第13話、抱擁

 幾分、大人びた雰囲気の、あゆみ。 髪型などは、ほとんど変わっていないが、以前にも増して表情が明るい。

 ジーンズに、白い無地のシャツ・・・あの頃と同じだ。

 青空に立つクレーンの先を見上げながら、あゆみは言った。

「 凄ぉ~い! こんな真近でクレーンを見たの、初めて・・! 」


 目が、見えている・・!

 何という事であろうか! あゆみは、目が見えている・・・!


「 ・・・・・ 」

 他人の空似ではない。声も、懐かしいあゆみの声に、間違い無い。

( そうか、手術を受けたんだ・・! )

 以前、あゆみが勤務していた介護センター所長の中田が、あゆみに手術を受ける予定がある、と言っていたのを、幸二は思い出した。

( 難しい手術だとは聞いていたが、どうやら良い結果になったらしいな。 あゆみちゃんは、遂に、その目に光を取り戻したんだ・・! )

 幸二は、嬉しくなった。

 あのあゆみが、視力を回復したのだ。 今、自分の、その目で世界を見据え、自分で確認した視野で自由に行動しているのだ。 もう、杖は要らない。 あゆみは、盲目の身から解放されたのだ・・・!

 感動に囚われ、しばらく幸二は、クレーンを見上げるあゆみを、眩しそうに見つめていた。

「 浄水場は、いつ頃完成するのですか? 」

 あゆみが、若いJV職員に尋ねた。

「 来年の3月です。 芝なんかを張って、綺麗にしますから、お宅の福祉施設も見栄えますよ? 」

 若い職員は、答える。

 幸二は、ふと思った。

( 俺に、感付く事は・・? )

 おそらく、それは無いだろう。 あゆみは、幸二を見た事が無いはずだ。 介護センターで作業をしていた時も、写真などを撮った事は無いから、幸二の顔写真は存在しないはずだ。

 動揺を悟られないよう、幸二は、平静を装いながらラフターの横に立っていた。

( 声を出したら、気付かれるかもしれん。 しばらく、ここを離れるか・・ )

 何気なく、そっとその場所を離れる幸二。

 ラフターのオペレーターが、幸二に言った。

「 村さ~ん。 このあとは、B階段の現場に廻ればいいですかァ~? 」

( ・・くっ・・! )

 こんな時に限って、声は掛けられるものである。 しかし、『 村さん 』だけのニックネームだ。 あゆみには、気付かれまい。

 幸二は、指でOKマークを作り、オペレーターに答えた。

 チラッと、あゆみの方を見てみる。 あゆみは、幸二の方を見てはいるが、ニコニコしているだけだ。 やはり、気付いていないようである。 ホッと、胸を撫で下ろし、幸二は、大きなノッチタンク( 湧き水を処理する移動式の小型プラント )の所まで歩いて来ると、その陰に立ち、様子をうかがった。

「 ・・まさか、あゆみちゃんと現場で逢うとはな・・! 」

 あゆみと福祉施設の職員は、ひとしきり、若い職員と話をした後、施設の建物の中へと入って行った。

「 児童福祉施設、とか言っていたな。 あゆみちゃんは今、ここの職員なのか・・ 」


 ・・・突然の再会。 そして、あゆみの、視力回復の事実・・・


「 良かったな、あゆみちゃん・・! もう、立派に独り立ちだ。 頑張るんだぞ 」

 この街に、帰って来て良かったと、幸二は心から思った。

 こうして、あゆみに逢えたし、独り立ちし、元気になった姿も確認出来たのだ。 幸二のアパートに、半年間も訪ねて来なかったのは、おそらく、手術を受けていたからなのだろう。 そして、目が見えるようになった今、もう、人に頼らなくても良くなったのだ。

( ・・・良かった。 これで良いんだ。 お互い、過去を忘れ、新しい生活を送る事が出来るんだ )

 もう自分が、あゆみに必要とされなくなった事実は正直、寂しい気もする。 でも、そんな気持ちは、時が解決してくれる事であろう。

 これで、この片思いにも、終止符が打たれた訳である。 今や、あゆみには、幸二の存在は必要無いのだ。

( ・・・最高の、終わり方だ )

 幸二は、そう思った。



 昨夜の残り物のカレーを温め、冷や飯をレンジで加熱し、食べる。

 その日、アパートに戻った幸二は、いつもの通り、1人で夕食を食べていた。

「 明日は、B階段の先防水工か・・ 底板は終わったからな。 いよいよ、立ち上げ部( 地下から、地上へ通じる構築部の事 )の防水だな・・」

 幸二は、カレーライスを口に運びながら、持ち帰っていた施工図を確認していた。

( 作業員を、来週辺りから増やすか。 週間予報だと、しばらく良い天気が続くようだ。 やれる時にやっておいて『 貯金 』しておいた方が良さそうだな。 C階段の掘削も、予定より早く終わりそうだし、ディープ・ウェル( 深層湧水汲み上げポンプ )の周りの防水も、そろそろ片付けなくちゃ )

