第6話、眼下の街

 翌日。 幸二は、作業場で作業の続きをしていた。 屋根を張り終え、あとは細部の面取りである。 当初の設計には無かったが、床を二重にし、白熱電球を設置した。 冬季は電源を入れ、その熱を利用した暖房にするのだ。 また、二重底は、地面からの湿気を防ぐのにも有効である。 更に、1枚目の床板の裏底には、防水シートも貼り付けた。

( 思ったより、良いものが出来たぞ。 ついでに、屋根との境にシーリング材を充填して、コーキングもしておくか。 台風の時に雨漏りしたんじゃ、ワンちゃんが可愛そうだからな )

 ドーム型の入り口の上には、ネームプレートも付けた。

( 近くに、ホームセンターがあったな・・ )

 幸二は、シーリング材とペンキを買いに行く為、作業場を出た。


 センター玄関に、杖を持ったあゆみと大原がいる。 どうやら、外出するらしい。

「 あ、村田さん・・ どちらか、お出かけ? 」

 幸二に気付いた大原が、声を掛けた。

「 ええ。 そこのホームセンターまで、材料を仕入れに。 お2人も、お出掛けですか? 」

 大原が答えた。

「 天気が良いから、あゆみちゃんが散歩に行きたいって言うの。 1人じゃ危ないから、誰かついて行って欲しいんだけど・・ あたしも今、手が離せないし・・ 」

「 じゃ、僕が行きましょうか? 」

「 ホント? 助かるわ~! いいの? 」

「 構いませんよ 」

 あゆみが言った。

「 ごめんなさい、幸二さん。 お仕事、お忙しいのに 」

 幸二は、笑いながら答えた。

「 ははは。 こちらこそ、あゆみちゃんのボディーガードを任せて頂いて光栄だね。 どちらへ参りましょうか? お嬢様 」

 少し、からかったような言い方の幸二に、あゆみは笑顔で答えた。

「 では、お買い物のあと、公園までお願い致します 」

「 かしこまりました。 では、参りましょうか 」


 ホームセンターで材料を調達すると、幸二は、あゆみを連れ、近くにある公園に向かった。

 平日の、昼下がりの公園・・・ 時折、幼児を連れた若い主婦がすれ違う程度で、ほとんど人通りは無い。 静かな散策道を、幸二はあゆみの手を引き、ゆっくりと歩いた。

 杖で、前方の障害物を確認しながら歩く、あゆみ。 指先に、柔らかなあゆみの手の感触を感じつつ、幸二は満足だった。

 おおよそ20年近く、女性とは、手を握った事が無い。 ましてや、親子ほどかけ離れた歳の差のある若い女性である。 不順な気持ちこそ無かったが、幸二は、久しく忘れていたドキドキした感触を心に感じていた。


「 犬小屋は、もうすぐ完成ですか? 」

 歩きながら、あゆみが聞いた。

 その問に、少し寂しい心境を感じ、やや声の調子を落としながら幸二は答えた。

「 ・・そうだね。 細部の仕上げくらいかな。 シーリング材が乾くのを待って、明日、ペンキを塗るよ 」

「 楽しみですね! きっと、素敵なものが出来るんでしょうね 」

「 結構、自信作だよ? 防虫剤も塗布しておいたから、10年は、持つはずだ 」

「 まあ、そんなに? やっぱり、幸二さんの自信作ですものね。 ワンちゃんたち、幸せね 」

 幸二の方を向いて笑顔を見せる、あゆみ。

 陽の光が髪に反射し、キラキラと輝いている。 あゆみの着ている白いシャツも、何だか眩しく見えた。 袖を折り返したところから伸びる、細い腕。 その先の手を軽く握り、歩いている自分・・・


 幸せだった。


 この世の全てが、自分とあゆみの為に廻っているように、幸二には思えた。 今まで、人と歩いて、こんな至福な感情を抱いた事があっただろうか。 ただ、歩いている・・ それだけの事なのに・・・

