第7話

 ジンベエは一通り話し終えた。

 少年はもう泣き止んでいた。

 ジンベエは少年の顔を見て言った。

「さ、もう、お帰り。そして、今日から母者様にご成長を見せると思い精進すれば

えぇだに。ボン様にこの笛をあげるだ。この笛さ、ピュールルと吹けば、このオイ

ボレ河童はスタコラやってくるだに。わかっただか? 人目につかぬよう、こっそ

りと笛を鳴らしておくりゃれ。このジイサン河童はいつでもボン様を見守っている

だぁよ。ええな? さ、お帰り……」

 少年はジンベエから笛を受け取ると、その手を取った。

 その手は暖かく、老人の心を癒した。

 そして少年は手を振りながら、去っていった。


 ジンベエは笛が鳴るのを心待ちに待っていた。

 だが、実際に鳴ったのは、あの晩から数ヶ月後であった。

 ジンベエは笛の音を聞くと、鏡川を懸命に泳ぎ、少年のもとへ急いだ。

 そこに少年は、いた。

「どうしただ、久しぶりだなぁボン様。あんれまぁ、少し大きくなったのではねぇ

か? ケケケ……」

 ジンベエの言葉も聞かず、少年は飛びつくようにジンベエに訴えた。

「もっと強くなりたいんです! 河童さん! 僕を鍛えてくれませんか!」

 ジンベエは驚いた。

「そんだらこといったって、オラ、困るだな……。そうだなぁ……。役に立つかどうか

わからねぇが……」

「教えてください!」

「そんだら……、オラが相撲を教えてもらったときの話をすっかなぁ……。オラ、こう

みえても若い頃は長宗我部侍達と相撲をしてたで、そこそこ強かったんだど! し

かしな、オラ、相撲を始めたのは遅かっただ……」

 河童の話は長かった。

 少年は逐一頷きつつ、真剣にきいていた。

「そしてなぁ、中万殿から相撲の決め手を教えてもらってよぉ、その修行を始めた

だ。まぁ修行といっても、あの老木に向かって、しこたま張り手をくらわしただけ

だがな。寝ても覚めても年から年中張り手ばっかりよ。張り手と体当たりだな。体

であたって張り手よ、ケケケ……」

「あの老木に、ですか?」

「んだな。今じゃあ、誰も近寄りぁせんがの……。ありゃあ、神さんがいらっしゃ

る、御神木だぁ……。しかも、戦いの神様だぁで、あの神木に毎日木刀でエイエイと

素振りでもしてみてはいかがじゃろうかのぅ……。神さんも喜ぶに違いねぇだ……」

「ただ素振りだけ……」

「んだな。昔の長宗我部侍達は、みんなエイエイとやっとったがのぅ……。今は小技

が流行っとるようだがの。素振りだけでも大分違うんだべが……。ま、老人のたわご

とだぁな……。忘れてけれ……」

 ジンベエは恥ずかしそうに言った。

 しかし、少年は老人の手をとり言った。

「ありがとうございます! ものは試しです。今日から、それを続けてみます!」


 少年は来る日も来る日も老木に木刀を振り続けた。

 その姿は一心不乱の美しさを称え、ジンベエは思わず見とれてしまった。


懐かしや……。

懐かしや……。


 ジンベエはある日、少年が木刀を神木に打ち込んでいる傍で声を聞いた。


懐かしや……。

懐かしや……。


 それは間違いなく、神木が喜ぶ声であった。

 少年の打ち込む太刀筋は神木に響き、心地よい音を鳴らしていた。


 幾多の長宗我部侍を育てた神木。

 数百年のちにまた、再会できるとは思わなかったのだろう。

 神木は喜びに打ち震えた。

 それだけではない。

 神木もまた、この少年に古武士然とした姿を見たのである。

 撃たれるたびに声をあげた。


 少年は朝早くから、数時間打ち込む。一日続けている時もある。

 それが数ヶ月続いた。

 少年の一心不乱さに、神木は打ち震えていた。

 そして少年が神木に木刀を打ち込む事一年。神木がジンベエに言った。


ありがたや

ありがたや

河童よ

この心地よさ

あの空気

あの熱意

我が老体に活力を与えん

素晴らしきかな

素晴らしきかな

河童、

望みをひとつ、叶えてつかわす……。

申してみよ……。

河童よ……。


 神木はジンベエに望みを言え、と告げた。

 ジンベエは咄嗟に言った。

「あのボン様がご立派に、天国の母者様も喜ぶ御仁に育ちますように、お守りくだ

さい……」

「河童、主もあの武士に心打たれたか。よいよい、それもまたよい、あぁ……、おぬ

しを含め……、なんとも懐かしい……。美しきかな無我なる心……。美しきか

な……。あぁ、懐かしや、武士達よ……。ありがたや、ありがたや……」

 そういうと、神木の声が止んだ。

 ジンベエはただ呆然と立ち尽くしていた。

 その後、日常は変わらず、少年は神木を叩き続け、ジンベエは少年を見守り続け

た。

 そしていつしか少年は青年へと成長した。

 彼は道場でもメキメキと頭角を現し、ついに江戸へ留学するまでになった。

 ジンベエは嬉しかった。

 あの泣き虫だった少年が、こんなに立派に成長できたのは彼の母親と御神木の導

きがあったに違いないと考えた。

 青年は江戸へ出立する三日前、ジンベエに挨拶へ来た。

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