第3話 異世界の友人

 二週間が経過した。

 奈々子は、図書館の受付簿を見てため息をついた。

 見ていたのは、二週間前の記録である。

 図書館で働いている同僚が落書きだと主張したその文字は、奈々子にだけはドニアと読むことができる。


 奈々子が知る、どの文字とも似ても似つかない。それなのに、読むことができるのだ。

 二週間が経過し、奈々子は、返却未済から紛失の記録に移そうとした時、突如背後の扉が開いた。


 ごく、僅かである。

 少しだけ開き、それ以上は開かない。

 こういう開き方に、奈々子は心当たりがあった。

 振り向くと、見覚えのある綺麗な顔が、じっと奈々子を見つめていた。


「遅かったわね」

「……ごめん。間に合わなかった? でも……汚していないよ」

「大丈夫、間に合っているわ。はい」


 扉の隙間から、貸し出したゲームの攻略本が返却された。確かに綺麗だ。汚れていない。


「役に立った?」

「……うん。でも……僕が攻略しなくちゃならないダンジョンとは、ちょっと違った」

「そうなの……どのぐらい違うの?」


「地図が役に立たなくて……結局自分で書いたの……出てくる魔物も違ったし、宝箱の位置も……」

「なら、役に立たなかったわね」

「ううん。ダンジョン探索の心得とか……一時間進んだら休憩をとるとか……疲れる前に休むとか……とっても役に立ったよ。なんとか攻略できたしね……フレイエルにも褒められたんだ」


 フレイエル、という名前に、奈々子は少し嫌な気持ちになった。ドニアを虐める教育係だ。


「……また、何か知りたければ探してあげるわ」

「……人間の、お城のこと、詳しく知りたいな。今度、人間のお城に潜入するんだ」

「そう。でも、お城によって特徴は違うわ。どんなお城?」


 奈々子は、日本の名城を思い描いた。姫路城が有名だ。とても綺麗だし、遺跡が立派に残っている。


「……大勢の人がいて、宮廷マナーっていうの? ダンスとか、するみたい。すぐに覚えられるってフレイエルは言うんだけど……自信なくて……」

「……ああ……お城の建物のことを詳しく知りたいんじゃなくて……お城に住んでいる人たちのことを知りたいのね。でも、そういう専門書はとても重いし……閲覧だけで貸し出し禁止になっているのよ。ちょっと待って……わかりやすい本があるわ」

「どんなの?」


 ドニアが首を伸ばして、扉の隙間に顔を近づけた。男性とは思えない、綺麗な顔だ。奈々子は少しドキドキしながら、コミックの棚から何冊か選んだ。漫画であれば、一回に5冊まで貸し出しが可能だ。


「これ。王宮の生活が描かれているわ」


 ぱらぱらと巡る。


「わぁ……凄い……絵で内容がわかるんだね。これなら、絵の真似をすればいいや……貸してくれるの?」


 ドニアが上目遣いに奈々子を見た。その表情は反則だと思いながら、奈々子は貸し出し簿を扉の隙間に入れる。


「全部で40冊以上あるのよ。読み終わったら、次のを貸してあげる。でも、長くても二週間以内に読み切ってね」

「……うん。ええと……ベル……バラ……1巻から5巻……ドニア……これでいい?」

「ええ。確かに」


 同僚が見たら、絶対にいいとは思わない筆致だったが、ドニアがとても丁寧に自分の名前までを書いているのを見ていた奈々子は、とてもダメだとは言えなかった。言ったところで、ドニアに日本語は書けないだろうし、この世界のどの文字も書けないのだ。


 奈々子が5冊のコミックスを扉の隙間に押し込む。ドニアが受け取った。

 本や受付簿は入るのに、人間は入らない。手が途中で止まるのだ。

 本を受け取ったドニアの指先が、奈々子の指先に触れた。


「……あっ……」

「……この位置なら、ぎりぎり触れるのね」

「……うん」


 奈々子の指の先端が、ドニアの指に触れる。深い意味はない。不思議な異世界にいるらしいドニアに、触っているような感触を得られるだけでも、楽しかった。


「……私も、そっちに行ければいいのに」

「僕も、そっちに行ければいいのに」


 二人は同時に呟き、互いの声を耳にして、同時にはにかんだ。


「……ドニアの世界、辛いの?」

「奈々子の世界は?」

「いいところよ。でも……たまに逃げ出したくなるの」


「……そう。僕は、毎日逃げ出したい」

「……なら、こっちに来た方がいいかもね」

「うん」


 ダンジョンがあるような世界だ。命の危険もあるだろう。それよりは、平和な日本で生活しているのだ。危険な世界に行こうとは思わない。


「また来るね」

「6巻から10巻まで、用意しておくわ」

「うん」


 ドニアの笑顔が脳裏に焼き付いたまま、扉が閉ざされた。






 翌日、いつものように図書館のカウンター内で仕事をしていた奈々子の背後で、早くも扉が不自然に空いて止まった。

 まさかとは思いながらも、奈々子が視線を向ける。

 ドニアがいるのが、扉の隙間からわかった。


 派手な格好をしていた。金色を帯びた綺麗な直毛を、パーマを当てたように巻き、一房を顔の前に垂らしている。

 青地に金の刺繍が入った派手な軍服まがいの服は、明らかに、奈々子が貸した本の影響を受けている。


「……ドニア、どうしたの?」

「……本の通りにしたんだけど……変じゃない?」


 変だった。普段着としては、これ以上おかしな服はないとも言える。だが、ドニアの住む世界はわからない。それに、ドニアの言葉によれば、これから王宮で生活するというのだ。