 あゆみとの時間を共有する事に、幸二は、かけがえのない喜びを感じていた。

 あゆみが言った。

「 南の方が、少し、小高くなっているの。 見晴らしが良いですよ? 」

 あゆみには、見えないはずだ。 だが以前、わずかな視力がある頃に見た記憶があるのだろう。

 幸二は、あゆみの歩くまま、ついて行った。

( このまま、時間が止まってしまえばいい・・ )

 幸二は、そう思った。

 指先に伝わる、あゆみの手の温もりと感触を感じながら、幸二は幸せをかみ締めていた。


「 やあ、良い景色だ・・! こんな所があるなんて、知らなかったな 」

 小鳥のさえずりが聞こえる。

 あゆみが言った。

「 あの鳴き声は、シジュウカラね。 全体に灰色で、目立たない野鳥だけど、鳴き声が可愛いわ 」

 野鳥の事は、幸二には分からなかった。 だが、静かな公園や森でよく聞く声だ。

 あゆみは続けた。

「 幸二さん。 ここから見える景色を言いますね。 私の想像でしかないんですけど・・ 」

「 OK。 言ってごらん 」

「 まずね・・ いっぱい、お家があるの。 2階の窓からは、フトンやシーツが干してあってね・・ 電柱脇の道路で、近所のおばさんたちが立ち話しをしてるの 」

 幸二は、風景を探した。

「 ・・あったぞ、フトンを干している家。 だけど、窓からじゃなくてフェンスの垣根だけどね? 」

「 おばさんたちは? 」

「 ええっと、ちょっと待ってね・・ あ、いたいた! おばさんたちが井戸端会議してる。 3人、いるよ? 電柱脇じゃなくて、ガレージみたいなトコだけど 」

 幸二は、あゆみが言った情景に合った風景を、探しながら答えた。

 あゆみが続ける。

「 それからね、大きな橋があるの。 車が、いっぱい走ってるのよ? 」

「 橋、橋・・ と・・ 」

 かなり遠くだが、国道に掛かっている橋が見える。

「 うん、あるよ。 国道のようだね。 車がいっぱい走ってる 」

 あゆみは、更に続ける。

「 学校もあるの。 校庭では、生徒たちが体操してるの 」

 学校と思わしき建物は、近くには無かった。 だが、記憶にある小学校の場所を探し、確認しながら幸二は言った。

「 ちょっと遠いけど、あるよ? 校庭の様子は・・ 見えないな。 あ・・ 何人か、遊んでるみたいだ。 人影が動いてる 」

 あゆみが言った。

「 遠くにね、山があるの。 大きな道が続いていてね、隣町の工場の煙突があって・・ モクモクって、煙が出ているわ。 大きな丸いガスタンクに、太陽の光が反射してね・・ キラキラ光ってるの 」

「 その通りだよ、あゆみちゃん・・! 君は、目が見えるんじゃないのかい? 」

 幸二の言葉に、あゆみは満面の笑顔で、幸二の方を向いて言った。

「 小さい頃に見た風景なの。 変わってないのね! 」

 考えてみれば、どこにでもある景色であり、風景だ。 でも、そんな事はどうでも良かった。 あゆみの記憶にある景色があり、想像していた風景が、それと大して変わっていない事が重要なのだ。

