第5話、ひととき
中田の依頼を快諾した、幸二。 早速、材料を調達し、作業に取り掛かった。
2つ合わせて、7万円はある。 これでどうやら、今月は『 仕事 』をしなくても良さそうだ。 棚ボタではあるが、まともな仕事にありつけた。 元が、元ではあるが・・・
( 罪滅ぼしだ。 頑丈で、立派なヤツを作ってやるぞ・・! )
自分の得意分野であるが為か、幸二は、俄然と張り切っていた。
作業は、施設の作業場を借りる事が出来た。 道具は、自前のものが一式ある。
新しく出来た環境を、幸二は、いたく気に入った。 現場には違いないが、どこか、気のあった仲間同士・・ 趣味の域での作業のように思えたのだ。
幸二は、調達した材料を手際良く寸法ごとに切断し、組み立てに取り掛かかった。
「 村田さん 」
3時間ほど作業をしていた幸二は、女性の声に呼び掛けられた。
振り向くと、あゆみがドア越しに立っていた。 左手を扉に掛け、右手は宙を探している。
「 あゆみさん・・! 」
幸二は作業の手を止め、あゆみに近寄ると、その手を取った。
あゆみが言った。
「 音楽が聴こえたものですから・・・ 」
幸二は、作業場に置いてあった小さなラジカセで、自宅から持って来たテープを聴きながら作業をしていたのだ。
幸二は答えた。
「 ジャズが好きでしてね。 バラードばかり編集したテープです。 ・・あ、入って下さい。 そんなトコに立ってないで 」
あゆみを、作業場に招き入れる幸二。
「 木の、良いニオイ・・・! 」
あゆみが、微笑みながら言った。
「 足元、気を付けて・・ イスがあるから、腰掛けて下さい。 分かります? 」
あゆみの手をイスに掴まらせながら、幸二は言った。
「 分かります、ありがとうございます 」
イスに座る、あゆみ。
幸二は、作業場の床に置いてあったポットを手に、あゆみに言った。
「 大原さんが、お茶を用意してくれてます。 飲まれますか? 私も、一服しようと思っていたところですから 」
「 ありがとうございます。 頂きます 」
若い年齢に似合わず、丁寧な受け答えだ。 アパートで初めて会った時も、そうだった。 盲目の身であるが故、他人の世話になる機会が多いのだろう。 社交的な挨拶が丁寧になるのも理解出来る。 それにしては嫌味も無く、自然だ。 おそらく、あゆみの人柄も加味しているからであろう。
あゆみに対して、かすかな興味を覚えた幸二であった。
ポットから湯飲みに茶を注ぎ、あゆみに渡す。
「 ちょっと、熱いかな・・ ここにテーブルを作りましたので、これに置いて下さい 」
余った材料で組み立てたガーデンテーブルを、あゆみの横に置く幸二。
「 これ・・ 村田さんが、お作りになったのですか? 」
湯飲みを置きながらテーブルを触り、あゆみは尋ねた。
「 ええ。 材料が余ったので。 センターに、お庭があったのを拝見しましてね。 使って頂けたら、と思いまして 」
「 まあ・・! 村田さんは、魔法使いみたいなんですね。 何でも出来ちゃうんですもの 」
「 こんなの・・ 大工だったら、誰だって出来ますよ 」
茶をすすりながら、幸二は一笑した。
あゆみが言った。
「 犬小屋・・ もっとハッキリ見えたら、どんなに良いか・・・ 」
骨組みが出来上がった犬小屋を、定まらない視線で見つめる、あゆみ。
幸二は、遠慮がちに言った。
「 ・・全く・・ 見えないのですか? 」
少し微笑み、あゆみは答えた。
「 ぼんやりと、何かがあるのが判るくらいです。 明るさも・・ 何となく、識別出来るくらいですね。 小さい頃は、少し視力もあったのですが・・ それでも肉眼では、何も見る事は出来なかったですね 」
幸二は、ロビーで見かけたヨっちゃんを思い出していた。 彼も、いずれは、あゆみと同じ状態になるのだろう。 だが・・ おそらく人一倍、ピュアな心を持った人間になるに違いない。 この、あゆみのように・・・
幸二は、かかっていたテープの音量を少し下げた。
あゆみは言った。
「 目が見えないので私、音楽は、何でも大好きなんです。 演歌は、聴きませんけど 」
少し、肩をすくめて見せる、あゆみ。
幸二は言った。
