第5話 「洗礼者ヨハネ」 その5




 数日の間、ユダは暗澹とした気分で日々を過ごしていた。

 あんな告白を聞いたのだから仕方がないだろう。

 そうは言ってもユダには彼のために出来ることは考えつかなかった。上層部からの催促もあり、再び彼の所を訪れた事もあったが、生憎彼はまるで狙ったように不在続きだった。ほんの数ヶ月前はあちらから頻繁に訪ねてきていたというのに。

 そんな事がしばらく続いたある日の朝だった。

 彼はどたばたという騒がしい足音で目を覚ました。


「ユダ様、ユダ様、大変です!」


 栗色の髪を耳の後ろで切りそろえた少年が息せき切って入ってきた。いつもならばそんな無礼なことを上司であるユダに対してするような子ではない。ユダよりも5歳年下の彼は、名前をシモンと言った。


「・・・・・なんだ、シモン。慌ただしい」


 ユダは朝に強くない。いきなり叩き起こされた不機嫌さを隠そうともせずに半身だけ起き上がりシモンを見た。


「あの、その、大変なんですっ」

「だから、何が大変なんだ」


 シモンが息を整えている間にユダは欠伸をする。けれどそんな余裕は続くシモンの言葉で吹き飛んだ。


「ヨハネ様が、ヘロデ・アンティパス王に捕らえられました!!」


 シモンが持ってきたニュースに、ユダは固まる。

 捕まった、ということはもうすぐなのだろうか。嫌な予感が頭をかすめた。


「・・・・・・・表向きは、何で捕まったことになっている?」


 ベッドから降り寝間着のままシモンに詰め寄る。シモンの体は震えていた。気の小さい子供だ。この後どうなるのか不安なのだろう。


「ここ最近のヨハネ様はアンティパス王を糾弾なさってましたよね? 女性関係のことで・・・」

「ああ・・・」


 ヨハネもただ嫌いだからといって糾弾する事はない。

 アンティパス王は、自分にとって姪っ子にあたるヘロディアを妻に娶ろうとした。自分には既に妻がいるというのに。

 そして、その妻がまた問題だった。

 彼女はアラビアの王の娘なのだ。

 彼女は怒ってアラビアへ帰り、あと一歩で戦争という所まで発展した。

 王は見栄っ張りだった。エルサレムにも負けないようにとこの街をローマから石工を呼んでまで城塞都市として築きあげようと工事を続けている為に税金が高かった。

 それが戦争のおかげでさらにそれが跳ね上がり、市民の腸は煮えくり返っているのだ。ヨハネは税金のことではなく、あくまでも道徳上のこととして批判したのだが、それでも市民が喜び支持するようになり、彼の人気は高まっていた。


「あのっ、それで、首長が、ユダ様を呼んで来いって、おっしゃられて・・・」

「ああ、すぐに行く」


 言って着替えるとシモンと共に会議室へと急ぐ。

 会議室ではユダとシモンの他にもう2人、男が首長達の前に立っていた。

 ほぼ初対面に近いもののその顔にはユダは見覚えがある。1人はタダイといい、北の方から来た男である。武術に長けており、熱心党内の軍部で部隊長の一人として働いている。

 もう1人はヤコブという。数年前に熱心党に入党し、剣術の腕を武器に見る見るのし上がってきた男だった。


「よく来てくれた。もうヨハネ逮捕の話は聞いておるな?」


 首長が苦々しそうに言う。


「ええ。さきほど」

「それならば話は早い。お前たちは4人で彼を助けだしてこい」

「・・・・・・・!」


 四人が息を呑む音がする。


「ヨハネが捕らえられたことで、彼を支持する教団が混迷のあまり、武器を持ってアンティパス王の城に向かっていくことが予想されるのは分かるな?」

「・・・・・ええ、まあ」

「その前に、私たち熱心党がヨハネを救出し、彼らの前に差し出したとしたら、彼らはどう思うと思うかね?」


 蛇のような瞳だった。ユダは頬の裏の肉を噛むことで苦々しさに耐える。


「・・・・・・・・・・・なるほど、うまくいけばこちらに有利な条件であの勢力を取り込むことが出来る、と言う事ですか」


 たしかに、以前見た彼の弟子達の様子では確かに決起しかねないだろう。


「そういうことだ。わかったら、すぐに支度をしろ」


 そううまくいくだろうか。

 ユダはヨハネの顔を思い出して眉を顰める。彼は基本的に考えも行動も曲げない男だ。付き合いの長いユダはそのことを嫌というほど知っていた。仮に助けることが出来たとして、彼がそう簡単に御せるようになるとは思えなかった。