 ・・おそらく、何度もあゆみは、ここに来たのだろう。 自分が感じられる、想像していた景色がその通りだった事に、あゆみは嬉しそうだ。

 幸二は、遠くにある橋を眺めながら言った。

「 こうして改めて見ると、この街も、良いモンだなあ・・ 高台から眺める街は、良い。 ゴミゴミした所が見えないからね 」

「 ・・幸二さんは、ずっと、この街に住んでらっしゃるのですか? 」

「 そうだよ? この街で生まれて・・ この街で育ったね 」

 あゆみも、見えない目で遠くを眺めながら言った。

「 私もそうです。 ・・・不思議ですね。 何の接点も無かったお互いが知り合い・・ こうして、生まれた街を眺めている。 人って、こうして出逢っていくんですね 」

 幸二が言った。

「 一期一会かい? あゆみちゃんは、ロマンチストなんだね 」

 幸二の方を見て、あゆみは言った。

「 そんな事ないですよ? すぐに、おセンチになってしまうだけです 」

 幸二は、笑って答えた。

「 少々、センチな方が、女の子としては良いね。 男として、守ってあげたくなる 」

 あゆみは言った。

「 幸二さんは・・ 私を、守って下さるのですか・・・? 」

 その意味の真意が分からず、幸二は、返答に困った。 だが、何も答えないのは、更に間が持たない。

「 そりゃ・・ 僕が出来る事なら、喜んで 」

 一辺倒な返事をする幸二。 だが、あゆみは、安心したように答えた。

「 ・・・嬉しい 」

 少し視線を落として言った後、再び、遠くの風景を眺めながら、あゆみは続けた。

「 私の周りの人は、親切で良い人ばかり・・ 私は、幸せです 」

 その『 良い人 』の中に、自分は入らない。 善人の皮を被った、罪人なのだ。

 ・・幸二は、心に痛みを感じた。

 これ以上、あゆみの前で善人ぶるのは限界だった。

( 明日までだ・・! 明日になれば、俺はセンターを去る。 あゆみちゃんにも、もう二度と会う事は無いだろう )

 幸二は、喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。

 あゆみは、近くにあったベンチに座りながら、幸二に言った。

「 この街の名前・・ 私、好きなんです 」

 幸二は、あゆみの横に座ると言った。

「 るり町が? 」

「 ええ。 小さい頃、読めなかったんですけどね、『 瑠璃 』って 」

「 ははは。 確かにね。 僕も、小学生卒業までは、ひらがなで書いていたよ。 だって、バス停にも『 るり町 』って書いてあるしさ。 道路標示だって地図にだって、ひらがなで書いてあるからね 」

「 広報だって、『 るりまち 』って印刷してあったわ、確か 」

「 そういや、そうだっけかな・・ 瑠璃っていう名前が気に入っているの? 」

「 ええ。 何か、響きが綺麗だもの。 ・・瑠璃って、七宝の1つなんでしょ? 金や銀、硨磲、珊瑚・・ あと、忘れちゃったけど・・ 確か、紫色っぽい、青い宝石の事よ。 仏教の中では、東の果てにある薬師如来の浄土を指すの 」

「 へええ~、そりゃ知らなかった! あゆみちゃんは、博学なんだなあ 」

「 私も知らなかったんです。 調べたんですよ 」

「 青い宝石か・・ サファイアみたい、なのかな? 」

「 どうなんでしょうかね? でも、夜明け頃、ここから街を眺めると、朝日が昇る直前、とても綺麗な薄明るい青色に包まれるんですよ? 目の見えない私だからこそ、見えるのかもしれませんけど 」

「 そんな時間に、1人で出歩いちゃ、危ないよ? 」

 幸二がそう言うと、あゆみは、舌を出して答えた。

「 早朝ウォーキングしていた時があったんです。 やっぱり転んでケガしちゃいまして・・ もう、それきりやってませんから、ご安心を 」


 ・・・青紫色の夜明け。


 知人に聞いた事があるし、幸二自身にも体験がある。

 朝日が昇る瞬間、ほんの1~2分も無いと思うが、辺りの風景が青っぽく見える事があるのだ。 静寂に包まれた場所なら尚更、その色が増幅して美しく映る。 あゆみは、それを見たのであろう。 視力の無い彼女は、景色が見えない為、青紫色の風景が尚更、強く感じられたのだろうと思われる。

「 瑠璃色の夜明けか・・ 綺麗だろうね 」

 幸二の言葉に、あゆみは遠くを見つめたまま答えた。

「 すごく、綺麗だった・・・! だから、私は、この街が好き。 それに、優しい人たちも沢山いるから 」

 幸二の方を向き、微笑むあゆみ。

 ゆるやかなそよ風が、2人の頬を滑って行った・・・

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