「 現場では、1人仕事の時、たいていジャズを聴いてるんです。 ・・ヘンですかね? 」
「 大工さんって、演歌にお酒、ねじり鉢巻、って感じのイメージです。 ・・ごめんなさい、勝手な決め付けで 」
「 ははは。 やっぱりそうだよね? 」
あゆみは、音の出ている方を向きながら尋ねた。
「 ・・この音は、トランペットですか? 何て言う曲なのでしょうか 」
幸二も、ラジカセの方を向くと答えた。
「 アイ・リメンバー・クリフォード、って曲ですよ 」
「 クリフォードを・・ 忘れない・・・? 」
直訳したあゆみに、幸二は説明した。
「 往年の、名ジャズトランペッター、クリフォード・ブラウンを慕んで、ベニー・ゴルソンという、テナー奏者が作曲した曲なんです 」
「 へええ~・・ とても、ムードのある曲ですね。 何となく、聴いた事があります 」
曲が終わり、次の曲が始まった。
また、あゆみが尋ねる。
「 この楽器は? この曲も、耳にした事があります 」
幸二が答えた。
「 マル・ウォルドロンの『 レフト・アローン 』です。 楽器は、アルトサックスですね。 ・・マル・ウォルドロンというのは、今、聴こえているピアノを弾いているピアニストの名前です。 ジャズシンガーに、ビリー・ホリディという有名な女性がいたのですが、彼女の、晩年の伴奏者を務めたのがマル・ウォルドロンです。 歌詞はビリーが書いたそうですが、残念ながら、ビリー本人の録音は実現していませんね 」
「 お詳しいのですね、村田さん 」
「 はは・・ まあ、好きですから 」
湯飲みの茶を飲みながら、あゆみは、しばらくテープを聴いていた。 じっと聴き入っている、あゆみ。
( ・・この子は、幾つなのだろう? 見たところ、20代前半だ。 家族なんかは、どうしているのだろうか・・・? 色々、聞いてみたい事もあるけど、いわば初対面の人に、そんな事を聞いても良いのかな? )
あまり、人付き合いの無い、幸二。 話の切り出しをどうしたら良いのかが分からず、そのまま幸二も、無言でテープから流れて来る音楽を聴いていた。
次の曲が始まった。 視点の定まらない視線を幸二に向ける、あゆみ。 その心情を察し、幸二は解説をした。
「 テナーサックス奏者、ジョン・コルトレーンの『 ソウル・アイズ 』と言う曲です。 55年に初演されてますが、この録音は・・ 62年ですね。 ゆったりした初演盤より、僕は、コッチの方が好きだな。 ふわっとした感じで降りて来る第1声が、たまらなくイイです 」
あゆみは言った。
「 これも、ムードがあって落ち着きますね。 バラードと言う言葉は歌謡曲でも良く聞きますけど、これが本当のバラードなんですね 」
幸二は補足した。
「 コルトレーンのバラードと言えば『 セイ・イット 』という曲が有名ですが、僕は、この曲の方が好きです 」
あゆみが尋ねる。
「 その、コルトレーンと言う方は、まだ生きておられるのですか? 」
「 いや・・ 67年・・ だったかな? ガンで亡くなっています。 40才の若さでね 」
「 まあ・・・ 」
幸二は思い切って、あゆみに尋ねてみた。
「 ・・あゆみさん、ご両親は? ご家族とか 」
「 父は、私が小さい頃、病気で亡くなりました。 母も、私が小学生の頃、交通事故で・・・ 」
まずい事を聞いてしまったようだ。
幸二は言った。
「 すみません。 失礼な事をお聞きしました 」
「 いえ、いいんです。 ・・私は、叔母の家に、引き取られていました。 でも、自立したかったんです。 叔母は反対しましたが、専門学校を卒業して、このセンターに就職してからは、あのアパートに1人暮らしをしています 」
「 強い人なんだな、あゆみさんは・・ 」
本心だった。
流れに身を任せ、怠惰な生活を続けている自分・・・
幸二は、恥ずかしくなった。 目の見えない少女ですら、自分の居場所を自力で確保し、社会の為に貢献している。
( それに比べ、今の自分は、何だ・・! 努力もせず、現実から逃避しているだけじゃないか )
自分を、悲劇の主人公のように見立てていたのは、自分自身だったのかもしれない。 自分には、五体満足な体がある。 目だって見える。なのに、この不甲斐なさ・・!
