第109話 隠された石板

 窓一つない緑色の壁と床に覆われた地下研究施設の廊下の上で、アルケミナ・エリクシナは立ち止まった。

 視線を真下に向けた銀髪の幼女がその場に立ち止まり、床の上に腰を落とす。

 そんな仕草を近くで見ていたプリズムぺストール・エメラルドは目を丸くした。


「ここだけ流れが違う」と呟くアルケミナは右手の人差し指を立て、床に沿って正方形を描いた。すると、白く光る魔法陣と文字が床の上に浮かび上がっていく。

 その現象を目の当たりにしたリズは床を見下ろしながら、両手を合わせた。


「流石、創造の槌に選ばれた高位錬金術師。一発でここに隠された石板を見つけ出すなんて、スゴイわ!」



「そんなことはない。問題はここから。この術式は高位錬金術師五人がかりでも、解除方法を導き出すのに最低一週間はかかる。この街に住む人々の記憶からアソッドという存在を消し去るほどだから、複雑な魔法陣が記されているはずと予想していたが、これほどだとは思わなかった。それに、この術式、解除方法を一度でも間違えると命を落とすくらい難しい。慎重にならないといけない」


「そう……なんだ」と呟き、視線を床に記された光る魔法陣に向けたリズの近くで、アルケミナは右手の薬指を立てる。

 そうして、純白の槌を召喚すると、すぐにそれで床の魔法陣を叩く。

 その瞬間、床に記された複雑な構成の魔法陣が消え、元の灰色の床が露わになる。


「あの石板に記された魔法陣を複製してみた。流石にこの場に一週間も滞在するわけにはいかないから。これをアルカナやティンクに見せて、解除方法を導き出すつもり」

 アルケミナが前方に見えるリズの顔を見上げる。だが、リズは両手を左右に振った。

「残念だけど、私は立場上協力できないから。ただの付き添い、保護者役で勘弁して!」

「欲しいモノは手に入った。チェイニーに挨拶して、アルカナたちと合流したい」

「ああ、そっち。エメラルドの血を継ぐ私に手伝ってほしいって言い出すのかと思ったよ」

 苦笑いするリズに背を向けたアルケミナは、近くで仰向けに倒れている白衣姿の長身男性の顔を覗き込む。


「スズクルル。あなたに聞きたいことがある。あなたは審判の日について、どこまで知っているのか?」

 そんな幼女の疑問を耳にしたスズクルルは体を起こし、痛み出す頭を右手だけで抱えた。

「私はルス様の指示に従っただけなのです。審判の日が何を意味しているのかまでは知りません。部外者扱いされて、悔しいです」

「なるほど、それが答え」

「ホントにチェイニーさんの行動をルス様に伝えていただけなのです。客人と研究施設内で戦闘したことがバレたら、いろいろと困るのですよ。ここは穏便にお願いするのです」


 慌てた顔のスズクルルがアルケミナの前で頭を下げる。その動きを見て、アルケミナは無表情のままで首を縦に動かした。


「分かった。あなたのことは誰にも話さない。その代わり、条件がある」

「条件?」

「ルス・グースについての情報が欲しい」

 アルケミナの掲示する条件を近くで聞いていたリズが、アルケミナの元に詰め寄る。

「ちょっと、そういうことなら、私に聞いてよ。こう見えて、私、ルスちゃんの幼馴染なんだから!」

「プリズムぺストール。あなたからも聞くから安心してほしい。孤児からムクトラッシュ地下研究施設の所長に成り上がった男性研究者とルス・グースとの関係が気になる」

「ああ、ルス様は天使のような人なのですよ。親に捨てられ、名前もなかった私にスズクルルという名前をくれました。流石、聖人です。あの日から私はルス様を慕うようになったのです」


