二品目 ぬりかべの巻き寿司

 酔って大暴れした日から数日後の、土曜早朝。

 スポーツ用タイツとホットパンツ、上はパーカーというスタイルで、わたしは『すし処 ギンさん』にやってきました。


「よ、ちゃんと動きやすい服装で来たみてえだな」

「おはようございますギンさん。今日はよろしくお願いします」


 わたしはそう言って深々とおじぎをします。

 というのもお店の修繕費である五百万円を返済するため、今日からギンさんの仕入れを手伝うことになっているのです。

 仕事が休みの日、つまり週末だけのアルバイトですから、完済するまでしばらくかかることでしょう。


「俺としちゃ若い娘さんに手伝わせるのはどうかとも思うんだがなあ。仕入れと言っても実際にやることは魔物退治だ。とてもじゃねえが安全な仕事とはいえねえ」

「あ、やっぱりそういう感じなんですか」


 ギンさんのお店は怪しげなネタを専門としているお寿司屋さんですから、なんとなくそんな予感はしていました。

 にわかに信じがたい話ではありますが、どうやら本当に妖怪やらは実在しているらしく、ちょうどそこにたぬきの尻尾を生やしたロクさんがやってきて、


「今日からデビューかい。うっかり食われねえように気をつけろや」

「イヤな冗談はやめてください。あと化けの皮が剥がれてますよ」


 ロクさんは「寝起きだからなあ、おっと」と言いつつ尻尾を引っ込めます。

 まったく不条理すぎやしませんか、この状況。

 釣り師風のベストにワークパンツのギンさんは、わたしたちのやりとりを見ながら、


「ま、なんとかなるか。見たところお嬢ちゃんは鍛えてそうだしな。なにかスポーツでもやってんだろ」

「はい。多趣味なので色々と」

「ひひ、確かにぷりっとしたケツしてやがる」


 隣にいたロクさんがいきなりお尻を撫でてきたので、樽みたいなみぞおちにハイキックをぶちかまします。


「――ふごっ!」

「あ、すみません。つい手が」

「脚だ! 脚!」

「とまあこんな感じで、キックボクシングなどを嗜んでおりまして」

「なるほど。思っていた以上に頼りになりそうだ」


 と、ギンさんが感心したように呟きます。

 一方のロクさんは痛みのあまり変化の術が解けてしまったのか、たぬきの置物めいた姿になっています。

 しかしわたしの常識的感覚は早くも麻痺してきたようで、正体をあらわにした妖怪に構うことなく、お店の前に駐めてあるワゴン車を指さして、


「早く準備して行きましょう。どこ行くのか知りませんけど!」

「……なんだよ、ずいぶんとやる気じゃねえか。お嬢ちゃん」


 だってギンさん、わたしとて出版社で小説の編集者をやっているくらいには、フィクションを愛していますからね。

 リアルで魔物退治を体験できるとなれば、そりゃワクワクしてきますって。



 ◇

 


 というわけで目的に向けてブロロロ。

 運転はお客さんであるはずのロクさんが担当するというので、お店の仕入れというより趣味で釣りに行くような雰囲気です。

 わたしは隣に座るギンさんに、


「ちなみに目的地はどこで?」

「群馬だよ」

「あれ、海に行くんじゃないんですか」


 内陸県である群馬には海がありません。

 お寿司のネタを仕入れに向かうわけですから、てっきり海かその近くの魚市場に向かうものかと思っていましたが……考えてみればギンさんは怪しげなネタを握っているわけで、仕入れ先が海でなかったとしてもおかしな話ではありません。

 すると運転席のロクさんが、


「いいや木戸にゃん、群馬にだって海はあるぞ」


 と言ってきたので、よくわからなくなって首をかしげます。

 隣のギンさんはそんなわたしの顔を見て、


「あまり知られちゃいないが、群馬県には竜宮伝説がいくつかある。伊勢崎市の龍神宮に、沼田市の吹割の滝――川の底、あるいは滝つぼが竜宮につながっているなんて話だ。あの浦島太郎の逸話も、それらの伝承がモデルになっているという説もある」

