第114話 勇敢なる勇者様の決断

 忌まわしき記憶を思い出したアビゲイルが、目を見開き、近くにいるミラの両肩を掴む。


「思い出した。あの日、私は白いローブを着た集団に攫われそうになっていたアソッドを助けようとした。だけど、仲間に足止めされて、森の中へ連れてこられた。そこで仲間に負けて、植物の姿に変えられたんだ。ミラ、あれからどれくらい経ったの? アソッドは無事なんでしょうね?」


「その出来事がいつのことなのか分からないので、自分の目で確認してください。これは今日の新聞です」

 そう言いながら、ミラは右手の薬指で空気を叩いた。すると、ベッドの上に折りたたまれた朝刊が落ちる。

 それを手に取り、右端にある日付を目にしたアビゲイルは目を見開いた。


「約十三か月? そんなに……」


「さて、二つ目の質問の答えです。アソッドは記憶喪失になっていますが、健康面は問題ないでしょう。さて、ここからが本題です。一通りの検査が終わり、退院が決まったら、私とパーティを組みませんか? 目的は、共通の敵を倒すこと」


「共通の敵?」とアビゲイルが首を傾げると、ミラが頷く。


「はい。話によると、あなたを植物の姿に変えた張本人は、ルルです。そして、私もルルに全てを奪われた被害者なんです。私は、身分や名前を奪われました。大切な人は、誰も私がミラ・ステファーニアだって信じてくれません。できることなら、私から全てを奪っていったあの人と再会して、この手で全てを取り戻したい」


 初対面の少女の決意の声にアビゲイルが反応を示す。そんな彼女の頭の上には、自分を植物の姿に変えた因縁の女の顔が浮かび上がっていた。その顔を思い出すと胸が苦しくなる。

 奇妙な感覚に戸惑うアビゲイルは、息を吐き出し、首を横に振った。


「ごめん。退院したとしても、仲間になるわけにはいかないわ」


「どうして? あなたなら私の気持ちが分かるはずなのに……悔しくないのですか? あの人は、私たちから大切なモノを奪っていった悪い人なんです。そんな人が野放しにされているなんて、許せるわけありません!」

 動揺するミラと顔を合わせても、アビゲイルは首を縦に振らない。


「確かに悔しいよ。あなたの目からは、ルルに復讐したいっていう本物の気持ちも伝わってくる。でも、私には仲間になる資格がない」

「仲間になる資格?」と首を傾げるミラの前で、アビゲイルが右手の薬指を立て、空気を叩いた。だが、何も出ない。


「はぁ。やっぱりね。剣や鎧も奪われてるみたい。おまけにお金まで奪われてる。これでハッキリしたわ。私は仲間になれないって。十三か月も身動きが取れなかったら、剣の腕も落ちてるし、装備を準備するためのお金が必要になる」


「お金くらい私が準備するし、戦えるようになるまで待つから、一緒に戦ってください!」とミラが頭を下げても、アビゲイルは態度を変えない。


「あの女と剣を交えたから分かるの。生半可な装備だと瞬殺されるって。それなりの装備を整えて、二年間修行したとしても、私はあの女に勝てない。あなたの強さは分からないけど、足手まといになるくらいなら、仲間になるわけにはいかないわ。そんなことより、アソッドに会わせて。近くにいるんでしょ? 肩貸してくれたら、歩けそうだから」


 アビゲイルが右腕を前に伸ばす。その手をミラが掴んだ直後、病室が左右に小刻みに震えた。

 突然のことに、ふたりは震える床の上で身を丸くする。

 数秒で揺れが収まると、アビゲイルとミラは一緒に病室を飛び出した。


 病棟の廊下に緑色のローブを身に纏う患者たちが集まっている。何が起きたのか分からない不安と恐怖の空気が流れる中で、彼らは天井に浮かび上がる魔法陣から女性の音声を聞く。


「ムクトラッシュ病院地下研究施設で爆発が発生しました。病院内にいる人へ、避難を開始してください。繰り返します……」

 

 

「爆発……事故?」と呟くアビゲイルの脳裏に、ふたりの顔が浮かび上がる。

 