あゆみは言った。
「 そんな事、ないですよ? 私、いつも誰かを頼っているんです。 もっと、強くならなくちゃ 」
あゆみは、笑いながらそう言った。
何と、建設的な子なんだろう。
目が見えないと言うのに、遭遇した悲劇的な過去の暗さなど、微塵も感じさせない。
眩しいばかりの、その生気・・・!
幸二は、ますます、自分が恥ずかしくなるのだった。
「 犬小屋・・ 触らせてもらっていいですか? 」
両手で、宙を探りながら、あゆみは立ち上がった。
「 あ・・ ああ、構わないよ。 ちょっと待ってね。 木屑を片付けるから 」
床に転がっていた木屑を避け、幸二は、あゆみの手を屋根に触れさせた。
「 これが、屋根だよ? まだ、骨組みだけだけどね。 判るかい? 」
宙を見据えたまま、手を動かし、屋根全体を触りながら、あゆみは言った。
「 判ります。 ・・頑丈そうな作りですね。 これならワンちゃんも喜ぶでしょうね 」
「 屋根は、普通、三角なんだけど、これは『 片流れ屋根 』と言ってね、一方に一面の屋根が傾斜しているものなんだ。 内面積が大きくなるから、大型犬の場合には良いだろうね 」
「 フランスの片田舎にある、農家の納屋みたい。 小さい頃、読んだ本にあった挿絵に、こんな家があったわ。 素敵ね! 」
嬉しそうに、微笑みながら言う、あゆみ。
幸二は提案した。
「 じゃ、色は・・ フランス国旗の赤・白・青、で決まりだね 」
「 あはっ! いいかも! 」
あゆみは、屈託無く笑った。
幸二は、嬉しくなった。
他人と、こんなに楽しく会話した事など、久し振りだ。
「 素敵ですね、大工さんって・・! 何でも、自分の思い通りに出来ちゃうんだもの 」
屋根の骨組みに頬をすり寄せ、まどろむように、あゆみは言った。
幸二は答えた。
「 結構、自分のイメージした通りには、ならないものだよ? いつも、自問自答してる。 だから大工ってのは、現場で独り言を言ってるヤツが多いのさ 」
「 ちぇっ、とか・・ ありゃ? とか? 」
「 そうそう! 」
「 あははっ! 何か、可愛いんですね! 」
その後も、あゆみは、休憩時間や作業の合間を見て、幸二の作業場に来た。
幸二も、休憩がてら、あゆみと話しをした。
大工の事、音楽の事、現場での話し・・・
初めて聞く建築業界の話しも、あゆみは興味津々のようだった。
あゆみは、幸二の事を『 真面目で、親切な大工さん 』と感じているようだ。
話しを重ね、あゆみと打ち解けて行くに従い、幸二の心の中には、一種の苦しみに似た心境が芽生えて来るのだった。
( 自分は、あゆみちゃんが思っているような人間じゃない。 本当は、卑怯で姑息な空き巣なんだ・・! 善人の皮を被った悪人なのに・・ 善人ぶって、ここにいる。 あゆみちゃんを、騙してるだけじゃないか・・! )
幸二は、辛かった。
悪事の余殃とは、まさにこの事を言うのかもしれない。 忸怩たる思いに、その真実を恥じていた・・・
しかし、この先、ずっとここにいるワケではない。 犬小屋が完成するまでの、2~3日の間だけだ。
( 夢を見させてもらおう・・ コレが完成したら、俺は、ここを去る。 ひとときの・・ うたかたの夢だ )
せめて、あゆみには、善良な大工として記憶に留めてもらおうと、幸二は思った。
あゆみは、汚れてはいけない。
その記憶も、全て、善良なるモノでなくてはならない。
『 聖純女 』・・・
たった1日、会話しただけなのに、幸二にとってあゆみは、そんな存在になりつつあった。
今まで、こんなに打ち解けて話し合った者はいない。
たった数日間の付き合いであると言う事は分かっていたが、幸二は、それでも嬉しかった。
