第113話 勇敢なる勇者様の結末
十三か月ほど前、木々の生い茂る森の中で、アビゲイル・パルキルスは目をパチクリとさせた。
白いローブを着た謎の集団の手から妹を助けようとしていたはずなのに、気が付くと森の中にいる。
何がどうなっているのだろうかと悩むアビゲイルが顔を上げると、彼女の目に白いローブ姿の二人組が飛び込んできた。
横並びの二人組のうち、右側に立っていたのは、少し大きな胸で白いローブのシルエットを崩している少女。堂々とした態度の少女は、緑色の鎧で身を包むアビゲイルの元へ歩み寄る。
「相手は、魔王に囚われたお姫様を助けようとする勇敢なる勇者様。それなら、私は魔王の娘役が適任かな?」
「その勇者様の相手は、ルルだけでいいよね? メル、眠たい」
ルルと呼ばれた少女の左斜め後ろで、メルは右手で欠伸が出そうになる口元を隠した。
「……確かにそうだけど、後始末お願いね」
「はい、はい」と答えたメルは、右手の薬指で空気を叩く。その瞬間、彼女の指先からふかふかな紫色の枕が飛び出した。それを抱きかかえたメルは、近くの大木の根本でうつ伏せになった。
眠たそうな瞳が閉じたのを認識したルルが、白いローブを脱ぎ、布団替わりにメルの体にかぶせる。
そうして、彼女は素顔を晒した。
腰に届きそうで届かない程度の艶がある長い後ろ髪の毛先は全て半円を描くように曲がっている。
身長はアビゲイルより頭二つ分くらい低い。
黒い髪と尖った耳を持つ少女は黒い瞳に、相対する女騎士の姿を映し出す。
「エルメラ守護団序列十四位。脚光の竜騎士。ルル・メディーラ」
一糸まとわぬ少女が名を明かし、右手の薬指を立てる。その指先から白い槌が落ちると、彼女の真下で魔法陣が浮かび上がり、少女の体を白い光で包み込んだ。
すらっとした細身のシルエットに沿って、黄色い線が伸びる。
一瞬で白を基調にした鎧を身に着けたルルが姿を現す。その右腰には二本の長刀を納めた鞘が取り付けられていた。
天を見上げた鎧姿の少女の胸元は開いていて、少し大きな胸が露わになっている。
「……はぁ、黒いドラゴンは目立つからって、連れてこなかったんだっけ? いつもなら、ここで相棒のドラゴン登場って段取りなんだけど……まあ、いいや。さあ、勇敢なる勇者様。かわいいお姫様を助けたければ、私を倒してください」
顔を前に戻したルルが左手で鎧の腰にある二本の鞘から剣を一本抜く。
一方で、アビゲイルは首を縦に動かした。
「言われなくても分かってる。助けに行きたいから通してくださいって話が通じる相手じゃないことくらいね」
アビゲイルが腰の鞘から緑色の剣を抜き、両手で構える。
草の地面を駆け抜けたアビゲイルが、ルルとの距離を詰める。
刀身を緑色に光らせた勇者のまっすぐな目は、敵を逃さない。
「はぁ」と息を吐き出した彼女は、露わになっている敵の騎士の胸に剣を振り下ろす。
だが、その剣は届かない。突然、連続して腹に衝撃を受けたアビゲイルが体勢を崩す。
脚光の竜騎士が後方へ飛び跳ねる度に生じる痛みは、彼女の両足にも広がっていく。
前へ倒れそうになる前に、草を強く踏み衝撃に耐えた女剣士は、手にしていた剣に力を込めた。
その間に、ルルは右手の人差し指を立て、空気を一回叩く。その指先から光沢感のある鋼の小槌を召喚すると、宙に浮かぶそれを自身の右足で叩き落とす。
その反動で数センチ飛び上がったルルは、体を縦に回転させ、振り上げた左足をアビゲイルの背中に叩き込んだ。
仰向けに倒れた女剣士の近くに着地した脚光の竜騎士が、召喚された白い柄の小手を拾い上げる。
半円を描くように曲がった短い刀を手にしたルルが、女剣士を見下ろす。
「ずいぶんと焦っているようだね。今すぐかわいい妹ちゃんを助けに行きたいみたい。でも、あなたは私に勝てません」
声をかけられたアビゲイルが、痛む体を起こし、立ち上がった。
「さっきから何? 誰かに蹴られてるような感覚が……」
眉を顰め振り返った彼女の元へ、ルルが歩み寄る。
「正解。凡人には回避不能な蹴り技を叩き込みました」
「そうやって手の内を明らかにするなんて、優しいのね。だったら……」
アビゲイルが敵から目を反らすことなく、間合いを取る。その距離が一メートルほどになると、今度は右手だけで持った剣先を地面に向け、振り上げた。一直線に飛ぶ風が斬撃となり、草を巻き上げていく。
長い後ろ髪が風に揺れ、眼前に飛んできた斬撃を認識したルルが、折れ曲がった短刀を上下左右に振る。
そうして、生まれた斬撃が衝突し、分断された下の部分が地面に、上の部分がルルの背後にある大木の幹に突き刺さる。
