第7話、決意

「 あゆみちゃ~ん! 」

 後ろの方から聞こえた声に振り向くと、あの茶髪の男がいた。

「 こんなトコにいたのか、あゆみちゃん・・! 散歩だったら、僕を呼んでくれたらいいのに 」

 あゆみが答える。

「 有難う、辻井さん。 でも、子供たちの世話で、忙しいんじゃなかったの? 」

「 あゆみちゃんの頼みだったら、何だってするよ、オレ 」

 この辻井と言う若い男は、おそらく、あゆみに好意を抱いているのだろう。 幸二は、そう直感した。

 ・・・だとしたら、その恋路を邪魔しているのは自分だ。

 気付いた幸二は、言った。

「 じゃ、あとは彼に任せて、僕は作業の続きをするよ。 辻井・・ 君だっけ? お願い出来るかな? 」

「 お任せ下さい! 」

 幸二の、その言葉を待っていたかのように、辻井と言う若い男は答えた。


 ・・・自分に好意的な、あゆみとの関係が、もしかしたら思いがけない事に・・・?


 結果的に落胆し、自分の思い上がりを思い知る事になるとは分かっていながらも、『 もしかしたら 』という、わずかな期待に一瞬、希望を抱いていた幸二。 しかし、あゆみと同年代の若い男が登場では、まず勝ち目は無い。 まあ、真面目そうな好青年だ。 あゆみとも、お似合いだろう。

 幸二は、一足先にセンターへ帰る事にした。

 辻井が、あゆみに言った。

「 どこへ行こうか? あゆみちゃん 」

 だが、あゆみは、意外な返事で答えた。

「 私も、帰ります 」

 ・・・これでは、辻井の機嫌を損ねそうだ。

 幸二は、気付いたように言った。

「 ・・あ、材料の買い忘れをしちまった! 辻井君、あゆみちゃん、お願い出来るかな? 専門材料だから、ちょっと離れた金物屋に行かなくちゃ無いんだよ 」

「 いいですよ! 」

 これ幸いとばかりに、辻井は答える。

 何か言いた気な、あゆみ。

 しかし幸二は、そのまま、公園を後にした。


 ・・・別に、何も買う物は無い。

 幸二は、時間を潰す為、公園の高台を降りた。

 大通り沿いにある喫茶店に入る。

( 確かに、あゆみちゃんは、俺に興味を示している。 だがそれは、触れた事のない業種の人間と、その環境に興味があるのであって、俺自身じゃない )

 運ばれて来たコーヒーを飲みながら、幸二は自答していた。

 仮にもし、あゆみの興味対象が自分であったとしても、自分は、その興味に対応出来ない。


 ・・・自分は、罪人なのだ・・・!


 いくら仮面を被っても、その素顔は、いつの日か、白日の下に晒される事だろう。 そうなった時、傷付くのは、あゆみだ。

( あゆみちゃんは、汚れてはいけないんだ。 俺にとってのあゆみちゃんは、純真・純潔の女神・・ いつまでも、その可憐さを保つ為にも、俺なんかのような人間が、側にいちゃダメなんだ・・! )

 コーヒーが、いつに無く、苦く感じる。

( こんな気持ちになったのは、初めてだな・・・ )

 これが、片思いというものなのだろうか。

 40過ぎの中年男が、『 恋 』などと言うのも、いささか笑い話しかもしれないが、こんな気持ちを経験する事が出来たのも、あゆみのお陰だ。

 幸二は、ひと時の夢を見させてくれたあゆみに、感謝していた。 うたかたの夢ではあったが、最高の想い出になりそうである。

( 瑠璃町・・ か・・・ )

 タバコに火を付け、ウインドーの外を往来する人や車を、ぼんやり眺めながら、幸二は思った。

 ・・先程、あゆみと一緒に見ていた高台からの景色に、今、幸二は、同化している。

『 この街が、好きなんです 』

 あゆみの言葉が、ふと脳裏を横切る。

( あゆみちゃんの好きな街、か・・ )

 今、幸二は、あゆみの好きな街の、情景の一員なのだ。

( この街にいると言う事は、あゆみちゃんの『 お気に入り 』に入れてもらえる、ってコトなんだな・・・ )

 空き巣を、数年重ねている幸二。 実は、そろそろ、この街を出ようと考えていた。

 いずれ、何らかのアシが付く事だろう。 そうなった場合、この街や、近くにいない方がいい・・ そう考えていたのだ。

 しかし、あゆみの言葉で幸二は今、決意した。

( もう、足を洗おう・・! 仕事は、何だっていい。 真面目に働いて、あゆみちゃんの好きな・・ この街に、住み続けるんだ・・! )

