第3話
その夜は月夜だった。
ジンベエは去年と同じように、あの頃の郷士たちのことを偲んでいた。
一緒に相撲を取ってくれて、酒を酌み交わした侍たちが懐かしくて仕方がなかっ
た。
「かれこれ三百年近く経つべぇか……」
ジンベエはご馳走を並べつつ、感嘆した。
そして恒例の独り相撲をはじめたのだった。
「エヘン、エヘン、シカラバ、シカラバ、権蔵のオヤジとまた組みてぇなぁ……。懐
かしいなぁ……。シカラバ、シカラバ、ハッケヨイ、ハッケヨイカ、ヨイカ、ヨイノ
カ、ヨイカ、ノコッタァアア!」
ジンベエは一人で行事をやったり、力士を演じたりした。
「ノコッタァ、ノコッタ、ノコッタァ! あれよ中万殿、お見事、お見事! アイ
ヤシカラバ、シカラバマタレヨ、ワッショイ、ワッショイ!」
ジンベエが行事をすると、中万三郎左衛門が力士として土俵にあがった。
そして相手をひょいと投げたので、ジンベエは喝采した。
ジンベエの周りにはいつのまにか長宗我部侍達の魂魄が集まり、懐かしい日々が
甦っていたのである。
ジンベエは霊魂たちと一緒に相撲を楽しんでいた。
「おぉー!」
「ガハハハ!」
「どうした、三左!」
「シカラバ、シカラバ、ガハハ!」
「勝負はこれからぜよ!」
「ジンベエ殿、ささ、もう一番たのむぜよ!」
ジンベエは霊魂と共に一心不乱に相撲を取り続け、騒ぎ、歌い、踊り続けた。
ジンベエの至福であった。
時間が消えるようだった。
老いも忘れた。
この連中が持っている空気が、たまらなく好きだった。
彼らと共有する時間が、愛おしかった。
霊魂たちはジンベエを囲むように、ふわふわと浮かんでいる。
宴もたけなわの頃、ジンベエは寂しさのあまりハラハラと泣いた。
霊魂が一人、また一人と消えてゆく。
ジンベエは一人取り残される寂しさに耐えかねた。
「オラも連れていってけろ!」
ジンベエは思わず叫んだ。
すると、中万の霊魂がジンベエに語りかけてきた。
「なぁに、ジンベエ殿、もうすぐ、もうすぐ、おぬしの大一番が来るぜよ、もう暫
くの辛抱じゃ、ジンベエ殿!」
「中万殿、どういう意味だべか?」
「ジンベエ殿には申し訳ないが、ジンベエ殿にもうひと働きしてもらうんじゃ!」
「?」
ジンベエは特に仲の良かった中万三郎左衛門の声が、意味するところを理解しか
ねた。
「ジンベエ殿、拙者の言葉をお忘れなく……」
そういうと中万は消えた。
あんなに騒がしく、ジンベエの周りで騒いでいた声達は、誰一人残らずに消えて
しまった。
ジンベエは虚脱した。
桂浜でひとり座っていた。
月を見つめながら涙が溢れて止まらなかった。
「自分が寂しくて泣くのは……、長宗我部侍ではない……。グググ。オラ、長宗我部侍
だで、泣いちゃなんね、グググ……」
そう言いながら、何度も涙を拭った。
その時である。
どこからかジンベエ以外の泣き声が聞こえてくる。
ジンベエはハッとした。
泣き声は子供の声であった。
ジンベエはその声の主を探した。あまりにも切なく、それでいて人を魅了する泣
き声。
月の明かりをたよりに、周囲を探すと、一人の少年が月に照らされて泣いてい
た。
まだ八才くらいの男の子である。
ジンベエはその子の泣き声があまりにも胸を締め付けるので、今すぐ飛んでいっ
て慰めてやりたかった。
しかし、ジンベエは自分が河童であることを知っている。
河童を見たら驚くに違いない。
驚かしては悪い、と思いつつも、どこか心惹かれる少年であった。
「河童でもよかんべ。オラ、あの子を慰めねばなるめ」
ジンベエは思い切って、その少年に近づいた。そして、隣に座ると、少年はハッ
と顔をあげた。何かの気配に驚いたのだろう。
その気配の正体が河童だとわかると、少年は目をまるくして驚いた。
暫く河童を見ていた少年の瞳にみるみる涙が溢れた。
そしてまた顔を伏せて泣いた。
自分の隣りに物の怪が座ったのだ。
泣くのも仕方ない。
だが、このままオラが黙っているのは更に気味が悪かろう。
ジンベエは思い切って声をかけてみることにした。
「どうしただ、どっか痛むか、どっか痛ぇなら、オラに言うてみろ」
少年は顔を伏せながら、首を振った。
「……オラが怖いか? 仕方ねぇだな……。河童だもんなぁ……。やっぱり、オラが怖い
のか?」
「おじさん、やっぱり、河童なの?」
少年はおそるおそる顔を上げて聞いた。
「そだな。オラ、人様には河童って言われてるだな。ケケケ。すまねな、物の怪だ
で、怖かろう? オラが怖いのか?」
少年は意外にもそれにも首を振った。
ジンベエは困ったように、首をかしげた。
「ふむ、じゃあ、どうしただ? そんだけ泣いたんでは体に悪いべ。さ、オラ河童
だけ、何を言うても大丈夫だ。言うてみ、言うてみろ」
少年は黙った。
暫く沈黙が流れた。
ジンベエは、なるべく笑顔をつくって安心させようと頑張っている。
そして少年はジンベエに言った。
「ぼ……、僕の……」
少年は、言葉に詰まった。
泣き声を再び大きくしながら、少年は叫ぶように言った。
「僕の、母上が、死にました!」
ジンベエは絶句した。
最愛の者を失う悲しみは、ジンベエも痛いほどわかっていたからだ。
だから声がかけられなかった。
その代わり、そっと少年の肩に手を回した。
少年はジンベエのしわくちゃな指を握り締め、また泣いた。
月が河童と少年を照らし、長い影をつくっていた。
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