第47話 黒い霧
数週間前、アソッド・パルキルスは見慣れない森の中を彷徨っていた。
道なき道に咲く草花や大木の葉っぱが風で揺れる。東の方向から吹く風は、アソッドの前髪さえも揺らした。
涼しい風を感じつつアソッドは暗い表情のまま、天然の道を歩く。
ここはどこだろうか?
いつからここにいるのだろうか?
なぜここにいるのだろうか?
いくつもの疑問がアソッドの頭の中で埋め尽くされ、不安が強まっていく。
分かっていることは、アソッド・パルキルスという自分の名前とテルアカという言葉だけ。
想像を絶するような不安に襲われた彼女は、歩き疲れて、近くに見えた数十メートルの高さの大木の前に佇んだ。
自分は今、黒い霧の中にいる。そこから抜け出すこともおろか、行き先さえも分からない。
彼女の心の中にある黒い霧は、日を追うごとに濃ゆくなっていく。
「……テルアカ」
記憶を失った少女が、何度も自分のことを知る手がかりと思われる言葉を呟く。
すると、西の方向から少女の声を聞きつけ、通りすがりの一人の男が現れた。
逆立った緋色の髪に吊り上がった目が特徴的な高身長の男は、少女に歩み寄りながら声を掛ける。
「テルアカって言わなかったか?」
突然現れた黒いローブで身を纏う男の問いかけを耳にしたアソッドが目を丸くして、見知らぬ男と顔を合わせた。
「テルアカについて、何か知っているのですか?」
アソッドが聞き返すと男は逆立った自分の髪に右手を置く。
「五大錬金術師の一人、テルアカが近くにいるのかと思ったが、間違っていたらしいの。ところでお主、随分とルクリティアルの森を舐めているようじゃな。見た所錬金術に使う槌を所持していないようじゃが。あれがないとこの森を抜けることはできんよ。森林浴のつもりだったなら話は別じゃが、そういうわけじゃなかろう? 森林浴は思いつめたような怖い顔でやることじゃないからのぉ」
「……五大錬金術師って何ですか?」
そんな疑問の声を聴いた黒いローブの男は一瞬驚き顔になった。
「お主、五大錬金術師を知らぬのか? 錬金術研究の第一人者として世間から崇められている存在じゃ。そいつらのブロマイドは人気で、熱狂的なファンはそれを集めておるわい」
「……ブロマイドって?」
「簡単に言えば写真のような物じゃ。それが欲しかったら、森を抜けた先にあるサンヒートジェルマンって街に行けば良い」
「教えていただきありがとうございます!」
アソッドは頭を下げ、男の元から去ろうとする。だが、男は右手を前に伸ばし、彼女を呼び止めた。
「待て。聞こえんかったのか? そんな軽装で森を抜けるのは危険じゃ。それにこの森は結構入り組んでいるから、地図がないと脱出は困難。危険な人食いモンスターさえ住み着いている。サンヒートジェルマンに向かうんじゃったらこれを持っていけ」
男はアソッドに二本の槌を渡す。その男がアソッドに手渡したのは茶色い槌と赤色のレンガ模様の槌だった。
「茶色い槌を叩けば、森の地図が出てくる。煉瓦模様の奴は護身用。万が一モンスターと遭遇しても、それを使えば撃退できる」
「でも、これを受け取ってしまえばあなたが困るのではありませんか?」
「わしは大丈夫よ。他にも槌は持っておるし、予備の地図もある。お前とは経験や才能が違う。俺は最強だ」
男が自信満々に答えると、アソッドは微笑み返した。
「ありがとうございます。あなたとはまた会えるような気がします」
「そうか。わしはしばらくこの森で狩りを続けておるから、また森に戻ってきたら会えるかもしれんのぉ」
アソッドは逆立った髪が特徴的な男に頭を下げる。
テルアカは人名。その人物のことを調べたら、自分のことも分かるかもしれない。
彼女の心の中の黒い霧が少しだけ晴れ、アソッドは嬉しくなった。
その話を静かに聞いていたクルスの脳裏にブラフマの姿が浮かび上がった。