「こんな斬撃で私を倒せるわけが……」
自信満々な表情のルルが前を向く。だが、その視線の先にアビゲイルの姿はなかった。
そして、次の瞬間、ルルの鎧に細かい傷が刻まれる。その痛みに、彼女は思わず歯を食い縛った。
「バカな。あの斬撃は撃ち落としたはっ……ず」
右方から剣を振り下ろす気配を感じ取ったルルが、咄嗟に腰の鞘に納めていた剣の一本を左手で抜き、受け止める。そのまま体を右に向けた彼女の目に、アビゲイルの姿が映りこんだ。
「残念。奇襲失敗」
「成功だよ」と勝ち誇る表情のアビゲイルが、体を後方に飛ばし、剣を上下に振る。
生まれた風は、地面に突き刺さる斬撃に当たり、周囲に落ちる木の葉を飛ばす。
少し遅れて、大木の幹に刺さる斬撃に当たった衝撃で、大木に生えた緑色の葉が揺れた。
「ウソ……」と気が付くルルの目が大きく見開かれる。
風で舞い上がった落ち葉と舞い落ちた木の葉が細かい斬撃に代わり、ルルの元へ向かい飛んでいく。
それらが敵の体に当たるのと同時に、森の景色は土埃に包まれた。
「ふぅ」と息を吐き出したアビゲイルが、剣を鞘に納める。
「はやく、助けにいかないと……待ってって」
彼女は街へ向かい走り出そうとした。そんな彼女の背後から少女が声をかける。
「ねぇ、誰を助けるの?」
その声を聴き、立ち止まったアビゲイルが、背後を振り返る。そこには、白いローブを着た少女が立っていた。黒に染まったショートボブヘアの彼女の顔を見た瞬間、アビゲイルを鋭い頭痛が襲う。
「うぅ、痛い。あなた……誰……」
「私のこと忘れるなんて……酷いよ。アビゲイル」
その場にしゃがんだ妹が苦痛で歪む姉の顔を覗き込む。その右手には銀色の短刀が握られていた。悪魔の目をした妹が、それを姉の首へ向けて振り下ろすよりも先に、強く首を左右に振った姉が鞘に納めた剣を抜き、刃を受け止め、弾き落とす。
一瞬で妹の手の中にあった短刀が地面に落ちると、少女は深く息を吐き出した。
「どうやら演技を磨かなければならないみたい」
アビゲイルにとって見覚えのある少女の喉からルルの声が発せられた。
アビゲイルの顔に驚愕の文字が刻まれるのと同時に、彼女の目の前にいる少女の体が黒い煙に包まれる。
それが消えると、鎧姿のルルが姿を現す。鎧に刻まれた細かい傷は増えていない。
両手にそれぞれ一本ずつの長剣を握っている脚光の竜騎士は、頬を緩めた。
「あなた、どうして?」
「剣技、新緑の卵。周囲の植物の葉を風で巻き上げ、細かい斬撃のように上下から飛ばす技だっけ? 相手を半円を描き飛ばした斬撃で一斉に攻撃する。確かにあの技が使える女剣士はそうそういないけれど、相手が悪かった。私が瞬間移動の使えない人間だったら、負けてた。さて、そろそろ反撃に転じようかな?」
ルルが優しく微笑み、二本の剣の先端をアビゲイルに向け、前へと体を飛ばす。
「くっ」と声を漏らす女剣士が剣を右手で真横に構えた。
それを見たルルは頬を緩め、右手の長刀でアビゲイルの剣を叩く。
「受けに回ると負けだよ」
脚光の竜騎士がニヤっと笑った瞬間、アビゲイルの右手の甲に痛みが広がった。痛みが全身に走り、握力が弱くなっていく。
耐えきれなくなった彼女は、剣を地面に落とした。それから、ルルは剣を交差させ、隙だらけな女剣士の腹にXの文字を刻んだ。
何かがおかしい。痛む体を動かせない女剣士は、自身の顔を真下に向けた。
身に着けている鎧は、傷一つ付いていない。それなのに、鎧の下から血がじんわりと広がる感覚がする。
「何……したの?」
「ふふっ、どんなに硬い鎧でも、私の剣を防ぐことはできません。なぜなら、この剣は鎧を貫通し、生身の体に傷を刻むのだから。これで分かったかな? 勝ち目はないって」
自信満々な表情で頬を緩めるルルの前をしても、アビゲイルは諦めない。
「うるさい。あなたを倒して……うっ」
女剣士は頭に強い衝撃を受けた。強まっていく頭痛に耐えられない女騎士が剣を落とし、雑草が生えた地面の上へ座り込む。そして、彼女は頭を両手を抱えた。
「何……これ……頭が……割れる」
「あっ、もう始まっちゃったんだ。今頃、みんな苦しんでるんだろうな。この頭痛は明日になったら治まるし、これくらいなら誰も死なないから大丈夫。まあ、明日になったらみんな忘れちゃうんだけどね。あなたの妹ちゃんのこと」
「いもうと? 何、言ってるの? 私に妹は……」
苦痛で表情を歪ませたアビゲイルの目の前で、ルルが腰を落とした。
