シモン

第8話 「シモン」 その1

 石造りの小さな裏道を進んでいく。

 舗装された道は荷車が難なく通り、シモンも、彼の目の前を歩くタダイも顔に余裕が戻ってきた。大分城から離れ、活気のある市場へと出る。


「もう追っ手もこねぇだろ。よし、ここらでちょっと休憩しないか?」

「ええ、いいですね」


 タダイの提案に荷馬車を道の脇に移動させ、その上に座る。


「今頃ヤコブ様もユダ様も城内に進入して、うまくなされていらっしゃるでしょうか?」


遠くに見えるアンティパス王の城を見つめながらシモンはタダイに問いかける。タダイも同様に城を眺めた。空が眩しい。すんだ青空からは今日一日の喧騒など遠い出来事のように思えた。


「少なくとも見つかっちゃねぇだろうよ。あの城は働く兵士の数も多い。全員が全員の顔を知っていることはまぁ、まずねぇだろ」

「そうだといいんですが・・・」


 シモンは市内を見渡した。

 街がどんどん発展していっているのだろう、数年前からすると嘘のような城塞都市になっていた。

 普段、シモンは熱心党の建物から外へ出ることが少ない。

 熱心党は豪奢な建物を基本住居としており、ティベリウスに住む党員はそこに固まって生活している。内部で生活する分には何の不自由もない上に、日々の仕事に忙しいのでよほどのことがなければ外出する機会がなかった。

 その為か、なにもかもが新鮮に見えた。それこそ市場の渡り商人の売っている何かよくわからないような奇抜な色をした果物まで。

 城から視線をずらし、じぃっと果物を見つめていたシモンに苦笑してタダイはその果物を購入し彼に渡す。

 まるで孫にでも小遣いを与えるお爺さんのような顔をして差し出すので、居心地悪く思いながらもシモンは果物を受け取り、その中の一粒を口に含んだ。紫色の粒が房についているその果物は甘く、水分が疲れた体に心地よかった。


「これは葡萄だ。すりつぶすことで葡萄酒になる」

「え、これが葡萄酒のもととなっているのですか?!」

「あの禁欲的な熱心党の中にだけいたんじゃ、見ることもないのか。ローマでは、主に貴族層にだが、日常的に食べられてた」


 タダイは言いながら二つ目を口にする。彼の言葉に目を見張った。


「・・・・タダイ様はローマにいたこともあるのですか?」

「まぁな」


 言いにくそうにそう言って、タダイはさらにもう一つ葡萄の粒を口に入れる。

中には種もあって食べにくいのに、彼は気にせず飲み込んでいるようだった。


「正直なところ、熱心党に来る前はローマの奴隷だったんだ」

「えぇ、そうなんですか!?」


 意外な話に目を丸くする。

 今は将軍として熱心党の中で名高い彼が、ローマに隷属している姿を想像することがシモンには難しかった。

 熱心党はローマから自治権を取り戻し、自分たちによる統治を目指している団体だというのに、シモン自身はローマはどこか遠いおとぎの国のような気もしていたのだ。


「熱心党の中では言うなよ。特に、知識層の奴らはあんまり快く思わねぇだろうからな」


 タダイは戯けて唇の前に人差し指を持ってくる。シモンは頷き返した。


「ええ・・・、それはわかってますけれど・・・。何故、それなのに今ここにいらっしゃるんですか?」

「あー・・・」


 タダイは唸って空を仰いだ。


「俺は、もともとエルサレム近くの村に生まれた農民だったんだ。・・・あの年は稀にみる凶作の年だったな。せっかく作った作物ですらローマに税として取られていった。俺らは食っていけなくって、あとはただ餓死するのを待つだけだった」


 タダイと同じように空を見上げる。たまたま一匹の鳥が上空を飛んでいった。


「そんな時、ローマでは身分に関わらず奴隷すら実力があればのし上がれるっていう噂を聞いた。このまま死ぬくらいだったら、と思って俺はローマで奴隷になることを決めたんだ」

「・・・・そうなのですか?」


 とても今の自信に溢れ、堂々としている彼からは考えられないとシモンは思った。


「けどなぁ、ローマで見たのは故郷以上の地獄だったよ。確かにあそこは富んだ国だ。けれど、貧富の差は俺達がいた村以上にひどかった。・・・・というより、富のある奴らが近くにいる分、余計惨めに思える。あそこは、その日食うものにも困って奴隷たちが鼠を殺して食べているのを横目に、貴族達が大量の食事を用意し、食べきれなかったら、食べた物を吐いてまた食べる。そんな所だった」


 タダイはだいたいの葡萄を食べ終え空を仰ぎながら喋っていた。ため息をついてシモンに視線を戻す。


「何より・・・・・・、奴隷の奴らは一生をかけて稼いだ金を何に使うと思う?」

「え・・・? 食事、とかですか?」


 いきなりの問いかけにドキドキしながらも答える。


「いいや、葬式だよ」


 けれどタダイの答えはシモンの予想を大きく外れていた。

 シモンは目を丸くする。葬式なんて、遠い未来の話だと思っていた。自分の葬式が執り行われることすら考えられなかった。


「誰だって自分が死んだときにはきちんと埋葬してもらいたいもんだろ? だが、あそこで金がない奴が死んだら、火葬場に放置されるか、ゴミ捨て場に捨てられるんだ」

「・・・・・そんな」


 ユダヤは貧しいものの、死んだ時にはきちんとした儀式がなされ、奴隷ですら埋葬される。

 タダイの言葉に眉をひそめた。


「仲の良かった奴も、死んでそこに捨てられた。何人もだ。・・・・・・・俺がここにいても、行き先はここだと思うと寒気がした」


 タダイはシモンから目をそらすと地面を見つめた。シモンもつられそちらを見る。家々が長い影を作っていた。


「いろいろあって、奴隷から解放される為のチャンスが与えられたんだが・・・、嫌で逃げ出したんだよ」

「・・・・・・そうなのですか」


 タダイは曖昧な笑みを浮かべる。

 なんとなく、詳しくは聞いてはいけないような気がした。


「あそこからしたら、まだここいらは天国だ。奴隷ですら葬式を受けることが出来る。・・・・・ヨハネ様に至っては、無料で人々の罪を洗い清めようと洗礼までしていた」


 タダイは、現在ヤコブとユダの二人がいるはずのアンティパス王の城を見た。


「・・・・・死んで欲しくねぇなぁ、本当に」


 掠れたようなタダイの声にシモンは何も言うことが出来ず、ただただぼんやりと地面を見続けていた。



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