 一人は、黄色いTシャツの上に白衣を纏ったパーマをかけた短い黒髪の女性。アビゲイルの母親、チェイニー・パルキルス。


 もう一人は、顔の分からないアビゲイルの妹、アソッド・パルキルス。


 あのふたりが爆発に巻き込まれているとしたら……そう考えたアビゲイルの背筋が凍り付く。


「アソッド、お母さん!」と大声でアビゲイルが叫ぶ。その間に、慌てる多くの人々がぞっと押し寄せ、彼女は近くにいるミラと共に出口へ流された。



 地下から黒煙が昇るムクトラッシュ病院の近くで、多くの人々がひしめき合う。病院内にいた人々に囲まれたアビゲイルが、キョロキョロと周囲を見渡す。

 だが、彼女の目に飛び込んでくるのは、無傷の状態で動揺する人々のみ。


「はぁ」と息を吐き出すアビゲイルの右手を誰かが掴む。それに驚き、目を丸くした女は、右隣に視線を向けた。その先には、ミラ・ステファーニアがいる。


「あっちにお母さんを見つけました」

「えっ? どうして? 誰が私のお母さんなのかを話してないはずなのに……」

 驚くアビゲイルの前で、ミラがクスっと笑う。

「簡単な推理です。あなたがアソッド・パルキルスの姉なら、苗字も同じ可能性が高い。パルキルスという苗字を聞いて、最初に思い浮かぶのは、チェイニーさんです。あの人は、名前がない人たちに苗字や居場所を授ける活動をしています。だから、チェイニーさんのことをお母さんって呼ぶ人も多くないんです」


「……そうなんだ」と口にしたアビゲイルは、ジッとミラの顔を見た。


 少なくともミラは、自分がチェイニーの本当の娘であることを知らないらしい。

 その事実が、アビゲイルの心の中で、違和感として残った。

 同時にイヤな予感が胸に刺さる。



 それからふたりは手を繋ぎ、人混みの中を抜けた。すると、すぐにチェイニーの姿がふたりの目に飛び込んでくる。白衣を着た医師たちに囲まれていたチェイニーは、ミラが近づいてきていることに気が付くと、すぐに微笑み、歩みを進めた。


「あっ、ミラ。無事だったのね!」

「はい。見た限り怪我人もいないみたいですね。ところで、何があったのですか?」

 周囲を見渡した後で、ミラが首を傾げる。そんな彼女と顔を合わせたチェイニーは首を左右に振った。


「原因不明の爆発よ。幸いにも地下研究施設内には誰もいなかったみたいだから、爆発に巻き込まれて重傷を負った人や亡くなった人もいなかったみたいだけど……今から念のため要救助者がいないかを確かめに行くつもり。地下研究施設の構造も理解しているし、爆発に巻き込まれた人がいるかもしれないのなら、すぐに回復術式を使わなければ危ないからね。さっきまでその話し合いをしてたの」


「だったら、私も!」

 アビゲイルがミラの右隣で名乗りを上げる。だが、チェイニーは首を縦に動かさない。

「ダメ。あなた、さっきまで意識不明だったんでしょ? まだ体も本調子じゃないのに、危ないことをさせるなんて、認めるわけにはいかない」


「……どうして、あなたって呼ぶの?」

 突然表情を暗くしたアビゲイルが尋ねる。その問いかけに、チェイニーは困惑した。

「私はあなたの名前を知らないから」

 その言葉にショックを受けたアビゲイルの肌色が青くなる。


「ウソ。お母さん。私だよ。アビゲイル・パルキルス」

 心を揺らしたアビゲイルは真剣な表情で母親と向き合う。だが、チェイニーは腑に落ちない表情で腕を組んだ。

「うーん。アビゲイル・パルキルス。聞いたことない名前。名前を与えた子のことは全員覚えてるはずなのに、どうしてだろう?」

「そうじゃなくて、私は本当の娘で……」

「うーん。私には血の繋がった娘もいないはずなのだけど……あっ、そっか。パルキルスの苗字を勝手に名乗ってるんだ。それで、家族に捨てられたショックを受けたあなたは、私のことを本当のお母さんだと思い込んでる」


「そんな……」


 実の母親の推測を耳にしたアビゲイルの表情が凍り付く。

 目の前にいる母親は、自分が娘であることを信じていない。それどころか娘がいたことさえ忘れている。

 強いショックに襲われ絶望するアビゲイルの隣で、ミラは目を伏せた。


 すると、チェイニーは優しく微笑み、アビゲイルの元へ歩み寄った。そして、彼女の前に立つと、すぐに前から彼女の体を抱きしめる。

 その瞬間、アビゲイルの記憶が呼び起こされた。


 あの日、森の中でルルと名乗るヘルメス族の少女に抱きしめられ、口づけを交わした。あの時の唇の感覚が蘇り、アビゲイルは頬をピンク色に染めたまま、自身の唇を右手で覆った。

 その一方で、少女を抱きしめていたチェイニーが優しく語り掛ける。


「大丈夫。責めてるつもりはないから。今まで寂しかったんでしょ? 居場所がないなら、私が作ってあげるから」

 実の母親の優しさは、絶望の中にいるアビゲイルを救い出す。冷たくなった心も温まり、彼女の中で安心感が生まれた。

 

 数十秒に及ぶ抱擁の果てに、アビゲイルの中で沸々と怒りが沸いた。


 あの女は、妹に関する記憶や大切にしてきた装備だけでなく、家族の絆まで奪った。


 とても許すことはできない。


 決意を固めたアビゲイルは、真剣な表情になり、右隣にいるミラの耳元で囁く。



「調子が戻って、装備が整えば、奪われたモノ全部取り返すから」

 

 

 

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