異世界すし処 ギンさん

芹沢政信

一品目 くねくねの握り

 すし処 ギンさん (公式情報)

 ★★★★☆ 4.00 …5件


 高田馬場駅から徒歩五分~三〇分。

 時期によって座標は変動。

 適正のない方は店舗の存在を認識できない可能性があります。

 🌙¥10,000~999,999 休:満月または新月の夜


【紀元前五〇〇年創業の超老舗】店主自ら仕入れた他では味わえない一風変わった握りを楽しめます。伊勢海イセカイ産の具材を使った創作料理もご用意できます。お食事中に不可解な現象に見舞われた場合、当店は一切の責任を負いませんのでご了承ください。


 ◇


「あんた、見ねえ顔だな。ここに来るのははじめてかい」

「え……はい。今日は給料日だったので、ふらっと」


 それは帰宅途中に立ち寄った、質素な店構えのお寿司屋さんでのことでした。カウンターに座ったわたしを見るなり、隣にいた恰幅のよいおじさんが話しかけてきたのです。


「つーことは引き寄せられたのかねえ。もしかするとあんた、名字が土御門だったりしねえか」

「いえ、木戸です。木戸袮子きどねこといいます」


 ご丁寧にフルネームで名乗ったところ、隣のおじさんはつるっとした禿げ頭に手をやって「フーム」と考えこみました。

 名字はともかく『ねこ』なんて珍しい名前ではありますが、わたしのことをそこまで気にするのはなぜでしょうか。

 するとカウンターの奥にいた大将がやってきて、


「すまないね、お嬢ちゃん。ロクさんはきれいどころを見ると、かまいたがるもんで」

「ギンさん、人をスケベ親父みたいに言わねえでおくれよ。寂れた寿司屋に珍しくやってきたご新規さんだから、いっちょ親切にしてやろうと思っただけでさあ」

「バカ野郎。この店で閑古鳥が鳴いてんのは、あんさんみてえな通ぶった客ばかり来やがるせいで、カタギの人間が寄りつかねえからだろうが。……しまいにゃあうちらの隠れ家にしようなんて言いだして、結界まで張りやがるし」


 このお店はあまり繁盛していないのか、一人で切り盛りしているらしい店主のギンさんは、常連客らしいロクさん相手になにごとかブツブツと不満を漏らしはじめます。

 ギンさんはその名のとおり銀色に近い白髪の方で、切れ長のまぶたからのぞく青い瞳が印象的なおじさまです。

 異国の血が混じっているようですし、お年を召して髪が白くなったのではなく、生まれつきこの色だったのかもしれません。


「いずれにせよ、オレの店に入るたあ見こみがありそうだ。お嬢ちゃん、なんでもいいから一品だけおごってやる」

「……え、本当ですか? ありがとうございます」

「なんでえ。ギンさんだってスケベ親父じゃねえか」


 隣のロクさんがそう言ったので、わたしは思わず吹きだしてしまいました。

 するとギンさんは照れたように苦笑いを浮かべながら、


「下心じゃねえ、初回サービスだよ。うちは他では味わえねえネタがわんさかあるからな、頼むからマグロだなんて言わねえでくれや」

「……なるほど、タダなら食ったことねえやつも頼みやすいってことかい」

「ああ、そういうことですか。でしたら遠慮なくチャレンジしてみますね」 


 言われてみれば、なじみのないお魚の名前が書かれた札が壁一面に貼られています。

 ツチコロビ、タキタロウ、ヌッペフホフ、ヒバゴン、チュパカブラ――んん? 

 なんとなく違和感を覚えたものの、わたしが選ぶネタにギンさんとロクさんが興味津々なご様子でしたので、ひとまず注文を優先します。


「じゃあ、クネってのをお願いします」

「合点承知! それを選ぶたあ、目のつけどころがいいねえ!」


 ギンさんは嬉しそうな顔で腕をまくると、さっそく調理に取りかかります。

 異国風の顔に黒の割烹着というアンバランスな組み合わせが妙にさまになっていますし、ちょい枯れ気味のおじさまというのも私のストライクゾーンにドンピシャでありました。骨ばった手で包丁を入れる姿は、まさに職人って感じでたまりません。

 なんて思っていると、隣に座っている見ため大暴投のロクさんが、テカテカしたお顔を手ぬぐいで拭きながら言いました。


「木戸にゃんよ。一反木綿って知っているかい」

「ええ……。なんですか急に」


 唐突な話題の振り方もさることながら、初対面の相手に『木戸にゃん』なんてふざけたあだ名で呼ばれたことに唖然としてしまいます。

 とはいえわたしとて今年二十四歳の社会人。厄介なおっさんの相手にも慣れたもので、


「マンガのキャラクターですよね。ひらひらした布っぽくて、主人公の少年を乗せて空を飛んだりして。こう見えて出版社で編集者をやっていますから、けっこう詳しいんです」

「誰かの創作みたいに言うんじゃねえよ。あれにはちゃんとモデルがあって、昔から言い伝えられている由緒正しき妖怪なんだっつうの」

「そうなんですか。わたしってば、てっきり……」

「おおもとの出どころは鹿児島あたりで、そっちじゃ『いったんもんめ』とか『いったんもんめん』なんて呼ばれているよ。名前が示すように一反(長さ約一〇メートル、幅三〇センチほど)の白い布みてえな姿でなあ、人間を見つけると顔にへばりついて息の根を止めようとしたり、巻きついてそのまま空にさらっていったりしやがる、タチの悪いやつらさ」