「え、じゃあこれから竜宮城にネタを仕入れに……」


 タイやヒラメの舞踊りを見ながら? なんと壮大なスケール。

 それを聞いたギンさんはカッカと笑い、


「竜宮っつーのは比喩みたいなもんで、この世ではない場所につながる道ってのがあちこちにあるのさ。面白いもんで海がないはずの内陸にこそ、彼方アチラの海につながるスポットが多いんだ」

「……聞いているだけで頭が痛くなってきますねえ」

「ありえないものやありえない場所を指して、妖怪だ怪異だと騒ぐわけだからな。常識で考えたところでどうしようもねえ。いずれにせよこれから向かうのは、この世の理屈が通じない場所だ。うっかりすると戻ってこれなくなるから気をつけろや」


 いわば神隠し、というやつでしょうか。

 ロクさんはあれでキモ可愛い(失礼!)たぬきの妖怪ですから、目の当たりしても怖くはなかったものの――この世の理屈が通用しないとか、迷うと戻ってこれないなんて怪異の話をされると、うすら寒くなってきます。


 そもそも妖怪のすべてがロクさんみたいな感じではないでしょうし、くねくねにしたって人間を窒息死させたり頭をどうにかさせてしまう、タチの悪いやつらです。 

 はたしてわたし、無事に帰ってこれるのでしょうか。


「おっと、脅しすぎたかな。まあなにがあっても俺が守ってやるから安心しろや。お嬢ちゃんのきれいな顔には、傷一つつけねえよ」

「はひっ! お願いしますっ!」


 ギンさん、さらっと言ってくるものですから、わたしはキュンとしてしまいます。

 もしかして新しい恋☆はじまっちゃう?


「つっても店で暴れたときの元気がありゃあ大丈夫だろうけどな。いまだにあのときのことはちょっとしたトラウマだ」

「すみません、すみません……」


 ギンさんが引き気味にそう呟いたので、新しい恋がはじまる気配はなさそうです。

 わたしの酒癖の悪さ、どうにかならないものでしょうかねえ。




 群馬といっても関東圏内ですから、午前中には目的地に到着いたしました。

 そこは山道にぽつんと佇む寂れたドライブインで、


「さあて、まずは荷物をおろしちまおうか」

「本当にここなんですか? てっきりトイレ休憩かと」


 なにせ昭和レトロ風のドライブインです。海に行くという感じがまるでしません。

 するとギンさん、車からおろした荷物をひょいと担ぎながら、


「雰囲気があっていいだろ。うどんの自販機とかあるんだぜ」

「いえ、そういうことを聞いているわけではなく」


 しかし一方のロクさんはすでに中へ入っていて、数年単位でお客さんが来てなさそうな店内で、自販機で買ったうどんをさっそく食べていました。


「ま、俺たちも腹ごしらえといこうや。昼飯も用意しといたからな」


 もしかしてお寿司でしょうか。

 だとすれば、クネの握りと同じくらい美味しいに決まっています。

 おかげで細かいことがどうでもよくなってきたわたしは、餌づけされた猫のようにギンさんの背中を追い、先に座っていたロクさんも交えて卓を囲みます。


「今日はぬりかべの巻き寿司だ。たんと食べな、お嬢ちゃん」


 タッパーを渡されたのでのぞいてみますが、見たところ普通の巻き寿司でした。

 前回のくねくねがえんがわに見えたのと同じく、具材はまるでウナギかアナゴのよう。隣のロクさん、タッパーの巻き寿司にさっそく手を伸ばして、


「木戸にゃん、ぬりかべもただのアニメキャラクターじゃねえかんな」

「知ってますよ。わたしもあれから色々と調べましたから。福岡や大分に伝わる妖怪で、夜道でぬりかべに出くわすと、見えない壁に阻まれたように前に進めなくなるとか。一説ではたぬきの仕業だといわれているんですよね」

「なんでえ、つまんねえな。言っとくけどあっしらとやつらは関係ねえぞ」


 うんちく語りができなくて不満なのか、ロクさんはすねた顔。

 するとギンさんが、


「ぬりかべってのはそのままじゃ、固すぎるうえに臭くて食えたもんじゃねえ。だけどちょいと工夫してやれば、極上のネタに様変わりだ。すげえだろ」

「そこはやっぱり職人さんですねえ。で、どんな匠の技を使ったんです?」

「圧力鍋だ」

「……はい?」


 圧力鍋と言いましたか、今。

 どう考えても技ではありません。ザ・調理器具です。


「牛すじの仕込みと同じ要領だ。普通の鍋じゃ気が遠くなるほど煮込まなくちゃなんねえが、圧力鍋ならそこまでかからねえ。そのうえ短い時間ですむぶん、より臭みも消えてトロットロになるってもんさ」

