第6話
「えっ! 殿の弟君と会ったことがあるの!」
少年は眼をまるくして驚いた。
「これは本当だで。嘘じゃあねぇだ」
少年の眼はキラキラと輝きだした。
良い目をしている。
この子にもっと何かしてやりたい。
もっと話しを聞かせたい。
ジンベエはそう思った。
「それでな……」
ジンベエの話は続いた。
ジンベエが特に好きだったのは相撲であった。
これも三左に教えてもらった。
最初は負けてばかりいたジンベエだが、何度負けても、もう一番、もう一番と食
らいつくジンベエに長宗我部侍達は拍手喝采して喜んだ。
更に、三左の得意技である張り手を教えてもらった。
それを毎日、毎日、飽きもせず、老木にむかって打ち込むのである。
それこそ頭の皿が乾くまで続けるのだ。
若いジンベエは、自分が強くなることに夢中だった。
実際の試合でその張り手が決まった時などは、嬉しくて、嬉しくて小躍りするほ
ど喜んだ。
更に三左だけでなく、仲間内の横綱である大貫主計までもがジンベエを可愛がっ
てくれた。
大貫主計は何かとジンベエに手ほどきをしてやっていた。
そんなジンベエのライバルは権蔵のオヤジである。
権蔵は力自慢のオヤジで、ジンベエと常々、名勝負を繰り広げた。
皆、桂浜に集まり、土俵際を囲んで、酒を飲む。
これが彼らの楽しみでもあった。
ジンベエにとって心から満ち足りた時間であった。
だが、そんな日々も長くは続かなかった。
長宗我部家の日が翳り始める。
吉良親貞の病死。
戸次川の戦い。
そして四国統一の覇業を夢見た、長宗我部元親の死。
更には関ヶ原での敗戦。
三左や長宗我部侍達にとって、辛い日々が続いた。
戸次川の戦いでは三左の一人息子が死んだ。
更には横綱であった相撲仲間の大貫主計も死んだ。
権蔵のオヤジも死んだ。
それでも三左は涙を見せなかった。
そして涙を流すジンベエに、三左は常々言っていた。
「自分のために泣いてはならんぞ、ジンベエ殿。自分よりもっと哀しい人がいるこ
とを想いやるのが我ら一領具足だ。長宗我部侍だ。辛い時ほど顔を上げ、苦しい時
ほど前へ進むんじゃ。ジンベエ殿は一領具足だ。我らが仲間よ。だから言うの
だ。自分のために泣いてはならんぞ。ジンベエ殿!」
ジンベエは三左の声が今でも聞こえてくるようだった。
三左は自らの息子が死んだ時も、殿の心中を察して泣き、大貫主計が死んだ時も
グッと涙を堪えた。
そして他人のためには大いに泣いた。
今にして思う。
なんと心根の強いことか。
なんと優しきことか。
ジンベエは自らもそうありたいと、強く思っていた。
動乱の時代に巻き込まれるように、土佐長宗我部家は潰えた。
かわりに山内家がやってきたのだ。
ジンベエの生活も変わった。
今までは人に遠慮をしつつも、逃げ隠れせずに鏡川で泳いでいたのだが、山内侍
達はジンベエを見るなり物の怪だと騒いだ。そして鉄砲を持ち出すとジンベエに向
けて発砲したのだ。
これにはジンベエも驚いた。
三左は怒り、他の長宗我部侍達も怒った。
それも一度や二度ではない。
ジンベエを狩ろうと、鉄砲を持ってブラブラ歩き回る連中すらいるのだ。
ある日、ジンベエは山内侍達に追われた。
物の怪退治だ、と大将株の男は笑いながら、ジンベエが逃げるのを楽しんでい
た。
銃弾が何度も飛び交う。
そしてついにジンベエは撃たれた。
間一髪、長宗我部侍達が駆けつけ、ジンベエを保護したが、もし間に合わなけれ
ばジンベエは殺されていたであろう。
幸いにも、鉄砲玉は急所を外れており、ジンベエはなんとか生き延びた。
だが、それからというものジンベエは、上士だけでなく、人を避けるようになっ
てしまった。
それでも郷士と呼ばれるようになった長宗我部侍達はジンベエを可愛がり、時に
ジンベエを囲んで酒を酌み交わしてくれた。
ある時、中万の三左は、言った。
「ジンベエ殿はもう長宗我部侍といっても良い。なぁ皆!」
そう言うと皆笑顔で頷いてくれた。
「ジンベエ殿。我等、長宗我部侍はこれから先、山内侍のために滅ぼされるやもし
れず。その折は、ジンベエ殿、時を超え、我等が魂を受け継いでくださらぬか。そ
して我等が子孫にその魂を伝える父の役割を果たしてほしい。ジンベエ殿。我等は
それほどジンベエ殿を信じ、ジンベエ殿を頼りにしているのでござるよ」
ジンベエはパチクリとし、意味がわからない風情であった。
「アッハハ、ジンベエ殿、今はわからずとも良い。しかし、ジンベエ殿はその時が
くれば必ずや我らが志を達してくれる御仁じゃ。三左の言葉だけ、お忘れなきよ
う……。ささ、飲みましょうか、しからば、しからば、拙者がお相手いたす、アッハ
ハ!」
その言葉を残して、三左とは今生の別れとなった。
この桂浜での宴が最後の夜であった。
翌日、三左は種崎浜へ出向いた。
種崎浜で相撲を取りながら、上士と郷士の親睦を深める宴を催すとのことだっ
た。
それも盛大に呼びかけ、名だたる郷士のほとんどが参加をすることになった。
ジンベエも参加する予定だったが、三左が来るなとしきりに止めた。
ジンベエは三左の止める言葉に従い、不参加にした。上士が怖かったというのも
ある。
その晩、郷士達はみな死んだ。
三左も殺された。
上士達は郷士達を皆殺しにしたのだった。
この報は土佐を駆け巡った。
当然、ジンベエの耳にも入った。
ジンベエは愕然とし、気を失ってしまった。
嘘だろう。
ワシの仲間が全部?
全員、死んでしもうたのか?
嘘だろう。
ジンベエは泣いた。
延々と、延々と泣いた。
そしてジンベエは、人と接することがなくなった。
ジンベエが一年に一度、桂浜で遥かな歳月を偲び、霊魂を慰めているのはそうい
う理由であった。
今夜もそういう夜だったのだ。
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