 防水工事は、完全に乾いた現場の状態で施工しなくてはならない。 水を、躯体と防水シートの間に閉じ込めてしまう事になるからだ。 したがって、雨天の場合、作業は中止となる。 まさに、天気との闘いだ。

 食べ終わった皿や鍋を流し台で洗い、後片付けをすると、幸二はタバコに火を付け、再び、食卓の上に広げた施工図を見入った。


 小1時間ほど経っただろうか。 誰かが、玄関のドアをノックした。

( 多分、大家さんだろう。 確か今日は、今月の家賃の集金日だ )

 イスから立ち上がり、玄関に向かいながら、幸二は言った。

「 は~い。 今、出ま~す 」

 ふと、壁に掛けたカレンダーを見ると、集金日は明日だ。

( 新聞の集金かな? )

 ドアを開ける、幸二。 そこには、1人の女性が立っていた。 外の廊下にある蛍光灯が逆光になり、女性の顔は、よく見えない。

「 どちらさん? 」

 幸二が尋ねると、女性は1歩、玄関に入り、その顔を室内の明かりにさらして言った。

「 ・・・幸二さん! 」

 何と、その女性は、あゆみだった。

 心臓が、止まるほど驚く、幸二。

「 ・・・あ・・ あゆみ・・ ちゃん・・・! 」

 まさか、あゆみが訪ねて来るとは、夢にも思っていなかった幸二。 心臓は、打ち鳴らされる太鼓のように、激しく鼓動し始めた。

 あゆみは、言った。

「 やっと・・ やっと、逢えた・・! 幸二さん・・・! 」

 じっと、幸二を見つめる、あゆみの目。 以前のように、視線が定まらないような事は無い。 しっかりと、幸二の目を見据えている。

 あゆみは、昼間、見た時と同じ服装をしていた。

 幸二は言った。

「 ・・・目、見えるようになったんだね。 おめでとう 」

 あゆみは、何も答えず、じっと幸二を見ている。

 幸二は続けた。

「 よく、ここが分かったね 」

 しばらく無言のあと、あゆみは答えた。

「 調べたんです。 瑠璃中の、村田さんを・・・ 」

「 ・・・・・ 」

 あゆみは言った。

「 今日、クレーン車で作業をなさっていましたね? 」

 やはり、気付いていたのだろうか。

 幸二は答えた。

「 ・・バレてた? 」

「 最初、判りませんでした。 お顔を拝見した事が、無かったですし。 クレーン車が作業を終えて移動する時、後尾に、責任者の方のプレートが掛かっていて・・ 」

 運転者と、現場責任者のプレートが、後尾には設置してある。 あゆみは、それを見たのだろう。

「 初め、運転されている方が幸二さんかと思ったんですが、私と同じくらいの年齢の方だったので・・ 」

 じっと幸二を見つめながら、あゆみは続けた。

「 その運転手の方に聞いて、知りました。 現場の責任者の方が、幸二さんだって事を・・! 『 村さん 』って呼ばれていた、あの、親方の人が・・ 私が探し続けていた幸二さんだったって事を・・! 」

 幸二に、にじみ寄るように話す、あゆみ。 幸二は、無言で聞いていた。

 あゆみが言った。

「 やっと逢えました・・! 幸二さんを、この目で見る事が出来ました・・ 逢いたかったです、幸二さん・・・! 」

 幸二は言った。

「 ・・・実際は、こんなヨレヨレの、中年男さ。 幻滅させちゃってゴメンね・・・? 」

 あゆみは、突然、大粒の涙をポロポロこぼしながら言った。

「 私は、目が見えなかったんですよ・・? どうして、そんな風に言うの? 」

 幸二は、戸惑った。

 突然、涙をこぼし始めたあゆみ。 女性に泣かれた経験など皆無の幸二は、どうしたら良いのか判らなくなってしまった。

 とにかくドアを閉め、あゆみを部屋に入れる。

「 ご、ごめん。 泣かないで。ね? とにかく入って。 あまり綺麗な部屋じゃないけど・・ 」

 肩を引き上げ、更に泣きじゃくる、あゆみ。

「 ・・私、ヒック・・ 判ってた。 ヒック・・ 募金箱に、ヒック・・ お金を入れてくれたのも・・ チラシを拾ってくれたのも、ヒック・・ 幸二さんだったって・・! 」

 溢れる涙を拭おうともせず、幸二を見つめながら言う、あゆみ。

 幸二は、テーブルの上に置いてあった施工図を無言で片付けると、ハンガーに掛けてあった洗濯したハンカチを手に取った。 あゆみに近寄り、そっと、その涙を拭く。

 あゆみは肩を引き上げ、泣きじゃくりながらも、幸二が涙を拭いている間、目を閉じ、じっとしていた。

 やがて、少し気が落ち着いたのか、あゆみは言った。

「 ・・でも幸二さんは、何も言わないで、私の前から去ってしまった・・ 私に・・・ 会いたくないと思っていらっしゃるのは、分かっています。 でも・・ 私は、幸二さんに会いたかった・・! 目なんか、見えないままでも良かったんです。 ただ、出来るなら幸二さんを・・ この目で、見てみたかった・・・! 」