「もしかして、ルクリティアルの森でアソッドさんが出会ったのは、ブラフマさんかもしれませんね」
「あっ、言われてみたら確かに、そうかもしれません」と大きな胸の女の声に反応を示したアソッドが両手を合わせた。
丁度その時、自動ドアが開き、灰色のローブを着た女が店の中に飛び込んできた。
黒髪セミロングの少女は、奥の飲食スペースにクルスの姿を見つけると、目を輝かせて、駆け寄った。
「クルス。こんなところにいたんだ。探したよ♪」
追跡者と視線を合わせたクルスは顔を引きつらせた。その右隣でアソッドは声を漏らす。
「あっ、ノアさん」と呼ぶアソッドとノアの顔をクルスが見合わせる。
「もしかして、知り合いですか?」
「はい。住処やお仕事を与えてくださった親切な方です。フェジアール機関支部に同行してもらって、身元照合を依頼してもらいました」
「そうそう。放っておけなくてね。今は私と一緒にギルドハウスに居候しているんだ。今後はこの街で出会った面白い子たちのギルドに正式加入するつもり。クルスの無事を確認するまでは、この街を拠点に活動するギルドに入るわけにはいかないから」
「クエスト受付センターに再就職するつもりは……」
「ないよ」と即答する姉の前でクルスは溜息を吐き出した。
「さあ、感動の再会の次はお買い物タイム。お姉ちゃんがかわいい衣服をいっぱい飼ってあげるからね♪」
目を輝かせながら、胸を躍らせる姉からクルスが視線を逸らす。
「それだけは勘弁してください!」と強く反発を示した瞬間、アソッドが右手を上に伸ばした。
「ノアさん。三十分後から会議が……」
「あっ、ごめんなさい。クエスト会議、すっかり忘れてたわ。アソッド。ギルドハウスに戻るよ」
「はい」と短く答えたアソッドがクルスの前で会釈する。
「それではまたどこかでお会いしましょう」
アソッドが言い残した瞬間、クルスはハッとした。
彼女は五大錬金術師のテルアカを探している。それはクルスたちも同じ。
アソッド・パルキルスとテルアカを会わせることができれば、見ず知らずの彼女の記憶は戻るかもしれない。
記憶喪失で不安になっているアソッドを助けたい。そう思ったクルスは、咄嗟に彼女の右腕を掴んだ。
「待ってください。一緒に来ませんか? 僕もテルアカさんを探しています。こうやってテルアカさんのことを調べるよりは、本人に会った方が効率的に記憶を取り戻すことができると思います」
クルスの必死の説得を聞き、彼女は立ち止まる。
一方でアソッドの右隣にいたノアは顔を赤くした。
「ちょっと、何? その強引な引き止め方。もしかして、ウチのアソッドちゃんに一目惚れしちゃった?」
「いや、それは違います」
クルスが無表情でノアの話を全否定する。
そして、アソッドは本気で自分を助けようとしている少女と顔を合わせ、相手の腕を握り返した。
「一緒にテルアカ様を探してくださるってことですか? 嬉しいです。お願いします!」
嬉し涙を流すアソッドの隣でノアは首を縦に動かした。
「引き止める理由もないから、お姉ちゃんがギルドのみんなに伝えとく。記憶を取り戻す旅に出たって」
「はい。お願いします。それと、みんなにお伝えください。身元の分からない私を仲間にしてくださり、ありがとうございました。この御恩は一生忘れません」
「そういう言葉は直接伝えた方がいいと思うよ。ということで、クルス。十分だけ時間くれない? その間にギルドハウスに戻って、みんなにご挨拶してもらうから」
「はい。そういうことならいいと思います」
「ありがとう。じゃあ、この商店街を東に向かった先に時計台があるから、十分後そこに集合」
約束を交わしたノアがアソッドと共に店を飛び出した。
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