第95話 誤算

 そこは薄暗い岩の穴の中。半径一メートル程度の広さの半円状の空間の一部に穴が開き、そこから暖かい空気が入ってくる。

 そんな空間の中で、ジフリンスは唇を噛んだ。目の前にいるのは、黒い首輪が嵌められたユイと彼女を操っている緑色のスライムが体の猫型獣人、ディアナ。


「さて、早く片付けよう。新しい宿主、どっちにしようかな?」

 ディアナが両手を一回叩く。その音が反響すると、ユイはジフリンスの眼前に飛び出した。虚ろな目になったその小さな瞳は、ジフリンスから逸らされることはない。


「さあ、これでそっちの騎士は手も足も出なくなったね。傷つけるわけにはいかないから、剣も振るえない。ただ、この子の攻撃を受け続けるだけで、何もできない。弱い騎士だね。あっ、この子無視して、私を斬ろうとしたら、間合いにこの子を割り込ませるから」

 冷酷な一言に対して、ジフリンスは唇を強く噛み、剣を鞘に納めた。その直後、クルスは、ジフリンスの前で浮遊するユイに向けて、右手を伸ばしながら、駆け出した。


 だが、その動きを察知したディアナは、四足歩行のままで走り、クルスの前に転がり込む。


「おっと、何するのかな? あなたの相手は私だよ。仲間を助けるよりも先に、私を倒してほしいなぁ。まあ、どうやっても私には勝てないんだけどね」

「そんなことはありません」と強く口にしたクルスが拳を握る。そうして、前方に見えたディアナの背中に右の拳を叩き込んだ。

 だが、緑色のスライムが弾け飛ぶだけで、ディアナは痛がる素振りすら見せない。周囲に飛び散ったスライムは、一瞬でディアナの体に吸収されていき、元通りになる。


「だから、言ったでしょ? 勝てないって。打撃なんて効果ないし、全身を切り刻まれたとしても、私はすぐに再生できるって……」


 ディアナが唐突に右目を瞑り、長い後ろ髪を触手のように伸ばす。その先には、小さな炎が宿る鉄のランタンが置かれていた。それを毛先のスライムで飲み込み、炎と光を吸収していく。それから、数秒後、帯のようになっているディアナの後ろ髪の内の右端の一本が黒く染まった。同時に灯りがなくなり、周囲が暗くなっていく。


「うううぅ。吐きたいけど、仕方ないよね」

 その一言を聞いたクルスの頭に疑問が浮かび上がる。

「吐きたいって……」


 何かが引っかかる中、クルスの眼前に黒く鋭いモノが飛び込んでくる。それは、ディアナの後ろ髪で、鋭く尖ったそれが真っすぐ伸び、クルスの頭を貫こうとする。

 その動きを察知したクルスは、咄嗟に体を後方に飛ばし、右手を伸ばして、ディアナの後ろ髪を掴んだ。すると、黒かったディアナの後ろ髪が透明な緑色のモノへと変化していく。


「なるほどねぇ。その不思議な能力で首輪や檻を壊したってことかぁ。鉄製のランタンを吸収して、硬くなった後ろ髪で傷つけようと思ったのに、できなかった。ただの格闘娘じゃなくて、良かった。さあ、もっと楽しませてよ。まあ、そのチカラでは私を倒すなんて不可能なんだけどね!」


 その時、風が吹き抜け、クルスの後ろ髪を揺らした。近くでは、ユイが羽を羽ばたかせ、切り裂かれた風を目の前にいるジフリンスへ向けて飛ばしている。攻撃から身を守ることなく全身で受け止めたジフリンスの鎧が傷ついていく。


「だっ……だめ」


 悲痛なユイの叫びを耳にしたクルスは右手を握った。今もユイは無理矢理戦わされている。ジフリンスを攻撃する度に、彼女の心も傷ついていく。

 何とかしたい。そんな想いを胸に抱えたクルスは、右手をユイに向けて伸ばした。だが、その手は、伸ばされたディアナの後ろ髪で弾かれてしまう。


「あの首輪を壊した方法が分かったのに、やらせるわけないでしょ?」


 隙を作り、数歩踏み出せば、ユイの首輪まで手が届く。だが、その方法が分からない。その場に立ち止まったクルス・ホームが思考を巡らせた。


 すると、薄暗い空間の中で、いくつもの点が浮かび上がる。


 広場でヘリスと戦った時、一瞬止まった動き。

 

 日差しを遮る場所にある洞窟が住処。


「薄暗い洞窟の中でひっそりと暮らしていると聞いたことがあるにょん」


「太陽も出てないみたいだし、正体、現してもいいかな?」


 同時にヘリスとディアナの言葉も蘇り、点が一つの線に繋がっていく。



「はっ、もしかしたら……」

 思考回路を働かせたクルスがジッと視線をディアナに向ける。それから、右手の人差し指を立て、宙に円を描いた。


 四方に上向きの三角形。中央には燃焼を意味する座。

 シンプルな魔法陣を描いた瞬間、クルスの指先に炎が浮き上がる。

 それを見たディアナの動きが停止する。その隙を狙い、クルスは右手をユイの首に伸ばした。


「マッ、マズイ」と呟いたディアナが体を前に飛ばす。だが、それよりも先に、クルスはユイの首輪に触れた。すると、ユイの首に嵌っていた輪が壊れ、虚ろだった瞳もかわいらしい緑色に変化していく。


