第十六章 静寂の攻防

第115話 自然の通訳者

「先生、大変です!」

 巨乳の女が慌てた様子で、木の住宅のドアを勢いよく開けた。

 木目調の床が広がる長方形の部屋の片隅にある椅子には、銀髪の幼女が腰かけていた。

 水色のシャツと白色のショートパンツを履き、白衣を羽織るその幼女、アルケミナ・エリクシナの膝の上では、白いふわふわとした体毛が特徴的な小さなドラゴンが体を丸くして眠っていた。


「クルス。何?」

 無表情な顔を助手に向けたアルケミナの元へ、白いシャツと青い長ズボンを履いた女、クルス・ホームが歩み寄る。

「先生、ムクトラッシュ病院で爆発事故があったそうです」

「爆発事故?」と首を捻るアルケミナの膝の上から起き上がったドラゴンが、目をパチクリとさせる。

「はい。情報によると、爆発が起きたのは、ムクトラッシュ病院地下の研究施設らしいです」


「……先手を打たれたらしい」

 助手の報告を受けた銀髪の幼女が呟く。それに対して、クルスは首を捻った。

「先生、どういうことですか?」

「数時間前、私はあの研究施設を訪れていた。その時に、研究室内を観察したが、爆発事故を引き起こす危険物質はなかった。現場を見なければハッキリと断言できないが、これは爆破事件である可能性が高い」


「爆破事件って……誰がそんなことを?」

「この事件にルス・グースが関わっているとしたら、あの施設の再訪問を拒むため。原因不明の爆発事故が起これば、原因が分かるまで施設内の立ち入りが禁止になる」


「そんなことのために、多くの人々を危険に晒すなんて……それが真実なら許せません!」

 優しい助手は両手を強く握りしめ、憤る体を震わせた。そんなクルスの元へ向かい、アルケミナの膝の上から首元に紋章を刻むドラゴンが飛び立つ。

 

「ラララッ」とかわいらしく鳴くドラゴンは、自身の頭をクルスの首で擦った。

「えっと、ユイさん? くすぐったいです」

 困惑するクルスの目の前で、ユイは目を輝かせる。

「ララララァ。アラ」

「何か訴えてるみたいですが……」


「お困りのようですわね」

 ドアの向こうから全てを見透かした女の声が聞こえてきて、クルスは目を丸くした。

 間もなくして、ドアが開き、クルスよりも大きな胸を持つ両耳と尖らせた長身の女が姿を現した。

 白いローブで身を包み、水色の淵の眼鏡を着用した家主の女の右隣には、同じく白いローブを羽織った見慣れぬ金髪の少年がいる。

 

「カリンさん、そちらの方は?」

 尋ねたクルスが視線をカリンの右隣にいる細目の少年に向ける。その少年の両耳も尖っていて、体型は細身だった。

「紹介しますわ。彼はアタル・ランツヘリガー。ユイとのコミュニケーションを円滑にするために来てもらいましたわ。今後、ユイと話がしたい時は、彼を通してくださいませ。アタルなら術式を使わなくても、ユイの言葉が分かりますわ」


「ララ」

 クルスの右肩に乗っていたユイが興味を示し、アタルの元へ飛ぶ。それを右手で受け止めたアタルは首を縦に動かした。

「ホントにそんなことができるの?」

 自信満々な表情で答えると、ユイはアタルと顔を合わせ、嬉しそうに笑った。

「ララッララアァ」

「獣人じゃないのに、スゴイ……おいおい、そんなに褒めないでくれ。子供の時から森の中で動物やモンスターたちと遊んでたら、自然と言葉が分かるようになっただけだ。それで、何か困ったことがあるんじゃないのか?」

