んだことがあった。しかし、彼の話を聞いても特に何も思うことはなかった。疑問すら、抱かなかった。
「つまり、お前が騙されたか嘘をつかれたかって話なんじゃねぇの。何のためにお前みたいなお子様を騙したかはわかんねぇけど」
ははっ、とヤコブは笑いながら言う。自分の上司の筈なのに随分気安い。
「あんないい方が人を騙すなんて・・・、信じられません」
睨み付けて答えると、ヤコブは初めて不快そうな顔をした。
「馬鹿。腹黒い奴ほどいい人の仮面を被るもんだろうが」
「・・・・・・・・・・・・・・」
ふいに、脳裏に父親の顔が思い浮かんだ。シモンと二人きりでいる時には彼をなじる父は、外に出ると思慮深い善人として扱われている。シモンに対しても「かわいい息子」などと言い、優しい父親を演じる。
頭を振って考えを追い払い、ヤコブから目をそらす。
「・・・・あの方は、奴隷の方が捨てられているのを見るのが嫌だと」
「そんなことはどうとでも言える。どこでも奴隷の扱いがひどいのは周知の事実だろう?」
「・・・・・・・・・・・」
黙り込み、俯いたシモンに更にヤコブは叩きかけてくる。
「お前、知識はあってもそれを使う知恵はないタイプだな。よくその話を聞いて何も思わなかったもんだ」
「・・・・・・・・・・」
唇を噛む。悔しかった。
「そもそも人を疑わないのか? 俺だったらあんなタイプの男は、絶対裏があると思うけどな」
「・・・・・・・・・・・・」
吐き捨てるように言うと、ヤコブはどこか遠くを見る。妙に言葉に実感がこもっているように思えた。誰か実際にそう言う人を知っているのだろうか。
何も言い返すことが出来ずシモンが睨みつけると、気付いた彼は痛くもないというような顔をして肩を竦めた。
彼の言ったことは語調はキツいものの、真実だった。
頭の中に、父の言葉が響く。
『だからお前は使えないんだ』。
「ま、どっちにしろ俺は上に言う気はないし、ローマが憎いのは変わらないからいいんだけどな」
「おい、何を話してんだ?」
ふいに背後から声が聞こえ、振り返ると先程まで話題にされていたタダイがいた。自主的にトレーニングでもしていたのだろう、体中に汗が光っている。
タダイは、シモンの泣きそうな顔を見ると眉を潜めた。
「おいおい、ヤコブ。こんな子供をいじめちゃいけねぇぞ?」
「いじめてねぇよ」
真面目なタダイの言葉にヤコブは笑みを消して眉をひそめた。
「え・・・、子供って・・・・」
言われた言葉に軽くへこみながらも、シモンはこの二人からしたら自分はまだまだ幼いかもしれないと思い直す。
「何を言われたか知らねぇけど、あんま気にするなや。この男は口は悪いが根はいい奴なんだ」
にか、と笑い、言うタダイにシモンの頬がひきつる。先ほどまで散々に言われていたのに、知らないとはいえ人の良い彼に同情の念さえ湧いた。
ヤコブも不本意そうな顔をして鼻を鳴らし、挨拶もおざなりに兵舎へ向かって歩き出す。
後にはシモンと不思議そうな顔をしたタダイが残ったのだった。
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