第96話 追跡者

「これで一件落着かな?」

 明るく照らされた洞窟の中で、ユイは腰の鞘に剣を納め、両腕を上に伸ばした。

 その右隣でジフリンスはその場でうつ伏せに倒れているディアナに視線を向けていた。

「コイツを警察に突き出したらな。それにしても、ユイ。なんで元の姿に戻ったんだ?」

「よく分かんないけど、せっかく元に戻れたんだから、ヘリスちゃんと剣を交えてみたいなぁ。道場に行けば、場所貸してくれそうだし……」

 元の獣人の姿を取り戻したユイの明るい声が洞窟の中で響く。すると、そんな兄妹の会話を近くで聞いていたクルスが右手を挙げた。

「あの、ユイさん……」

「あっ、この件が解決したら、ブラドラの毛髪をあげる約束だったね。悪いけど、元に戻っちゃったから、私の毛をあげるわけにはいかなくなったみたい。その代わり、近所の人に頭を下げて、毛髪採取に協力してくれないかって頼むから!」

 両手を合わせ申し訳なさそうな顔を見せるユイに対して、クルスは首を横に振る。

「そうじゃなくて、ユイさんに会わせたい人がいます。一緒に来ていただけませんか?」


「私に会わせたい人?」

 ピンとこないユイが首を傾げると、クルスは息を吸い込んだ。

「僕はフェジアール機関の五大錬金術師、アルケミナ・エリクシナの助手なんです」

 突然の告白に、ユイは目を輝かせる。

「クルスさんが、あのアルケミナ・エリクシナの助手! スゴイじゃん!」

 興奮する妹の隣でジフリンスは溜息を吐き出す。

「ユイ。興奮しすぎだ。大体、それがホントかどうかも分からないだろ?」

「ウソじゃないと思うよ。私を助けたあの手から伝わってきたから。クルスさんは悪い人じゃないって」

「えっと、話を続けると、EMETHシステムの解除方法と失踪した残りの五大錬金術師を探すために、アルケアを旅していて、今日その手がかりを見つけました。それは、ユイさんです」


「私が手がかり?」とユイが困惑の表情になった。そんな彼女と顔を合わせたクルスが頷く。

「はい。現在、EMETHシステムの影響で本当の姿を奪われた人々が十万人います。その人々を元の姿に戻すために、協力してください。まずは、ユイさんを先生に会わせて、元の姿に戻った原因を突き止めます。その間、こちらで用意した研究施設に滞在していただくことになると思います。お礼は先生と相談して決めます」

「つまり、あの有名な高位錬金術師に会えちゃうんだ。スゴイ話だね。もちろん、行くよ。本当の姿を奪われて、困ってる人もいっぱいいるって聞くから。そんな人のためにできることがあるんだったら、協力したい!」


 即答したユイが笑顔になる。そんな彼女の決意の声を聴いたクルスは、頭を下げた。

「ありがとうございます。早速、街に戻って……」


 ようやく一歩前進。喜びを顔に宿したクルスが穴の外へと足を踏み入れ、天を見上げる。すると、森の先に黒い煙が漂っているのが見えた。

 同じように、穴から出て行ったジフリンスが目を見開く。

 その右隣に立ったユイは顔を強張らせた。

「何かあったみたいだね。道場がある地区かな?」

「あっ、ヤバイ。広場にあの黒いドラゴンが現れて、イース騎士団長とヘリスが戦っているんだった。早く戻って、加勢しないと……」


 肝心なことを忘れていたジフリンスの顔の焦りが宿る。同じ気持ちを胸に抱えたクルスの近くでユイは驚き、口元を右手で覆った。


「何、それ。ヤバイじゃん。こんなところで油売ってる場合じゃないよ!」

「ああ」と短く答えたジフリンスが、薬指を立て、茶色い槌を召喚した。

 それを右手で掴んだ彼はユイと顔を合わせる。

「ヘリスから預かった槌だ。コイツを使えば、すぐに街へ戻れるらしい」

「へぇ。そんなスゴイのもらったんだ!」

 明るい笑い声をユイが漏らすと、ジフリンスは地面を槌で叩いた。

 すると、魔法陣が浮かび上がり、彼らの体は白い光へ包みこまれていった。





「ヘリス。あのドラゴン、どこに行った?」

「南方へ移動中。道場がある地区だにょん。そろそろ先回りして迎え撃つかにょん?」

「いや、ダメだな。先回りしている間に、被害が出るかもしれない。ここは追尾して、攻撃のチャンスを伺う」


 街中を二人の騎士が駆け抜ける。見上げた視線の先で、背中に切り傷を刻んだ黒いドラゴンが上空を進んでいる。

「あの剣で仕留められなかった、私の責任だ」

 イースの右隣を並走するヘリスは首を横に振った。

「そんなことないにょん。一撃であの背中の傷を刻んだイースの剣術はスゴイと思うにょん。それより、今のところ被害ゼロで、道場方面に向かってる点は好機だと思うにょん。今、道場でオラの仲間が剣術を教えているんだにょん。アイリス様のチカラを借りることができれば、クルスたちが遅れても、討伐可能なはずだにょん」

「なるほど。そんなに強い剣士がまだいたとは、幸運……」


 そう言い切るよりも先に、イースの目が大きく見開かれた。瓦の屋根の上を大柄な女が駆け抜け、黒いドラゴンに迫っている。一瞬だけイースの目に映った女の目は鬼気迫る迫力があった。



