第2話 異世界の図書館

 図書館の司書奈々子は、事務室への扉が突如異世界らしい、奇妙なところにつながったものの、出入りできないことに失望した。しかしながら、魔族を魔乗る綺麗な子に再び出会えることを、楽しみにもしていたのだ。


「……僕、教育係の魔貴族に命じられて、ダンジョンを攻略しなけりゃいけないんだ」


 奈々子には仕事がある。ドニアと名乗った魔族とは再び会いたかった。だが、仕事中である。あまり相手もしていられない。


「ダンジョンなんて、本当にあるのね」


 異世界であれば、そういうものもあるだろう。文学書だけでなく、ライトノベルと言われる最近の小説も拾い読みしていた奈々子は頷く。


「もちろんさ。知らないの? ダンジョンって、世界中にあるんだよ。魔族として出世すると、ダンジョンを作る権限が与えられるんだ。自分でダンジョンの設計図を書いて、魔貴族に提出して、認可されると自動で生成されるの」

「なんだか……お役所の仕事みたいね」


 奈々子は、公立図書館に雇われた公務員でもある。自分の仕事と比較して、そちらのほうが公務員らしいとおかしくなった。


「……そう? お役所も、どこかにあるのかなぁ……誰かがダンジョンの設計図を認可しているんだろうから、魔王のところだと、そういう仕事をしている魔族もいるかもしれない。ひょっとして、人間かも……」


「魔族のダンジョンを、人間が認可しているの? おかしいじゃない」

「おかしくないよ。人間とうまく付き合えないと、魔族の中でも出世しないって聞いているよ。強力な魔族ほど、うまく人間を利用している。魔族ってほら……魔物と違って外見は人間と変わらないから……人間からは魔族だって知られていない場合も多いんだ。人間と一緒に住んで……人間が知らないところで、魔族同士が戦っているの」


「ふぅん……じゃあ、人間と魔族は協力関係で、魔族同士は敵なの?」

「どうだろう……そうとも言えないかな。魔族が勢力を広げるには、魔物を使役することが必要で、魔物の召喚には、お金がかかるんだ。人間はお金が欲しくて魔物を倒すし、魔族は人間からお金を奪って魔物を増やすから……お互いに、騙し合いなのかも……」


「なんだか、嫌な世界ね……私の住んでいる世界でも十分にややこしいと思っていけど、そっちの世界はもっとややこしいのかしら」

「えっ? 奈々子、違う世界にいるの?」


 ドニアがとても驚いた顔をした。奈々子としては、ドニアに異世界の認識がなかったことのほうが驚きだ。


「……そうだと思っていたけど……違うの?」

「わ……わからない。でも……他の世界? ははっ……そんなはずがないじゃない。だって奈々子と普通に話ができるし、見た目も僕と変わらないし……」


 ドニアは自分の頬をつついた。ドニアに言われると恥ずかしくなった。それほど変わらないなどと言われると恥ずかしくなるほど、ドニアは整った綺麗な顔立ちをしている。


「ねぇ……ドニアって、男なの? 女?」

「どうしたの? 急に」

「だって……知りたいじゃない。私が会って話をしている人のこと……私以外の人は、あなたの世界とつながっていることもわかっていないもの……できるだけ、ドニアのことを知りたいわ」


「……うん。そうなの? 別に隠すことでもないけど、男だよ。確かめないとわからなかった?」

「そう……初めて見たときは、女の子だと思ったわ……綺麗な顔しているもの」

「そう?」


 ドニアには自覚がないようだ。ひょっとして、と思い、奈々子はスマートフォンの画面を鏡状に切り替えて扉の隙間から見せた。


「……ねっ?」

「……えっ?」


 ドニアの反応は意外で、突然背後を振り返ったのだ。奈々子はてっきりドニアの背後から誰か来たのかと思ったが、違ったようだ。


「どうしたの?」

「こっちの部屋が写っている……鏡なんだね」

「ええ。綺麗でしょ」


「……うん。こんなに綺麗に反射する鏡は初めて見た。奈々子、ひょっとして魔法使いなの?」

「違うわ」

「錬金術師?」

「違うわ。ただの司書よ」


「……僕の知らない職業だね。ひょっとして大富豪で、大金を払ってこんな鏡を作らせたの?」

「……どれも違うわ。こんなの、普通よ。それより私が言いたいのは、鏡のことじゃなくて、その鏡に写っているでしょ。あなたの顔……ほら、こんなに綺麗じゃない」


 言われて、初めてドニアは鏡を真剣に覗き込む。


「……女の子みたいだ」


 素直な感想に、奈々子は吹き出した。


「そう。自分でもそう思うでしょ? ドニアは、とっても綺麗な顔をしているわ。恥ずかしがらないで。素敵なことじゃない」

「……だから……僕の教育係は、宮廷マナーとかいって女の子の仕草を真似させていたのか……僕……これから任務に就くんだ。その前に、ダンジョンを攻略しろって言われているの……どんな任務なんだろう。人間のお金持ちに……体を売るのかな……」