「分かった。スズクルル、あなたは頭を打っているから、一度、上の病院で診てもらった方がいい」

「気遣いありがとうございます」と頭を下げたスズクルルが右手の人差し指を立て、地面に向けて魔法陣を描いた。

 すると、スズクルルの体が白い光に包まれいき、アルケミナたちの視界から姿を消した。



 その直後、アルケミナの右掌の甲に魔法陣が浮かび上がった。白い光が点滅するそこからアルカナの明るい声が地下に響く。


「アルケミナ、聞こえる? アルカナだけど、そっちの調子はどう?」

「例の術式が刻まれた石板を入手した。だが、今すぐ解除できない。解除方法を導き出すために一週間必要」

「ふーん。そうなんだ。そうそう、聞いて。ムクトラッシュのみんなが奇病に侵されてるって話、知ってる?」

「チェイニーから聞いた」

「ふーん。そうなんだ。詳しい話はあとで話すけど、その原因を突き止めて、排除しといたから。これでムクトラッシュのみんなが苦しまなくなるはず」


「なるほど。それで、アルカナはどこにいる?」

「まだ森の中だよ。これからリオに頼んで、そっちに瞬間移動するとこ。アソッドは森の中を案内してくれたミラちゃんと一緒に歩いて帰るみたい。アソッドは今日、ミラちゃんの家に泊まるみたいだから、アタシたちと一緒に帰らないんだってさ」

「なるほど。分かった。待ち合わせ場所はムクトラッシュ病院前」

「丁度良かった。そっちに昏睡状態の子を搬送するところだから」

 そうアルカナが答えると、アルケミナの右掌に浮かぶ魔法陣が消えた。

 その直後、アルケミナの近くにいたリズの両膝が崩れ落ちた。

 同時に頭を両手で抱える彼女の元に、アルケミナが歩み寄る。


「プリズムぺストール。どうかした?」

「どうかしたじゃないわよ! 医療都市ムクトラッシュの人々を襲う謎の奇病。その原因を突き止めるという、エメラルドの血に恥じない功績を遺すつもりだったのに、あのアルカナ・クレナーがちゃっかりと解決してしまった! 許さぬ!」

「……よく分からない」と短く答えたアルケミナからリズは視線を真下に向ける。その先では、尻尾に文字が刻まれた黒猫が横たわっていた。

「よし。決めた。この子の飼い主になって、一緒に遊んじゃおう!」

 不気味に笑うリズに、アルケミナは背を向け、研究室に向かい歩き出した。








「あら、プリズムぺストールさん。帰ってこられたのね」

 二人が研究室に足を踏み入れると、すぐにチェイニー・パルキルスが顔を上げる。

 数分前よりも研究室内にいる人数が減った静かな空間で、二人は入り口の前で立ち止まった。

「ええ、まあ。こちらの研究施設のトイレは、キレイに掃除がしてありますね!」

 適当に返すリズの右隣でアルケミナがジッとチェイニーの顔を見つめる。

 一方で、目の前にいる幼女に視線に気づかないチェイニーは首を傾げた。

「ところで、スズクルル所長はどこですか? プリズムぺストールさんたちが研究室から出て行ったあとから姿が見えなくて……」

「ああ、所長さんなら、滑って転んで、気絶してましたよ。今頃、上の病院で治療を受けていると思う」


 リズの答えを耳にしたチェイニーが驚き顔になる。

「あのスズクルル所長が転ぶなんて、初めてかもしれません。あとでお見舞いに行かないと!」

「まあ、軽傷なので、一晩で帰ってくると思いますよ」

「そうなんですね」と納得を示したチェイニーが「あっ」と声を漏らし、両手を一回叩いた。


「ごめんなさい。奇病の原因を突き止めて、排除したって先程、連絡があったことを忘れていました。共同研究の件はなかったことにしてほしいです」

「ああ、別に構わないから……」と口にしたリズが肩を落とす。

 そんなリズの左手を掴んだアルケミナが、彼女の手を真下に引っ張る。

「リズ。帰りたい」

「あの、日を改めて見学してもよろしいでしょうか?」

「そうですね。それでは、日を改めて対応いたします。それでは、上まで送ろうかしら。ムクトラッシュや隣町の人々の命を救ったヘルメス族の女の子にも遭いたいですし……」


「それって……」と呟くリズの頭にはリオの姿が浮かんでいた。

 そのあとでチェイニーが頭を下げ、右手の薬指を立てる。

 すると、指先から召喚された槌が地面に落ちていき、プリズムぺストールとアルケミナの体が白い光に包まれていく。

 同時に、チェイニーの体も白い光に包まれていくと、三人の体は研究室から消えていった。


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