第110話 交錯  

 開けた白い空間の中で、アルケミナ・エリクシナはキョロキョロと周囲を見渡した。

 怪我を負った人々や花束を持つ見舞客が銀髪の幼女の真横を通り過ぎていく。

 それと同時に、右方から穏やかな音色が響いた。


 落ち着きが取り戻される癒しの音を感じ取った人々が、一斉にその場に立ち止まる。

「この曲……」と無表情で呟くアルケミナの右隣で、リズは首を縦に動かした。

「リオちゃんだね。でも、なんでこんなところで演奏を?」

 腑に落ちない表情のリズの近くでチェイニーは、「はぁ」と息を吐き出した。

 瞳を閉じ、右方から聞こえてくる曲に耳を傾けた彼女は、胸の前で指を絡ませる。

「なんだろう。聞くだけで元気が溢れていく」


 心を落ち着かせたチェイニーが、音に誘われ、右方の人混みに向かい歩みを進めた。その後ろ姿にアルケミナとリズも続く。

 人混みを掻き分け、前方に姿を見せたチェイニーは、思わず目を見開いた。

 その先では、瞳を閉じた髪の長い少女が横たわっている。その近くではピンク色に染めたショートカットのヘルメス族少女がショルダーキーボードで音色を奏でていた。


 その場に立ち尽くすチェイニーに追い付いたアルケミナは、前方に見えたアルカナ・クレナーに視線を向け、彼女の元へ足を進める。そうして、彼女はアルカナの右手を掴み、真下に引っ張る。

「アルカナ。何があったか教えてほしい」

 幼女の小さな声を耳にしたアルカナは腰を落とし、銀髪の幼女の耳元で囁く。

「さっきも言ったでしょ? 昏睡状態の少女を搬送するって。アソッドの能力やリオの高位錬金術を試しても、目が覚めないから、ここに連れてきたの。リオは応急処置のつもりで、ここに辿り着いた後も医者が来るまで演奏を続けてるみたい」

「リオが病院内で演奏している理由は分かった。そこにいるチェイニーに診てもらった方がいいかもしれない」

 そう言いながら、アルケミナは後方で聞き惚れているチェイニーに視線を向けた。

「ふーん。あの人がチェイニー・パルキルスなんだ。だったら、丁度いいかも。この場に連れてきた子って、アソッドのお姉ちゃんらしいから。まぁ、アソッドと同じように存在に関する記憶を消されたみたいだから、覚えてないと思うけど……」