「うわ、思ってたりえげつないことしますね。ヤバイじゃないですか」

「あたりめえだろうが。妖怪だぞ」


 まあそれ言ったら、そのとおりですけど。

 ……ていうかなんで一反木綿の話? ロクさんは妖怪マニアなのでしょうか。


 疑問はつきないものの、この手のおっさんはとかく知識をひけらかしたがるもので、うかつに話の腰を折ろうものなら、とたんに不機嫌になるというめんどくさい性質を持っています。

 ここはニコニコ笑いながら「へえー。すごーい。そうなんですかー」と心を無にしてテキトーな相づちを打っておくのが得策でしょう。


「てなわけで昔から厄介な連中だったわけだが、最近じゃさらに力をつけてきてよう。今や【くねくね】なんていう名で、新手の怪談にまでなる始末さ」

「あ、その都市伝説なら知ってます。ネットの記事で読んだことありますから。なんでも畑に出てきて、その姿を見ると頭がどうにかなっちゃう話ですよね?」

「おうおう、そこらへんはさすが出版社勤務の木戸にゃんですかい。近ごろはなんでもネットなのが気にくわねえものの、要はそのくねくねってのが、昔で言うところの一反木綿てえわけだ」

「へえー。すごーい。そうなんですかー」


 さっそく女子の世渡り三種の神器を使ってしまったわたしではありますが、与太話としてはなかなか面白いものでもありました。

 するとカウンターの奥のギンさんが話に乗ってきて、


「不思議なもんでな、妖怪や魔物のたぐいってのはタチの悪いやつらほど食ってみると美味なんだ。くねくねは独特の苦みこそあるが、丹念にあく抜きしてから包丁を入れてやると、まるでヒラメのえんがわみてえになりやがる」

「え、食べる? なにを?」

「だから一反木綿……もとい。くねくねを、だよ。ロクさんがなんでウンチクを垂れ流していたと思う」

「そいつはもちろん、これから食べるもんをより深く味わうためでさあ」


 ロクさんが合いの手を打ったところで、わたしは注文したネタの名前を思いだしました。

 クネの握り。

 つまりくねくねの――お寿司?