自分の存在を認めてくれるあゆみが、たまらなく、愛おしかった・・・
幸二は、あゆみとの会話には、務めて話題に気を使った。
俗っぽい事には一切触れず、事件・事故のたぐいの話題にも触れる事が無いよう、話しをふった。
「 幸二さんって、お話しが上手なんですね 」
いつの間にか、あゆみは、幸二の事をファーストネームで呼ぶようになっていた。
「 そうかい? 自分じゃ、口下手のつもりなんだけどね 」
「 お子さんは? 」
「 いないよ。 随分前に離婚してね。 子供は作っていない 」
「 ・・ごめんなさい。 失礼な事、聞いてしまって・・・ 」
一呼吸置き、幸二は言った。
「 女房だったヤツとは、友人の紹介で知り合ったんだけど・・ やっぱ、ルックスで相手を決めちゃダメだね。 結婚は、一生、一緒に暮らしていく相手なんだから、お互いに良く性格を理解し合わないと 」
「 結婚かあ~・・ 私は無理かな。 家事が出来ないもの 」
あゆみが、頭をかきながら言った。
幸二が答える。
「 そんな事、無いと思うな。 だって、ハンデを持った者同士が結婚する言だってあるじゃないか 」
幸二は、あゆみの日記の中にあった『 新見』というカップルの事を思い出した。 おそらく、あの、足の不自由な男性の事であろう。
「 ・・そうですね・・! じゃ、私も希望、持っちゃおうかな? 」
女性にとって、結婚は、やはり憧れなのだ。 目の不自由なあゆみにとっても、それは例外ではないのだろう。 1人の女性として、純白のドレスに身を包み、最愛の人と、新たな人生を共に歩む幸せに憧れているのだ。
幸二は言った。
「 あゆみちゃんなら、心配ないさ。 僕が、あと10歳若ければ・・ それでも随分、年上になるか・・・ デートのお誘いをしてたと思うな 」
「 まあ、幸二さんったら・・・! 」
頬を赤く染めて恥らう、あゆみ。
言っていて、幸二の方が恥ずかしくなって来た。
( こんな歯の浮くようなセリフ、よくも言えたものだ )
幸二は、ある意味、自分で自分に感心していた。
あゆみが言った。
「 幸二さんって・・ いい名前ですね 」
「 そうかい? 何か、幸せは二の次ってカンジで・・ 自分じゃ、あまり好きじゃないけどな 」
「 そんな風に考えちゃ、ダメですよ。 幸せが2つもある、って思わなきゃ! 」
「 そんな考え方もあるんだなあ・・・ 」
幸二には、考えた事も無い観点だった。
次男だから『 二 』が付いている。 ただそれだけの意味合い・・・
もっとも、兄は、幸二が小学生の頃、病気で亡くなっていた。
およそ、幸二の人生には不似合いな『 幸 』の文字・・・
だが、あゆみにそう言われると、何だか嬉しく感じる幸二だった。
しばらくすると、若い男性が作業部屋に入って来た。
「 こんなトコにいたのか、あゆみちゃん。 大原さんが、原稿まだかって 」
「 いけない、私ったら・・! 幸二さん、ごめんなさいね。 つい、お話しが長くなっちゃって 」
イスから立ち上がるあゆみに、若い男が手を貸す。 やや茶髪で、毛先をラフにカットした、今時のヘアスタイルの男だ。 ここの職員らしい。
「 ドアの所に段差があるよ。 気を付けて 」
そう言う男に、あゆみは答えた。
「 うん、分かってる。 有難う。 ・・じゃ、幸二さん、お邪魔しました。 また来ますね 」
「 ああ、またおいで 」
・・あと何回、この返事が出来るのだろう。
『またね』が、『さよなら』になる日が、来なければ良い・・・
幸二は、そう思った。
若い男は、幸二に会釈をし、あゆみの手を引きながらドアを出て行った。
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