 サラリと重要なことをアルカナが口にすると、アルケミナは自身の右手を強く握った。

「あの子もルス・グースの被害者」

「正確には、ルスの仲間の被害者みたいだよ。細かい事情はあとで話すつもり。多すぎる野次馬の前で話すわけにはいかないから」



 ヒソヒソ話を続けるアルケミナたちを他所に、チェイニー・パルキルスがその場に横たわる少女の元へ近づき、眠るような表情の少女の顔を覗き込む。

「えっ」と声を漏らすチェイニーの右隣に、リズが立つと、彼女は異変に気が付いた。

「チェイニー。なんで泣いてるの?」

 客人からの問いかけにハッとしたチェイニーは違和感を覚える。

 瞳から涙が落ち、その姿を見ただけでなぜか抱きしめたくなる。

 懐かしさも蘇っていき、チェイニーはなぜかホッとした表情を浮かべた。


 そんな謎の感情に答えないまま、チェイニーは首を左右に振り、この場に少女を運んできたらしい背中に蝶の羽を生やした若い女に視線を向ける。


「この子をここに運んできたのは、あなた? 何があったか教えてください」

「あの森の中で昏睡状態のこの子を見つけたから、ここまで運んできたの。知り合いのリオの高位錬金術でも治せなかったから」

 少々ぼかした事情をアルカナが明かした後で、チェイニーはピンク色の髪のヘルメス族少女をジッと見た。

「もしかして、あなたがムクトラッシュや隣街の人々の命を救ったヘルメス族の女の子なの?」

「そうですよ。リオの高位錬金術の効果は広範囲に及ぶので、一人ずつ治療するよりも早いんです」

「ムクトラッシュ病院の代表としてお礼申し上げます。ありがとうございました! お礼がしたいのですが、お時間大丈夫かしら?」

「リオは大丈夫です」

「そう。良かったわ」

 チェイニーがリオに対して頭を下げると、アルカナは首を傾げた。


「ところで、チェイニー。この子の顔見て、なんか変な顔してたけど、見覚えあるんじゃないの?」

「うーん。森の中で見つけた人面樹に似てるような気が……って、今はそんなこと関係ないわ。今すぐ緊急治療室に連れていかないと!」

 チェイニーがバンと立ち上がると、すぐに担架を持ってきた白衣姿の男たちが、野次馬を掻き分け、顔を出す。

「通してください」と人々に声をかけていった男が少女の近くに運んできた担架を降ろす。

 そうして、慣れた手つきで少女を担架の上に寝かせると、男たちはすぐに彼女を搬送していった。


「ふわぁ。これで一安心です」

 搬送されていく少女を見送ったリオが演奏する手を止め、首を縦に動かした。

 そんな彼女の右隣に立ったアルカナは、担架に乗せられ遠ざかっていく少女に視線を向ける。

「そうね。ちゃんと目が覚めるといいんだけど……」

 心配そうな顔のアルカナの顔をアルケミナが見上げる。

 すると、彼女の目に右掌の甲に浮かぶ魔法陣が止まった。白い光の点滅が始まると、そこから少女の声が漏れる。


「先生? クルスです。今どこにいますか? 先生に報告したいことがあります。僕たちが探していた……」

「クルス。待って。そういうことは、直接聞きたい。私はこれからヘルメス村のカリン・テインの家に戻る予定」

 アルケミナが声を潜め、右掌に浮かび上がる魔法陣に話しかける。

 突然の助手からの電話に動揺する仕草を見せないアルケミナ・エリクシナは無言のまま周囲を見渡す。少女が搬送され散り散りになった人々を目にすると、彼女はすぐに、近くに見えたリズの右手を掴む。

 その間に、クルス・ホームの声がアルケミナの右掌の上に魔法陣から流れた。


「ヘルメス村のカリンさんの家ですね? 分かりました。それでは、今からそちらに伺います。先生に会わせたい人と一緒に」

 そう言い切ると、白い光の点滅が消えた。通話が途切れると、アルケミナはリズの右手を真下に引っ張る。


「プリズムぺストール。今すぐ、アルカナと一緒にカリンの家に戻りたい」


「えっ、あたしも?」と驚くアルカナが自身の右手の人差し指を立て、自分の顔を指差す。

「うーむ。創造の……」と目を輝かせ口にするリズの右手の肌をアルケミナが強く引っ張る。

「時間の無駄」

「まっ、いっか。リオはここに残るみたいだし……」

 笑顔になったリズがアルケミナの小さな右手を握る。それからすぐに、開いている右手でアルカナの肩に触れると、一瞬の内に彼女たちはムクトラッシュ病院の中から姿を消した。





「あら、結構早かったですわね」

 木目調の床の部屋の中で木の椅子に座り、本を読んでいたカリン・テインがバタンと本を閉じ、視線を前方に向けた。

 その先には、一時間ほど前に見送ったはずのアルケミナたちの姿がある。

「まだ術式は解除できていないが、石板は発見した。解除方法はこれから見つける予定」

 リズの隣でアルケミナが事情を明かすと、カリンが首を傾げる。

「それはそうと、アソッドはどこかしら?」

「今晩はムクトラッシュのミラちゃんの家に泊まるみたい」

 アルカナが答えると、カリンが頷く。

「分かりましたわ」


「カリン、今からクルスがここを訪問する。少しの間だけ場所を貸してほしい」

 顔を上げたアルケミナの前でカリンが微笑む。

「分かりましたわ。私はお茶でも淹れますわ」

「そういう気遣いは必要ない」というアルケミナの声を無視して、カリンは彼女たちに背を向け、調理場へと向かい歩き出した。


 そのあとで、リズが右手を上に伸ばす。

「じゃあ、私はここで失礼。またね♪」

 アルケミナの方に顔を向けたリズがウインクすると、彼女は一瞬の内に姿を消した。


 丁度その時、客人を知らせる鐘の音がカリンの家に鳴り響いた。

 



 




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