 けれど首長に逆らうことは出来ない。

 それに、予言の通りだとしたら彼はここで死んでしまう。

 それだけは阻止したかった。

 渡りに船だ。

 ユダは神妙な顔をして頷き、タダイ、ヤコブ、シモンと共に計画を練る為にその場を後にした。


「お前がユダかぁ、初めまして」


 ユダの仕事部屋に移動すると、友好的にタダイは手を差し出した。

 同じ熱心党といってもその規模は大きい。会計役のユダは武力関係者とはめったに接触することはなかった。


「俺はタダイってぇんだ。こっちのがヤコブ。俺ら二人とも兵士の出身だから、礼がなってねぇことがあると思うがそこは勘弁してくれ」


 タダイがにぃ、と笑うと日に焼けた肌から白い歯が覗く。武人というだけあって力強い体つきをしており、無数の傷跡がついていた。うまくやれそうだ、とユダは内心安堵し彼の手を握り返した。


「いいえ、こちらこそ、この度はお力をお貸しいただき、誠に・・・」

「おいおい、そういう堅苦しいのはやめてくれよ。今からちょっととはいえ、チームを組むんだからさ」


 豪放に言ってのけるタダイにユダも苦笑して返す。


「それなら、そうさせてもらおう。私はユダ。この熱心党では金銭関係の取締をしている」

「えっと、僕はシモンって言います。ユダ様の部下でお金の管理をしています」


 ユダの言葉にシモンが続く。おどおどとした態度で頭を下げた。最後にヤコブが一歩踏み出す。タダイ程ではないにしても彼も戦士らしく筋肉が程よくついた体つきをしていた。髪は短く、耳にピアスをジャラジャラとつけている。軽薄そうな雰囲気に、苦手なタイプだな、とユダは内心で思った。


「俺はヤコブ。そっちの筋肉野郎と違ってただの一兵卒だ」


 ヤコブはタダイを指さして言う。

 ヤコブの言葉にタダイは苦笑しただけで、特に言い返すことはなかった。

 確かタダイの方が位は上だったように思うが、こういう間柄なのだろう、と理解しユダは何も言わなかった。

 さっそくヨハネをどうやって助け出すかを話しあう。


「聞いた話だと、ヘロデ王はヨハネ様を殺す気はないらしいですが、やはり捕らえられた以上どうなるかわからないというところが現状です」


 シモンが口火を切る。


「なるほど。それじゃ、出来るだけ早く助けたほうがいいな。ヨハネってぇやつをヘロデ王が殺すかどうかよりも、教団の士気のほうが気がかりだ」

「ああ、朝見に行ってみたら、相当殺気立っていたからな」


 タダイ、ヤコブと続ける。


「城内の地図は・・・、確か、保管してあったな」


 熱心党内にはスパイとしての仕事をしている人もいる。蜂起する日のためにアンティパス王の城の内部の構造を少しずつ調べ、地図を作成しているのだ。

 ユダはシモンに指示し、それを取ってきて机の上に広げる。何年もかけて制作したものなので現在と違っているところがあるかもしれないが、それでもある程度正確な地図である。


「明日、祝いの宴が行われるという。狙うなら警備がそちらに行き、城内が手薄になっているその時だろう」


 ユダは机上に広げられた地図の庭のあたりを指差す。晴れていれば十中八九ここが宴会場になるだろう。


「しかし、どうやって入る?  城門に少なくとも8人。それを囲むように周囲にはたくさんの兵が配置されている。この守備を掻い潜って中には入るのは・・・」

「兵隊に化けて入る、というのはどうでしょう?」


 タダイの言葉にシモンが提案するが、即座にヤコブによって否定された。


「入る、という時点では勧めることは出来ない。守備をするという任務以上のことは出来ねぇだろうからな」

「それじゃあ、どうするんですか?」


 焦れたシモンにユダが笑う。


「・・・・正面から、堂々と入るしかないだろう」


 3人は不思議そうな顔をした。



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