 幸二は言った。

「 あゆみちゃんの想像を・・ ブチ壊しちゃうんじゃないか、って思ってね・・・ 」

 あゆみは、ゆっくりと首を横に振ると答えた。

「 私の、想像通りの方でいらっしゃいました・・! いえ、むしろ・・ 想像より、ずっと若くてがっしりした方です 」

「 そりゃ、光栄だ・・・ 」

 幸二の言葉に、あゆみは、少し笑った。

 幸二が言った。

「 何度も、ここに来てくれていたみたいだね? 長野に、行っていたんだ 」

「 クレーンの運転手の方に聞きました。 ・・もう、どこへも行かれませんよね? 」

「 ・・現場次第だね。 瑠璃に戻って来たのも偶然だったんだ 」

 その言葉に、あゆみの表情は、再び暗くなる。

 幸二は続けた。

「 職長資格を持っているのは、僕だけなんだ。 現場が遠くなれば、また出張・・ 」

「 私も・・ 私も、連れて行って下さいっ! もう、ドコへも行かないでっ・・! 幸二さんっ! 」

 幸二の言葉を制し、あゆみは、突然、幸二の胸に抱きついた。

「 ・・・・・! 」

 何と言う、展開。 あゆみは、本当に、自分の事を想ってくれているのだろうか・・・?

( ・・いや、そんなハズは無い。 親子ほど、歳の離れた俺だ。 そんなハズは・・! )

 幸二は、自問自答をした。

 あゆみの肩が、小さく震えている。 その肩を、抱き締めたくなる心情を押さえつつ、幸二は、あゆみの両腕を掴み、言った。

「 ・・あゆみちゃん。 君は、もう目が見えるんだよ? 父親代わりの俺なんか、必要無いんだ。 どこへでも、自分の足で歩いて行けるんだよ? 」

 あゆみは、幸二の胸の中から、ゆっくりと顔を上げ、じっと幸二の目を見つめた。


 ・・・愛らしい、つぶらな瞳・・・


 吸い込まれて行ってしまいそうな、あゆみの瞳に、胸の高まりを押さえ切れない衝動に駆られる幸二。

 やがて、あゆみは、静かに言った。

「 父親代わりなんて、要らない・・ 私は、幸二さんの側に、いたいの 」

「 ・・・・・ 」

 苦慮の表情の、幸二。

 その心情を察してか、あゆみの表情には、明らかに落胆の色がうかがえた。

 突然、幸二から離れる、あゆみ。 台所へ行き、流し台の前に掛けてあった包丁を手にする。

「 ・・! あゆみちゃん・・? 」

 あゆみは、じっと包丁の刃先を見つめた後、両手で包丁を構え、その刃先を自分の目に向けて言った。

「 私が盲目なら・・ 幸二さんは、私の側にいてくれますか? 目が見えるようになっても、幸二さんがいないのなら意味が無いの・・! 」

「 ・・・・・ 」

「 私は・・ いつも幸二さんの側に、いたいのっ・・! いつも、いつも・・ 私を、どこからか見守ってくれていた幸二さん・・! 私は・・ 」

「 偶然だ、あゆみちゃんっ! 募金をした時も、チラシを拾った時も・・ 偶然なんだよ! バカな事を、するんじゃないっ! 」

 幸二は叫んだ。

 しかし、あゆみは本気のようである。 その刃先は、すでに、眼球に触れそうな位置にまで接近していた。

「 さあ、包丁を置いて・・! 僕に・・渡すんだ 」

 右手を出し、少し、あゆみに近寄りながら言う幸二。 あゆみは、幸二が近付く素振りと同時に、更に、身構えて見せる。

「 ・・・幸二さん 」

 あゆみは、小さくそう言うと、意を決し、包丁を目に突き立てた・・!

 しかし、一瞬早く、食卓テーブルの上の電灯を弾きながら駆け寄って来た幸二の手が、その包丁をもぎ取る。

 玄関先に包丁を投げ出し、幸二は、あゆみの両腕を掴んで言った。

「 何て・・ 何て、バカな事をっ・・! 」

 あゆみの目から、再び、涙が溢れて来た。

「 ・・幸二さん・・! 私を・・私を、好きになって・・! いつも、側にいて・・! 幸二さん・・! 」

 幸二は、あゆみを抱き締めた。


 ・・・小さな、小さな肩だった。

 強く抱くと、折れてしまいそうな体・・・

 この小さな体の、どこにあんな・・ 包丁を、自らの目に突き立てる勇気があるのか・・・!


 幸二は、自分に対するあゆみの愛情を、今、ハッキリと感じ取っていた。

「 あゆみちゃん・・! 」

 幸二は、あゆみの小さな体を抱き締めながら言った。 あゆみも、幸二の大きな背中に手を回し、必死にしがみ付いて来る。

 幸二は、呻くように・・ 諭すように言った。

「 こんな、バカな事する子は・・ 目が離せん・・! 」

「 幸二さん・・・ 」

「 ・・君の方こそ・・ どこにも行くなよ? 」

「 嬉しい・・! 幸二さん 」

 再び、肩を震わせ、泣き出す、あゆみ。

 揺れる電灯の下、2人は、いつまでも抱き合っていた。

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