水漬く天使像

烏兎都

川の神様

 川の流れは穏やかで、澄んでいる。雨が続くと表情を変えることもあるが、いつもひっそりと私たち地元の住民を見守る存在だ。今、水量は少なく、水底が見えている。

 私は近隣に住む取るに足らないフリーター女だが、この川べりにはよく足を運んでいる。河川敷と言うほどのものはなく、私たちが普段歩いている高さが堤防になっていて、私はあまり手入れされていない草むした斜面をゆっくり歩いて降りてきた。上流にはダムがあり、大雨の後は増水するので、サイレンがなったら川から上がって高いところへ、という看板が立っている。

 今日は、家から陶器の置物を持ち出してきた。母が家に飾っていた天使の置物だが、あまり思い入れはないようなので、もらいうけてきた。この川の神様に捧げたくて、持ち出してきたのだ。当たり前に流れていた川だが、この歳になって、少女じみたアニミズムが顔を出し始めてきたらしい。

 去年、この川で、高校生が死んだ。報道によれば、彼はサッカー部の二年生。子供の頃からサッカーに打ち込んでおり、技術はさることながら、そのメンタリティでチームを引っ張る存在だったそうだ。しかも、文武両道で成績も学年で最上位に入るほど。もしサッカーで生きていけないなら、医者になりたい、苦労をかけてきた父親にも楽をさせてやりたいと夢を語っていたそうな。私は彼と何の接点もないのだがどうしてこんなに詳しいんだろう? 父子家庭で三人兄弟というところまで知っている。ちなみに、顔もいい。

 親戚でも友人でもないそんな彼だが、前述の通り、去年死んだ。心優しく勇気ある若者は、川で溺れる子供を助けようとして飛び込んで、死んだのだ。ちなみに、その子供も死んだ。不幸な事故だ。この川は未来ある命を二つも飲み込んでなお流れ続ける。あの時は雨が続いていた。今は穏やかだ。水も澄んでいる。

 私のことについて、さっきただのフリーター女と名乗ったが、改めて何者かというと、この川で自殺しようとしたことがある、暗い人間だ。だが、カジュアルな気持ちだった。死のうと思って橋の上に立ったが、決意が足りなかった。仕事を辞めて、明るく生きていこう、そう思い直して引き返した。どん底ではないが楽しみや夢のない人生。生きていればいつかいいこともあるだろうと思って、もう一度頑張ることにした。

 悲しい事故があったのはそれから間もないころだ。前述の通り、つまり、すごく夢に溢れていて、楽しく充実した人生が待っていそうな希望ある若者が、無為に死んだ。子供も死んだのだから、彼の行いは無為に終わってしまったのだ。命をかけたのに、失敗した。私のような何の価値もない、取るに足らない女がのうのうと生き続けているのにだ! あまりにも悲しくて、その話を聞いたとき、その場でぼろぼろと泣いてしまった。それと同時に、私は、おそらく彼に恋してしまったのだ。彼の気高く尊い魂に、強く惹かれている。

 たとえ失敗したとしても、救えなかったとしても、勇気ある行動を称えたい。彼の家族は、死ぬまで君のことを忘れないだろう。でも、地元の人々が、忘れていく。友人達も、新しい人に出会って、君を忘れていく。君の家族が死んだら、こんなにも気高い魂が忘れられてしまう。君は川の神様になって、これから先ずっと祀られていく。そんな夢を私は見ている。

 だから、家から持ち出して来た陶器の天使像を水底にそっと置く。願わくば、彼の魂に安らぎがありますように。

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水漬く天使像 烏兎都 @utmyk

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