「……とっても素敵よ。どうして? 気に入らないの?」

「……ううん。みんなは褒めてくれるけど……自信がなかっただけ。奈々子がそういうなら、きっと大丈夫よね。それから……はい」

「ああ。もう読み終えたのね。じゃあ、こっち……すぐに王宮に行くの? ちゃんと返せる?」


 奈々子は、昨日貸した漫画の続きの5冊を渡しながら尋ねた。ちゃんと貸し出し簿も渡す。


「うん。この扉、僕が好きな場所で呼び出せるんだ。だから、お城に行っても大丈夫だよ……お城の生活が事前にわかってよかった」


 ドニアに感謝され、奈々子は嬉しくなった。もちろん、漫画で仕入れた知識で、本当に役に立つのかという不安はある。だが、中世の宮廷生活を解説した本を渡して、呼んで勉強しろというのは、むしろ酷ではないかと思えた。


 何しろ、奈々子が知る歴史上の王宮とは、全く別の作法がある可能性が高いのだ。漫画でイメージだけを仕入れて行くのが、むしろ困ったことにならなくてすむだろう。


「もう……行くの? 忙しい?」


 受付簿に名前を書いたドニアは、奈々子に名簿を返した。新しく貸した5冊をしっかりと抱いている。


「ううん。忙しくはないよ。そっか……せっかく、図書館とどこか違う場所が繋がったんだから、色々試したいよね……こっちのものも……そちらに送れないかなぁ」


 ドニアは、扉の隙間から見えない場所から、細い花瓶を取り出した。


「あっ……面白いわね」

「でしょ」


 ドニアは綺麗な笑顔でにこりと笑いながら、細い花瓶を扉の隙間に入れる。

 奈々子が手を伸ばした。

 奈々子の手に、花瓶が収まった。


「……通ったね」

「……うん」

「じゃあ……これは?」


 ドニアは、古ぼけた銀貨を取り出した。

 奈々子もまた受け取ろうとしたが、今度は触れることもできなかった。


「……やっぱり駄目か……僕たち魔族は、この銀貨とか金貨を代償に魔物を召喚するんだ。だから……別のところに預かってもらうことはできないんだね」

「……魔物?」


 ドニアが魔族と名乗っていることは知っていた。だが、忘れていた。あまりにも人間に似ていたし、人間としてしか接してこなかった。やはり、人間ではないのだろう。


「うん。魔族としてたくさんの勤めを果たさなくちゃならないから、手伝いのために魔物を召喚するんだ。強い魔物ほど沢山のお金が必要なんだよ。だから……魔王はお金持ちだね」

「魔王……ドニアも、魔王になるの?」


「……なれるかなぁ。憧れるけど。でも……魔王になれるのは、ほんの一握りだって言われているし……」

「ねぇ……ドニアみたいに、異世界の図書館と繋がっている魔族って、たくさんいるの?」


 奈々子は、自分が何を尋ねているのかわからなかった。ただ、衝動に突き動かされていた。


「んっ? わからないけど、僕以外は知らない。奈々子の図書館、異世界なの?」


 ドニアは目を丸くする。以前にも同じやりとりをしたことがあったが、ドニアはその時は本気にしていなかったのだろう。奈々子はおかくなった。


「……わからない。でも、私は魔族も魔王もしらないし……ドニアは、魔族がうまく正体を隠しているからだって言うけど、本当のことはわからないでしょ。ひょっとしたらって思ったの……最近……異世界の魔王が出てくる本が、たくさん出回っているのよ」

「……へぇ、凄いや。異世界がたくさんあって、沢山の異世界に、大勢の魔王がいるんだね」


 ドニアは面白いように驚いてくれる。奈々子は、ドニアのことがすっかり気に入っていた。


「……もっと、知りたい? 大勢の魔王のことを知れば、どうすれば魔王になれるか、わかるかもしれないわ。他の魔族にはわからない、たくさんのことを知ることができるわ……わたしと……いつまでも繋がっていればね」


 奈々子は、自分の言い方が、少しいやらしく響くのを自覚していた。ドニアはそう取らなかった。

 目をキラキラと輝かせる。そんな目をしないでほしいと、奈々子に思わせるほどだ。


「……凄いや。奈々子……お願い。これからも、色々教えて」

「もちろんよ」


 奈々子は胸を張った。

 ドニアは可愛い。まるで、愛しいペットに信頼されている気持ちだった。

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