「ええ……思ってた方向と違うというか、ちょっと残念な感じ」


 わたしの微妙な反応を見て、ギンさんはぬりかべの巻き寿司の入ったタッパーをぐいとこちらに寄せて、


「難癖つけるのは食ってからにしろや。柔らかくしたのは圧力鍋かもしれねえが、寿司ってのはそれだけじゃねえ。握り方から味つけまで、他にもいろんな工夫がある」

「確かにそのとおりですね、では遠慮なく」


 わたしはそう言ってぱくり。

 するとどうでしょう、口の中いっぱいにジューシーな肉の甘みが広がりました。


「なにこれ! めちゃくちゃ柔らかくて美味しいですよ!」


 噛むたびにぷりぷりとした身が弾け、香ばしいたれの味わいととも消えていき、最後は山椒の香りが余韻となって残ります。

 まるで最上級のウナギと和牛を合わせたような、いえ、それ以上のナニカです。


 絶滅危惧が騒がれる昨今、ぬりかべの身はウナギを救う究極の代用食材になるやもしれません。

 ……いや、無理ですね。妖怪なので。


「恐れいりました。ただ柔らかくしただけじゃ、こうはなりません。蒲焼き風の味つけからほのかに香る山椒のバランスまで、どれも上品で、かつ嫌みがない。まるで完成された芸術品のようです」

「ハハハ。そこまで褒められると今度は照れちまうなあ」


 ギンさんはそう言ったあと荷物を背負うと、ロクさんに、


「腹ごしらえもすんだし、そろそろ行ってくるわ」

「おう。ここで待っとるから、一日経って戻ってこなかったら助けを呼んでくる」


 とのこと。

 なるほど、もしものときのためにロクさんが待機してくれるわけですね。

 なんて思うのもつかの間、ギンさんが【非常口】と書かれたドアを開けると、その先に虹色のモヤが広がっていました。

 どう見ても彼方アチラの世界とやらの入り口です。


「うわ、こんなところに……。知らずに開けたら大変ですね」

「結界が張ってあるから、カタギのやつは最初からここに寄りつけやしねえさ。知らずにやってくるやつがいるとしたら、そりゃ陰陽師か妖怪さ。まったくロクさんは、俺の店にまで似たような結界を張りやがるからなあ」

「結界? ここはともかく、ギンさんのお店にはわたし、普通に寄りましたけど」

「てえことは、お嬢ちゃんもってことだ」


 なんて言いながら、ギンさんは虹色のモヤの中に消えていきます。

 いやいやいや、わたしは一般人ですよ。

 あなたがた二人といっしょにしないでください。


「いずれにせよ木戸にゃん、お前さんはもう片足突っ込んでるがな」


 ロクさんがそう言って、わたしの背中をトンと押します。

 ちょ、待っ――バランスを崩してそのまま、虹色のモヤにダイブ。




「げふっ!」


 砂浜に思いっきり顔面が埋まります。

 おろおろしながら立ちあがると、そこは海。

 うしろを見れば困ったことに、さきほどの入り口は影もかたちもなく。

 いったいどうやって帰るのでしょう、かなり不安が残ります。


「ここが群馬にある魔の領域――伊勢海イセカイだよ。お嬢ちゃん」

「イセ……異世界?」


 怪しげな紫色をした海の岸に、オンボロ船がちょこんと係留されており、その先に不気味な島が、かすかに見えました。


「あの島でノドグロを狙うぞ」


 とギンさん。

  ノドグロとは高級魚のことでしょうか。意外と普通でした。


「俺たちの獲物は神話の時代に食されていたという、伝説のノドグロだ。今日こそあの古代ローマ寿司を復活させんのさ」

「なるほど」


 と言いつつも納得したわけでなく、ツッコミを入れるのが面倒だったからです。

 古代ローマ寿司。

 理解できる要素が一つもありません。

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