「もう忘れちゃったんだ。さっき、妹ちゃんに変装して奇襲しようとしたのに、名前も呼んでくれなかったもんね。あっ、忘れてた」
パンと両手を叩いたルルが、笑みを浮かべ、地面に落ちた短刀を拾い上げる。
アビゲイルの右頬に向け短刀を振るった。刻まれた傷から血が垂れた後で、彼女はそれを鎧で覆われた自身の右手の親指で拭う。
「ふふっ、これで準備完了。あっ、殺すのもったいないから、生かしてあげる」
表情を強張らせたアビゲイルの顔を覗き込んだルルが、剣を鞘に納め、武装も解除する。
白いローブ姿に戻った彼女が、右手の薬指を立てる。
その指で空気を二回叩くと、二本の槌が召喚された。
右手に二メートルは超えそうなほど長く重たい緑色の巨大な槌。
左手に黄緑色の柄にらせん模様を描く植物の蔦が描かれた小槌。
それを持ったまま立ち上がったルルが、絶望に染まる女剣士の眼前に体を飛ばし、彼女の頭頂部を左手で持った小槌で叩く。
その瞬間、アビゲイル・パルキルスの心臓が大きく脈打った。
「ぐっ」
突然のことに驚くアビゲイルが声を漏らす。ルルは左手の小槌を後方に飛ばし、頬を緩めた。その瞬間、アビゲイル・パルキルスの身に異変が起きる。
彼女の両足から無数の茶色い根っこのようなモノが生え、地面と彼女の体を繋ぐ。
草草の生える緑の地面に釘付けにされ、動けなくなると、今度は彼女が着用している緑の鎧の隙間から若葉が顔を出す。
その異変は、彼女の思考にも及んだ。
「ダメ。体が押しつぶされる」
身を守っていた鎧さえも重く感じられ、彼女は武装を解除した。それにより、緑色の変化した両足が露わになる。
一方で、ルルは数メートル後方にある小槌の着地点に体を飛ばした。脚光の竜騎士は、女剣士の姿を変える小槌を右手の薬指で触り、回収する。
その後で、彼女は不敵な笑みを浮かべ、首を傾げた。
「どう? 少しずつ体が植物になっていく感覚は?」
アビゲイル・パルキルスは答えることができなかった。徐々に肌色を失った全身が緑色に染まっていく。その浸食が進む度に、彼女の人間としての思考も奪われていった。
やがて、彼女の頭頂部に蕾が生えていく。
少しずつ人間としての姿や思考が植物のモノに書き換えられていく感覚に、アビゲイルは恐怖する。
絶望で顔を歪ませたアビゲイルが右手の薬指を立て、空気を叩く。だが、何も起こらない。
その姿を数メートル先で見ていたルルは、右手で持っていた巨大な槌の柄を握りながら、植物人間の姿に変えられる女剣士の元に歩みを進めた。
「ああ、もう指先まで植物になっちゃったみたいだね。これじゃ、錬金術も使えない」
下唇を舐めたルルが、左手で持っていた巨大な槌を地面に叩き込む。地面に刻まれた魔法陣の中心に、巨大な槌の柄が突き刺さった瞬間、ルルの周囲をゆらゆらと揺れる白い煙が包み込む。
やがて、巨大な槌が魔法陣の中心に吸い込まれると、ルルはアビゲイルの元へ一歩ずつ歩みを進めた。
悪魔のように笑う彼女の足の動きと連動する魔法陣から、女剣士は逃れられない。
相対していたふたりの距離が数センチまで縮み、緑色に変色した哀れな勇者の体を魔法陣の青白い光が照らす。
それが消えた直後、アビゲイルの眼前に、ルルの顔が飛び込んでくる。
緑に染まったアビゲイルの上半身に、ルルが少し大きな自分の胸を押し当てた。
異色の背中に両手を回し、優しく抱き着いた脚光の竜騎士の唇と女剣士の唇が重なる。
「んむっ」
口づけが交わされた瞬間、アビゲイルの身にさらなる異変が襲った。
(チカラが、抜けていく?)
アビゲイルの真下に刻まれた魔法陣が怪しく光る。全身に込めたチカラが吸い取られているような感覚があるのに、彼女は何もできなかった。歯を立て、女の唇に噛みつこうと思っても、体は言うことを聞かない。
喉元まで緑の浸食が進んだ彼女は、声を出すこともできない。
無抵抗なアビゲイルは、それを受け入れるしかなかった。
(ダメ。好きになりそう……)
少女の胸に温かい何かが宿り、周囲の音が聞こえなくなるほど、心臓の音が速くなる。
ヘルメス族の少女の顔をボーっと見ていた人間の少女の頬が熱を帯びる。
酸素と二酸化炭素。ふたりの口は、お互いが欲する物質を交換し、お互いを満たしていく。
やがて、女剣士の眼球は緑色に変わり、何も見えなくなった。それでも唇の触れ合いは三分間続く。
頭頂部に生えた蕾がピンク色の花を咲かせた時、彼女の思考は植物のモノに支配された。
その瞬間、アビゲイル・パルキルスは全てを失った。
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