 ドニアの述懐は、奈々子を驚かせた。


「何? その任務……やめちゃったら」

「……そうはいかないよ。僕は魔族なんだし、魔族は、上位の魔族には逆らえないんだ……僕は、ダンジョンを攻略しなくちゃ。僕はいまでも出来損ないって思われているんだ……早くダンジョンを攻略しなきゃ」


 奈々子は、ドニアが可哀想になってきた。思いつめているようだ。


「そう……何か手伝ってあげられるといいけど……私はただの司書で……あっ……そうだ。手伝いはできないけど、知識なら貸してあげられるかもしれない……そのダンジョンって、もう行ったことはあるの? この図書館には、あらゆる知識が詰まっているのよ。ただ、見つけ出すのにはちょっと苦労するけどね。ダンジョンについての本もあると思う」

「図書館って……そんなにたくさんの本があるの? 本って、すごい高価なのに……」


 ひょっとして、ドニアは本を売って、お金を作って、魔物を呼ぼうと考えているのだろうか。いや、そんな子ではないはずだ。今までのやり取りから、奈々子はドニアを信じることに決めた。


「たくさんあるわよ。でも、図書館の本はみんなのものだから、あげることはできないの。ただ、貸すだけ。知識は共有しないといけないわ」


 奈々子は言いながら、洞窟の探索に役立ちそうなサバイバルの本を探そうとした。

 すでにカウンターに積み上げられていた返却済みの本を整理してみる。最新ゲームの攻略本があった。


「ダンジョンは……石で壁が作られていて……床も天井も壁で……迷路みたいに複雑に入り組んでいるんだ」


 図書館にゲームの攻略本など置いてあったのだろうかと不思議に思ったが、ちゃんと図書館のものであることを示すシールが貼っている。

 流行のゲームなので、試験的に置いてあるのだろうか。


「……本当に、ゲームのダンジョンみたいね」


 ドニアの言葉を聞きながら呟いた。ちょうど、たまたま見つけた攻略本を片付けようとしたところである。


「……あっ……そ、それ……ちょうど、そんな感じ……」

「えっ?」


 ドニアが、奈々子が手にした攻略本を指差していた。


「……これ?」

 表紙にゲーム画面が写してある。ダンジョン内部の様子だ。

「うん。それも本なの? どんなことが書いてあるの?」

「確かに本だけど……役に立つかしら」


 絶対に役には立つまい。そう思いながら、ページをめくる。


「パーティー編成の仕方から……宝箱の配置……出現するモンスターとか……」

「凄い。それがあれば、ダンジョンはすぐにも攻略できるよ」

「えっ? ちょっと、待ってよ……ドニアが攻略するダンジョンって……ゲームなの?」

「んっ? ダンジョンはダンジョンでしょ? ゲームって?」


 奈々子は、ひょっとしてドニアがいる異世界は、流行のゲームの中なのかもしれないと想像した。

 もしそうなら、この本を見せることは、ドニアにとって大きな助けになるだろう。


「いいえ……なんでもない。わかった……好きなだけみてもいいわよ。でも……わたしも仕事があるのよ。あなたの目の前で、本のページをずっとめくっているわけにはいかないわ」


「……貸してはくれないの?」

「だって……扉は開いても、通り抜けることは……あっ……できた……なんで?」


 試しに奈々子が本を近づけると、本だけは扉の隙間から入ったのだ。奈々子の手がひっかかり、本が中途半端なところで止まる。向こう側で、ドニアが受け取った。

 目を輝かせてページをめくる。その姿に、奈々子は初めて絵本を見た幼児を連想した。


「……凄い。こんな本があるなんて……これ……貸してくれないの?」

「い、いいわよ。でも、図書館の本だから……二週間までよ。他にも見たい人がいるんだから」

「……うん。わかった」


「本を汚してはだめよ。綺麗なまま返して。そうしないと、二度と貸せなくなるわ」

「……うん。わかった」


 ドニアはゲームの攻略本に夢中だ。


「じゃあ、ここに本のタイトルと名前を書いて」


 奈々子が受付簿とペンを扉の隙間に入れると、すんなりと通過する。ただし、奈々子の手は入らない。


「はい」


 ドニアが返してくる。ドニアの手も、やっぱり途中で止まる。

 不思議な文字だったが、なぜか奈々子には読むことができた。


「そう言えば……ドニアは日本語をどこで覚えたの?」

「日本語? 何?」


 ドニアが本から顔を上げた。首をかしげる。とても可愛い。


「その本で使われている言葉よ」

「そう言えば……どうして読めるんだろう?」

「……不思議ね。異世界だと、そういうこともあるのかな?」


「ははっ。奈々子は面白いね」

「ドニアに言われたくないわ。二週間よ。必ず返してね」

「うん」

 ドニアはこっくりと頷いた。


 これで、二週間以内に再び会える。その時、ドニアがゲーム世界の住人か、別の異世界に住んでいるのかわかるだろう。

 扉が閉まる。カウンターの向こうには、図書館の利用者が本を持って並んでいた。

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