「おおおおお」

 女の叫び声が木霊し、素早い蹴りがドラゴンの背中に叩き込まれる。その衝撃でドラゴンの体は墜落していった。




 屋根が崩れ、開いた穴から曇り空が覗く。その穴の真下には、瓦や木の残骸が木目調の床に転がっている。


「聞いてないよ。この演出」

 紫色の長髪が特徴的なヘルメス族少女、アイリス・フィフティーンが呟きながら、近くに転がる黒いドラゴンに視線を向けた。両腕に黄色い十字模様の入ったそのドラゴンは、仰向けのままで、一歩も動こうとしない。その周囲では、小さな犬耳の子どもたちが目を丸くしていた。


 すると、道場の中に黒い影が転がり込んだ。黒煙が立ち上りだす中で、アイリスは瞳を閉じる。


「この気配、獣人じゃないみたいだね」

「そうよ」と答える若い女の声を耳にしたアイリスが後方に視線を向ける。その先には、大柄な女が腕を組んで立っていた。


「ここにドラゴンを堕としたから、駆けつけたのに、もう終わってるなんて。この手で倒したかった」

「ああ、この子を堕としたの、あなただったんだ。蹴られた形跡があったから、間違えてここに堕としたってところかな? その所為で、すぐ終わっちゃったよ。一太刀入れるだけで撃破できて、驚いたから。あっ、みんな。さっきの技は、ドラゴンを一撃で倒す必殺技じゃないから、勘違いしないように!」

 そう周囲の子どもたちに呼びかけたアイリスに対して、その女、ルクシオンは頭を下げる。

「そのことだったら、謝るわ。この道場の屋根も直すつもり。ヘルメス族のお姉さん」


「お姉さんって……ところで、なんでこの子を追ってたのかな?」

「最近、この街で私の村を滅ぼしたあのドラゴンが出没し始めたって、酒場で聞いたからね。私の時と同じようなことが起きようとしているのに、見過ごせるわけないでしょ?」

 彼女の事情を知ったアイリスはかわいらしく顎に右手を置いてみせた。

「なるほどね。道場がこんな感じなら、稽古もできないから、今日はお開きになりそう。代替え公演は後日開催♪」

「ちょっと、何の話よ! それと、なんか、仲間になろうとしてるみたいだけど、私は独りでも……」


 弾き顔のルクシオンにアイリスがグイグイと近づく。

「あっ、そういえば聞きたかったことがあるんだった。まず、お名前は?」

「ルクシオンよ」

「そう、ルクシオン。どうして希少種族の私を見ても驚かなかったのか? 教えてくれる?」

「それは、仲間にヘルメス族がいるから。ちょっと前にも、炎の剣を使うヘルメス族にも出会ったしって、もういいでしょ? そんな目でこっち見ないで!」

 目を輝かせ、興味津々な表情を見せるアイリスと顔を合わせたルクシオンが視線を逸らす。


「ヘルメス族の仲間かぁ。もしかして、ルスちゃん?」

「そうだけど……」

「やっぱりね」と短く答えたアイリスの長い後ろ髪が揺れる。その直後、上空を包みこむ白い雲が切り裂かれ、そこから黒いドラゴンが飛び出す。四足歩行で両腕に黄色い十字模様がある黒龍は、道場で倒れているものと同一種。

 その背中には、白いローブを身に纏う長身の人影が乗っていて、すぐに道場の上空を通り過ぎていく。


 上空を見上げていたルクシオンは唇を強く噛み締める。

「ブラフマ」と呟くルクシオンの隣で、アイリスは首を傾げた。

 丁度その時、ルクシオンはアイリスに背を向け、正面に見えた道場の出入口へ迎い足を踏み入れた。その気配を感じ取ったアイリスは、振り返ることなく彼女を呼び止める。


「待って。独りで戦うつもりなら、やめた方がいいよ。あのドラゴンをソロで倒した実力は評価するけど、それだけでは、あのドラゴンに乗っていた人には勝てないから」

「何で分かるの?」

「分かるよ。ヘルメス族は一目見ただけで、相手の実力を把握できるから。ここは、私と協力して、あの人の体勢を崩した方が得策♪」

「ああ、分かったわよ。それで、何をしたらいい?」

 ルクシオンが溜息を吐きながら、体を半回転させ、アイリスと顔を合わせる。

 すると、アイリスは首を縦に振り、優しく微笑んだ。

「あなたを上空に飛ばします。それからのことはお任せ♪」

「ちょっと、どういう意味よ!」

「共闘したくないみたいだから、尊重しようと思って。さあ、早く外に出て。あの人を見失ったら、崩せなくなるから」


 言われたまま、ルクシオンはアイリスと共に道場の外に出た。土を踏み固められできた茶色い道の上で、アイリスは空を見上げる。その前方に黒いドラゴンを視認した彼女は、頬を緩め、右隣に立つルクシオンに右手を伸ばした。


「さあ、飛ばすよ。あとは何とかしてね」

 そう丸投げしたアイリスが、ルクシオンの腹に触れた瞬間、大柄の女は一瞬で姿を消した。




 空気を切り裂かれ、生まれた風を肌で感じ取ったルクシオンは、ハッとした。眼前に見えるのは、黒いドラゴンの上で座る白いローブ姿の長身の男。その姿を見た瞬間、ルクシオンの瞳に怒りが宿る。


「ブラフマ!」と上空で叫んだ彼女は、右手を強く握り、その人物の右の脇腹に拳を叩き込んだ。すると、白いローブを着た人物は、その衝撃で体勢を崩し、ドラゴンの上から落下していく。

 それを追いかけるように、ルクシオンも、ドラゴンの背中を素早く蹴り、上空から飛び降りた。




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