 そのまま数歩進んだクルスは、体を回転させ、唖然とするディアナと顔を合わせた。


「まさか、こんな初歩的な術式で隙ができるなんて、盲点でした。これでユイさんも……」

 自陣満々な態度で言い切ろうとしたクルスが目を見開く。その先では、小さなドラゴンが白い光に包まれている。

「なんだよ。これ。さっきは、こんなことなかったのに。大丈夫か? ユイ!」

 呆然として立ち尽くすジフリンスが心配そうな表情になった。その直後、光が消えていき、薄暗い空間の中で、何かが倒れた。


「うぅ、痛たっ。えっ? なんで?」


 暗闇の中でユイの声が響く。その声を聴き、ジフリンスは咄嗟に、右手の薬指を立てた。

「だっ、だめ! 照らさないで。一歩も動かないでよ!」

「ユイ」

「私は大丈夫だから。ちょっと待ってって」

 何が起きているのかと困惑する空気が数秒流れ、半円状の岩壁に沿って、炎が宿る。そうして、周囲が明るくなると、ジフリンスの目の前に水色の鎧に身を包む犬耳の少女が現れた。緑色の後ろ髪は腰の高さまで伸びていて、艶があり、首にはあの文字が刻まれていない。


「ユイ……」

 突然のことに動揺するジフリンスの前でユイは肩をくすめる。

「なんかよくわかんないけど、戻っちゃった。細かいことは、あとで考えるとして、ジフリンス。私の剣を返して。鎧は予備のこれでいいから。早く、ブラドラを金儲けの道具にしようとした悪い人を倒したい!」

「ああ、そうだな」と呟きながら、ジフリンスは右手の薬指を立てた。そうして、水色の槌を召喚すると、それをユイに手渡す。


 その一方で、クルスは動揺した。

 ユイは元の姿を取り戻したらしい。なぜこんなことが起きたのか? クルスは理解できなかった。その間に、ユイは水色の槌を叩き、細長い剣を召喚し、視線をディアナに向ける。


「獣人騎士団。ユイ・グリーン」と真摯な態度で身分を明かした騎士が鞘から細長い剣を抜く。

 同じようにジフリンスも鞘から剣を抜き、彼女の隣でそれを構えた。

 横並びに立つ二人の騎士と目が合ったクルスは、ハッとして、拳を握った。


「クッ、明るすぎるわ。ここは逃げるが勝ち」

 そう言いながら、ディアナは右目を瞑りながら後進した。だが、その先にクルス・ホームが転がり込む。

「逃がしません。ディアナさんは、炎と光に弱い」

 クルスがディアナを足止めする間に、ユイは目の前に見えた入り口に向けて、駆け出した。そうして、入り口の穴の近くにある壁に向けて、人差し指を立てて魔法陣を記す。

 すると、次の瞬間、入り口だった穴を格子状になった光の線が塞いだ。その線の上で炎が螺旋を描く。


「弱点さえ分かれば、いくら再生しても、こっちが有利。これで入り口も塞いだし、クルスさんが開けた抜け穴に周辺の壁には、私が炎の灯りを配置したから、使えないよ」


「まっ、まだ終わりじゃないから。ここの誰かに傷を付けて、寄生すれば……」

 目を泳がせながら、策を練るディアナと顔を合わせたジフリンスが真剣な表情になる。

「そうする前に倒せばいい」と呟きながら、ジフリンスは一歩を踏み出した。

 間合いを詰め、斜めに構えた剣をディアナの背中に向けて、振り下ろす。

 その剣には、微かな炎が宿り、弾け飛んだスライムから白い煙が伸びた。


「くわぁ」と悲鳴を上げるディアナは一歩も動けず、苦しそうな表情を見せる。

 その一瞬を掴み、ユイも剣を振り下ろした。弾けたスライムが、ユイの剣に吸い寄せらせ、一撃が強まっていく。


「専用の火剣じゃないから、これ使い続けると、錆びになるんだよなぁ」

 ブツブツとジフリンスが呟いた後で、ユイは「ふぅ」と息を吐き出した。

「剣なんて、しばらく持ってなかったから、下手になってるっぽい。でも、切れ味は抜群だね。っていうか、この剣、液体だったらなんでも吸い寄せちゃうんだね。初めて知ったわ」


 一方で、クルスは周囲を見渡す。弾け飛んだスライムは、吸収されず、その場に留まっていた。


「なるほど。炎で炙れば、吸収されなくなって、普通の斬撃も無効化されないんですね。だったら、僕も……」


 息を深く吸い込み、拳を強く握る。そのまま地面を蹴り上げ、ディアナの背中に向けて、回し蹴りを叩き込む。


「がはっ」と悲鳴を上げるディアナの体は、そのまま崩れ落ちた。


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