 苦く感じたコーヒーが、心地良いテイストに変わっている感覚を、幸二は覚えた。


『 警察です。 署まで同行願いませんか? 』


 いずれ、やって来るかもしれない『 その時 』。

 その、黒い影に怯える逃亡者のような感覚・・・

( 逃げてばかりの生活には、もうウンザリだ )

 こうなったのも、全ては、安易で自分勝手な行動による結果である。 受けるべく制裁が下りるのであれば、素直に従うつもりだ。

 ・・だが、このまま、何事も無く、過去をしまい込む事が出来るのであれば、甘んじる事なく、その恩赦に値する生き方をしてみたい。


 幸二は、真面目に考えた。 今、外れた軌道を修正しなくては、もう二度と、まともな生活には戻れないような気がしたのだ。

( まずは、生活の糧の確保だ )

 今のところ、幸二に、新しい仕事先の開拓手段は無い。

( 明日、久し振りに職安に行ってみるか )

 レジで清算しながら、幸二は、そう思った。

 釣銭を待っている間、ふと、レジカウンターの横を見ると、無料配布の求人誌が置いてあった。

( アルバイトか・・・ )

 その求人誌を1冊手にし、幸二は、店を出た。


 日が西に傾き、辺りの街並みが赤く映る。

 黄昏が、人生の機微に関係無く、道行く人々、全てに、平等に降り掛かっている。

 きっと今頃は、あの高台から見える街並みも綺麗な事だろう。


 ・・・明日をも知れぬ、我が身・・・


 だが、それは誰にとっても同じだ。 自分だけの話しでは無い。

 ただ、自分は他人より、ほんの少し切羽詰っているだけ・・・

 幸二は、そう思う事にした。

 考え方を変えれば、随分と気分的に楽になるものである。

( 自分にはまだ、帰る家がある。 とりあえず犬小屋の仕事で、今月は、何とか過ごせそうだし、じっくりと職を探すか。 人として、恥の無い生き方をするんだ・・! )

 黄昏の中、幸二は、センターへと足を運んだ。

 手早く、コーキングの作業を片付け、幸二は、いつもより早く、自宅アパートへと戻った。


 人は、どこから来て、どこへ流れていくのか・・・

 流れて行くと分かっていても、流されてはいないと確信する大切さ。

 それを持っていれば、人は、どこでも幸せになれる。

 寄り添い合える人がいなくても、分かり合える人が側にいれば、人は安心して暮らしていける。

 純粋に、この街が『 好き 』だと言ったあゆみ。 その街に、自分は、生きている・・・

 幸二は、それで満足だった。


 アパートの鉄階段を上ると、タエ婆さんが、パイプイスに座っていた。

「 お帰り、幸ちゃん 」

 ニコニコと話し掛けるタエ婆さんに、幸二は言った。

「 ただいま。 いつも、ココに座ってんね? 」

「 ああ。 ココは、結構、見晴らしがいいからね。 大通りの様子も、良く見えるさね 」

 タエ婆さんが、笑顔で答えた。

 幸二は、部屋の鍵を出しながら、タエ婆さんに聞いた。

「 ・・・なあ、タエ婆さん。 瑠璃って宝石、知ってっか? 」

 タエ婆さんは答えた。

「 七宝の1つじゃよ。 金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲・珊瑚・・ あと、何じゃったかのう? 忘れちまった 」

「 青い宝石なんだってな 」

 ドアノブに鍵を差し込みながら、幸二は聞いた。

「 そうじゃよ。 手にいれたのかい? 幸ちゃん 」

「 まさか 」

 タエ婆さんは、笑いながら続けた。

「 七宝じゃないけど・・ あたしゃ、若い頃、日本海の海岸で翡翠を拾った事があるよ? じいさんとの結婚資金に換金したら、12円で売れたさね。 ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ・・! 」

 ドアを開けながら、幸二は言った。

「 この街って、瑠璃町って言うだろ? 宝石と、何か関係あるのかな 」

 タエ婆さんは答えた。

「 昔な・・ 平安の頃、有名な歌人が旅の途中、この辺りに立ち寄ってな。 夜明け前に見たこの宿場町が青く輝いて、そりゃ大そう綺麗じゃったそうな。 それを歌に詠んでな・・ 『 瑠璃に輝く山際に、着きたる我が身の疲れしも、忘るる心地の美しさ 』ってヤツさね。 町役場の前にある碑文にも、ちゃんと書いてあるぞえ? 」

 幸二は、いたく感心して答えた。

「 へええ~・・・! そりゃ、知らなかったな! 今度、良く見てみるよ。 色々、良く知ってんだな、タエ婆さん 」

「 ダテに、歳取ってないさね。 婆を、ナメちゃイカン 」

 タエ婆さんは自慢気に、そう答えて笑った。

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