「ララララァ。アラ」

 ユイがアタルをジッと見つめ、頭を下げる。訴えるドラゴンの鳴き声を耳にしたアタルは、首を縦に動かし、視線を巨乳の女と銀髪の幼女に向けた。


「えっと、どっちがクルスさんだっけ?」

「僕がクルス・ホームです」と尋ねられた巨乳の女が右手を挙げる。

「そうか。今すぐ元の姿に戻してほしい。これがユイの頼みだ」

 アタルの手の中で、ユイが頷く。


「理由が聞きたい」

 近くで話を聞いていたアルケミナが問いかけた後で、アタルが咳払いする。

「ララッ、ラ……」

「ララ、ララッ、ララ」

 ユイがアタルの声を遮る。

「翻訳しなくても、相手の言葉は理解できるよ……分かった。じゃあ、俺は、ユイのメッセージを伝えるだけだ」

「ララァ。ラララァラァ、ラ」

「ありがとう。話し相手になってくれたら、嬉しい……当たり前だ。そのために俺はカリンに呼ばれたんだからな。それで、理由は?」

「ララ、ララッ、アラァラ、ララッ、ララ!」

「爆発事故に巻き込まれているかもって、心配してると思うから、ジフリンスに無事を知らせたい!」


 ユイと顔を合わせ、言い分を聞いていたアタルが、顔を前に向け、クルスに頭を下げた。

 すると、考え込んだクルスが、顔をアルケミナに向ける。

「うーん。先生、どうしますか?」


「……再びプラドラの姿になってから数時間しか経過していない点が気になる。元の姿に戻るのは、明日にした方がいいかもしれない。変化を繰り返すことで、人体や精神にどのような影響があるのか分からないから、頻繁に戻るべきではない」


「ララ」

 アタルの右肩の上に飛び乗ったユイがしょんぼりとする。その一方で、アルケミナは椅子から立ち上がり、アタルの元へと歩みを進めた。


「ユイに確認したいことがある。ジフリンスはあなたと同じ獣人?」

「ララ」

「はい」とアタルがユイの答えをアルケミナに伝える。その後で、アルケミナは頷き、右手の薬指を立てた。


「それなら、話が早い。今から通信術式を使う。ユイから連絡先が聞ければ、うまく行く。相手が獣人なら今の姿でも無事を知らせることもできるはず」

「ララァ」

「ありがとう……よかったな。ユイ」


「カリン、少し床を借りる」

 ドアの前に佇むカリンと目を合わせたアルケミナが立てた右手の薬指で空気を2回叩く。

 指先から黄色い小槌と白いチョークが召喚されると、幼女は小槌を床の上に置き、白いチョークを握った。


 それから、小さな女の子になった五大錬金術師が、床の上で直径10センチほどの円を白いチョークを使って記す。


「ユイ、ジフリンスの連絡先を教えて。この円に連絡先を刻み、小槌で叩けば、無事を知らせることができる」

「ラァ……」

 アタルがユイの鳴き声に耳を傾ける。

「ああ、分かった。アルケミナ、そのチョーク、俺に貸してくれないか? ユイのためにもジフリンスの連絡先を覚えておきたい。それさえ分かれば、お前らの手を煩わせなくても、俺が術式を発動するだけで自由に通話できるようになるんだ。頼む」


 アタルがアルケミナに頭を下げる。そんなヘルメス族の少年の前に立った銀髪の幼女は無表情のままで、チョークと小槌を差し出した。


「分かった。術式の発動もアタルに任せる。しばらくの間、その小槌も預かって構わない」


「ありがとう」と一言伝えたアタルがアルケミナからそれを受け取る。

 その後でユイと共に円の前へ移動したアタルは、その場でしゃがみ、ジフリンスの連絡先を円の中に記した。

 2つのピンク色のハートマークを白い線で繋いだ絵が記された黄色い小槌で円を叩くと、魔法陣と円が重なり、白く光り出す。

 それの中心にユイが飛び乗ると、獣人の少年の声が部屋の中で響いた。


「あれ? 誰だ?」

「ララッ、ララ」

「その声、ユイか? またプラドラの姿になったみたいだな。知らないとこから着信があって、ビックリした。それで、何か用か?」

「ララ……」

「ああ、そのニュースなら、さっき知ったところだ。ムクトラッシュ病院の地下研究施設で爆発事故が起きたって。あの施設で元の姿に戻ったユイを検査してるかもしれないって思って、心配したけど、その声が聞けて安心できた。連絡くれて、ありがとうな」

「ララ」


 魔法陣の光が消え、通話が途切れる。その円の中で、ユイは安心した表情を浮かべた。

 

 

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