「アハハ。とんでもないオチですね。でも余興としては面白いと思いますよ」

「ま、信じるも信じねえも自由さ。とはいえ俺が握ったもんは食ってもらうぜ」


 そう言ってギンさんはスッと、わたしの前に二巻のお寿司を差しだします。

 見たところまんま、ヒラメのえんがわ。


 ちなみにえんがわというのは通称で、部位としてはヒレの筋肉に相当します。

 コリコリとした食感が人気のネタでありますが、色が白いこともあって言われてみれば確かに、一反木綿っぽいかもしれません。


 とはいえさすがに妖怪のお寿司なんて、冗談が過ぎるというもの。

 いい歳したおっさんが二人して、全力で若い娘をからかおうとしているのですから……ほかにやることないのかなあと呆れてしまうものの。

 ひとまずわたしは空気を読んで、クネの握りをぱくり。


「――ふほっ!」


 口に入れた瞬間、あまりの衝撃に奇声が漏れてしまいました。


 コリコリした歯ごたえはヒラメのえんがわによく似ているものの、その身からにじみでるエキスはあきらかに別種のものです。

 海の幸をふんだんに使ったスープのような味わいが噛むたびに舌に広がり、それは旨みによる洪水のごとく脳髄に到達し、わたしの中枢神経を暴力的に刺激していきます。


 そして次にやってきたのは柑橘系の酸味でした。

 口から鼻にすうっと抜けていくような上品な香りによって、クネの身が本来持っていたであろう独特の臭みを中和していきます。

 これはきっと柚子でしょう、なんとも優しい後味です。


 この世のものとは思えぬその握りの美味しさに、わたしはしばし時を忘れ――それこそ妖怪くねくねを見た人間のように、恍惚とした表情のまま呆けてしまいました。

 やがてギンさんが、


「お嬢ちゃん。大丈夫か」

「――うわっと! なんですかこれ、なんなんですかっ!」

「だからクネの握りさ。うますぎて頭がどうにかなっちまいそうだっただろう? これでも今のが、ただのえんがわだと思うか」


 返答に詰まりました。

 頭の中では「そんなわけない」と鼻で笑っているのに、わたしの舌は今も興奮冷めやらず、さきほど口にしたものは「この世のものではない」と主張しているのです。


「わかんないです。もっと食べればわかるかも」

「早くもおかわりを催促かい、木戸にゃん。だけどクネの握りはもうやめとけや。あんまり食いすぎると中毒を起こしちまうからなあ」


 隣のロクさんがそう言いつつ、自分もクネの握りを注文して口に放りこみます。

 ……中毒? なんだか不穏な言葉を聞いたような。


「くわーっ! やっぱ刺激がつええな。うっかりするとトリップしちまいそうだ。木戸にゃん、あんたも念のため酒で舌を清めておきな」


 さらに不穏なことをのたまうロクさんにおちょこを渡されたので、わたしはそこに注がれた日本酒らしきものを、言われるがまま口に含みます。

 するとどうでしょう、これまたありえないほど美味でした。


「うわあ、甘い! 濃い! でも上品! ……まさかこれも妖怪なんて言わないですよね?」

「ハハッ! んなわけあるかい。こいつはかのスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するときに使ったヤシオリでなあ。つっても今でも普通に売ってるから普通の酒だよ」


 ……なるほど。そういうものですか。

 となればさきほど食べたクネの握りもとにかく美味というだけで、決して妖怪などではなく、単にわたしが知らないお魚なのでしょう。

 場の雰囲気に流されやすい性格ですので、うっかりすると騙されてしまいます。

 それはさておき、ヤシオリの酒で早くも酔いが回ってきたのか、


「あれれ? ロクさん、お尻に尻尾が生えてますよ。たぬきみたい」

「おっとイケねえや。歳のせいか、すぐに化けの皮が剥がれちまうんでなあ」

「また与太話ですかあ? もう騙されませんよお」

「それよりもお嬢ちゃん、ほかに頼むもんはねえのか。まさかクネの握りだけで満足しちまうようなタマじゃねえよな?」

「じゃあギンさん、チュパカブラとモスマンと、あとはなににしようかしらん」

「……ほおら、ヤシオリもどんどんいけや、遠慮するこたあねえ」

「ダメですよロクさあん。わたしこう見えて酒癖が悪いので」

「するってえと木戸にゃんは、くねくねみたいに踊るのかい?」

「そうそう、踊りますねえ。あとめっちゃ暴れますよお」


 こうしてわたしは夢うつつのまま、聞いたことのない名前の、しかし食べてみるとこの世のものとは思えない極上の握りを、心ゆくまで堪能することにいたしました。


 しかしこのとき一つだけ、大切なことを忘れていたのです。

 わたし木戸祢子は、飲み会に誘ってはいけないリストの常連で。

 妖怪ポリバケツという、不名誉なあだ名で呼ばれていることを――。



 我に返ったときには手遅れでした。

 ギンさんたちが邪悪な妖怪に出くわしたような顔で、わたしを見つめています。


「――はっ! もしかしてなにか、やらかしました?」

「いいから服を着てくれ、お嬢ちゃん」


 慌ててギンさんに渡された白シャツをひったくります。

 下はさすがに自制心が働いたらしく大丈夫だったものの、上はブラジャーいっちょでした。


「やはり脱ぎましたか……。すみません」

「いや、それはまだいいんだけどよう、木戸にゃん」


 たぬきそっくりの顔をしたロクさんが、バツが悪そうな表情で店内を見回します。

 するとお店の中は……ああ、なにもかもがぐちゃぐちゃでした。

 天狗でも出たのでしょうか。

 いいえ、これは間違いなくわたしの仕業です。


「ほんとごめんなさいごめんなさい。弁償しますので、どうか警察だけは……」

「いやあ、俺らも呑ませすぎたからなあ。お嬢ちゃんだけの責任じゃねえ」


 泣きながら土下座をするわたしに、ギンさんは困ったような顔で笑いながら、優しい言葉をかけてくれます。

 しかしいくらなんでも、無罪放免というわけにはいかないでしょう。


 人のよすぎるギンさんはともかく、隣にいるロクさんはわたしと同じくそれではいかんと思っているようで、険しい表情を浮かべてこう言いました。


「おいおい、ギンさんがなあなあにしちまったら木戸にゃんだって罪悪感の逃げ道がねえぞ。そもそもざっと見、被害総額は五百万じゃすまねえんじゃねえか」


 ひいい! なんと! 

 くねくねの都市伝説より恐ろしい結末!


 ここまで来ると酔いはすっかり醒めてしまい、ただただ己の酒癖の悪さが引き起こした狼藉に恐縮してしまいます。 

 本当に、どうやってお詫びしたらいいものやら。


「弁償するにしたって若い娘がすぐに払える額じゃねえし、いずれにせよこのまま帰すわけにはいかんだろうよ、なあギンさん」

「……そうだなあ。じゃあなんとかしてもらうしかねえか」


 ギンさんがそう言ったので、わたしは「なんとかします!」とさらに深く土下座。


 ところで酔いがすっかり醒めたはずなのに――隣のロクさんが姿のは、いったいどういうことなのでしょうか。

 そのことについて考えると、なおさら頭がどうにかなってしまいそうでした。

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