第10話 「シモン」 その3



「シモン、いるかい?」


 夜遅く、シモンの部屋の扉が叩かれた。固い音が彼の来訪を告げる。

 こん、こん、というその音にシモンはびくりと体を震え上がらせる。優しく二度叩くその音は恐怖の来訪と同義だった。


「・・・・・父さん」


顔を見れないながらも一応迎え入れる。


「聞いたよ。昨日のこと」


 心なしか父は冷めた顔をしてシモンを見ている。

 彼、ムガルはシモンの他に四人ほど子供を持っている。彼らは皆優秀でユダよりも高い地位にいた。

 両親が熱心党に所属している人間は最初からある程度の地位に就くことが出来るというのに、未だにこんな下っ端なのは彼の子供の中ではシモンだけだった。そのせいか、父のシモンに対する態度は冷たい。


「まったく、使えない子だと思っていたけど、また失敗したんだってね」


 溜息を吐きながら父が言う。

 冷たい言葉に背中に汗がどっと吹き出てきた。


「も、申し訳ありませ・・・」


 父はシモンを言葉と態度で傷つける。父が彼の部屋にやってくるとこうして身体を縮こまらせて耐えるしか無かった。


「本当に、お前は何をやってもダメだねぇ。まぁ、今回も正直監視以上の事は望んでいなかったけれど」

「・・・・・・・・・・」


 三人と行動を共にすることになった時、シモンだけにはもう一つ指令が与えられていた。ユダの監視である。

 以前から仲の良かった彼に、何か予言でもするのではないのか、それが有益な情報につながるのではないのだろうかという思惑から、四人の中にシモンが加えられたのだった。


「それで、そのユダはどうだったんだい?」

「・・・・・あの、その」


 何か言わなければいけないような気がしたが、頭が真っ白になって言葉が出てこなかった。いつもそうだ。父を目の前にすると体が凍り、のどが枯れる。


「ユダ様は・・・、ヤコブ様と一緒になって僕たちとは別れて行かれたので」

「・・・・・・・私はお前にユダを見張っておくように言った筈だよねぇ?」


 猫がネズミをいたぶるような声音に心臓が掴まれたような心地がした。イラついていることは少なくとも理解出来るためにますますシモンは縮こまる。


「す、すみません! でも、その、下手に言うと怪しまれますし・・・」

「それで、のこのこと帰ってきたわけかい? ヨハネとユダの間にどんな言葉が交わされたかも聞かずに」

「・・・・・・・・・はい」


 はぁ、と父は大きく溜息を吐く。

 聞き慣れたその音に、劣等感が全身を満たす。焦る頭で何とか彼の機嫌を取らなければと思った。


「あの、その、でも、ヤコブ様にどのような事を話されたかはお聞きしました」

「それは信用出来るのかい?」

「多分、そうだと思います。・・・救世主になる男がいるって、お聞きしました」

「・・・・・・・・・へぇ」


 やっと、父が興味を抱いたように片眉を上げた。


「ナザレのイエスという男らしいです。そう、ヨハネ様が予言されたと」

「ナザレねぇ・・・・・・・。聖書の言葉と違うじゃないか」

「・・・・・・・・・はい」


 ムガルもシモンと同じく眉唾ものだと思ったのだろう。


「まぁ、頭には留めておこう。よく伝えてくれたねぇ」

「・・・・・・・・・・・」


 父のその言葉にシモンは顔を上げる。

 やっと、少し褒められて嬉しかった。


「それじゃあ、お前は引き続きユダを見張ってくれるかなぁ?」

「え?」

「彼がどう動くか、逐一報告してくれるよね?」


 疑問符はついているものの、彼の言葉はシモンにとって絶対だった。

 シモンが首を縦に振ると、彼は満足げに踵を返し外へ出た。これまでの緊張が解け、倒れ込むようにベッドへ横たわる。

 いつもこうだった。

 父と話すと気疲れして、彼の姿が見えなくなるとその場へ崩れる。

 小さい頃から絶対君主としてシモンの中にあった彼は、他の兄弟達と比べあまり賢くないシモンを嫌っているようだった。

 蔑んだ目で見られ、劣等感に足の指の先から頭のてっぺんまで満たされてきりきりと胃が痛む。

 そうして、もっと嫌われないようにと、必死になって彼の機嫌を取ろうとするのだった。

 明日から、どんな些細なことでも見逃さないようにユダにくっついていよう。

 そう思い、シモンは未だどくどくと五月蠅い心臓を抱え目をつむった。







 朝、遠くで聞こえる轟音で目を覚ます。

 信者達の暴動が始まったのだ。

 処刑されたヨハネの首が広場に晒されたことで、熱心党の中だけではなく、教団をはじめとする市民の中に混迷を招いたのだった。殺気立った顔をして広場の中に集まっている信者達は憎らしそうにヨハネと城を見比べている。


「・・・・・危ないな」


 そう呟いたのは、謹慎処分を受けているはずのユダだった。

 路地裏に隠れ、広場に集まる信者達を遠くから見つめている。本来ならば自分の部屋で大人しくしていなければならない彼は、大胆にも熱心党の一部の人に知られている抜け穴から外へ出て、広場の様子を見に来ていた。

 ユダの部屋の前で待機していたシモンはそれを見て無理矢理ついていく。ユダは最初は渋っていたのだったが、彼を置いていくよりも共犯にしたほうがいいと考えたのだろう、最後には何も言わずシモンと共に外へ出た。

 ちなみに、謹慎処分を受けているのは何も彼だけではなく、シモン達四人ともである。


「このままでは信者が暴走してしまう。そうなると、また無駄に血を流すことになるな」

「既に棍棒を持っている方までいらっしゃいますしね・・・」


 ユダの後ろに隠れるようにしてシモンは同調する。急にユダが踵を返した。


「ヨルダン川のほうへ行く。多分、彼の高弟達はそこにいるだろうから」





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