第37話 三人目の五大錬金術師
翌日の早朝。寝袋にくるまっていたクルス・ホームは客室の床の上で目を覚ました。窓から差し込む朝日を浴びながら、五大錬金術師の助手は、身を包んでいた寝袋を着脱する。
そうして、体を起き上がらせ、眩しく感じた瞼を擦ったクルスは、首を左右に振った。簡易的な机と椅子、シングルベッドしかない狭い部屋の中には、九つの魔法陣が刻まれている。そのすべてが防犯用にベッドの上で丸まって寝息を立てる銀髪の幼女が施したもの。
この部屋から出て行く前に、これを消さなければならないと思ったクルスは、ベッドの端に腰を落とし、可愛らしい寝顔のアルケミナを見つめた。
すると、アルケミナの瞳が静かに開いていく。それから、幼女は両腕を天井に向けて伸ばしながら、体を起き上がらせた。
「おはよう。クルス」
寝不足そうな瞼を擦ったアルケミナ・エリクシナの挨拶が聞こえ、助手のクルスは元気よく返し、ベッドの端から立ち上がった。
「おはようございます。先生。じゃあ、早速着替えましょう。いつものように僕の後ろで着替えてください」
助手に促された五大錬金術師は無表情のままで首を傾げる。
「毎回思っているけど、お互いに背中を向けて着替えるのは、おかしいと思う。今のクルスは私と同じ女だから、着替えを見られても問題ない」
「だから、そういう問題では……」
言い切るよりも先にクルスの鼻穴から血が垂れる。慌てて自分の鼻を摘まむ助手の顔を見上げたアルケミナは、クルスに背を向けるようにして、ベッドから降りた。
そのあとで、ふたりはお互いに背を向け、着替えを済ませた。
動きやすいジーンズを履き、薄手の白い半袖Tシャツに身を包むクルスの背後で、アルケミナは半袖の白い襟付きのシャツと水色の半ズボンという服装に袖を通す。
朝の着替えが終わると、アルケミナは右手の薬指を立て、銀色の槌を召喚。
それを床に叩きつけると、魔法陣の上に銀色のラジオが出現した。
自動的にスイッチが入り、若い女性の声が客室の中で響く。
「ヴィルサラーゼ火山は、毒ガスの発生が観測されませんでした。また、噴火の兆候も見られないため、本日も登頂可能です。繰り返します……」
早速、知りたかった情報がラジオから流れてきて、首を縦に動かしたアルケミナは、静かに銀の槌を床に叩いた。すると、魔法陣の上になったラジオが消えてしまう。
床や壁に記した魔法陣も消していき、部屋の様子が昨夜と同じ状態になると、アルケミナは目の前で腰を落とすクルスの顔を見上げた。
「これで準備が終わった。今からヴィルサラーゼ火山を登る」
「分かりました」
二人は宿をチェックアウトし、近くの商店で食糧を買い込み、火山がある方向へ歩き始めた。
青く綺麗な空に、昨日と同じくらいの気温。アルケミナとクルスの前にあるのは、岩の足場で構成された山。
半径五キロメートルという広大な土地に、溶岩と火山砕屑岩が積み重なる。
アルケアで一番大きな火山の入り口の前に立ったアルケミナは、地図を広げ、道順を示した。
「ヴィルサラーゼ火山の頂上まで行く必要はない。六合目に到着したら、東に続く道を三キロ真っ直ぐ進み、南下するだけ。道順としては単純」
アルケミナが持っていた地図を覗き込んだクルスは、そこに書き込まれた事実に対して、首を傾げた。
「先生。六合目に行くためには、十二キロ登らないといけないではありませんか。先生は幼児化して体力が落ちているから、絶対途中でギブアップして、僕がおんぶする羽目になる。ただでさえ足場が悪いんです。だから、別の道を進みましょうよ」
アルケミナはクルスの申し出を聞かない。
「嫌」
またアルケミナの我儘が始まったとクルスは思った。こうなってしまえば、クルスはアルケミナの言うことを聞くしかなくなる。
彼女はアルケミナの我儘を打ち破る手段を持ち合わせていないのだから。
クルスは仕方なく果てしない火山に昇ることにした。
案の定、アルケミナは登頂三十分程でギブアップした。現在アルケミナとクルスは、一合目へ一歩手前の位置にいる。
重い荷物はアルケミナの錬金術で一つにまとめたが、それでもクルスは山道をきつく感じる。槌と五歳くらいの少女を背負って、道なき道を進むのだから、無理もない。
そうこうする内に、アルケミナを背負ったクルスは一合目に辿り着く。そして、休み暇なく彼女は二合目へと向かう。
過酷な登山に挑むこと一時間。アルケミナたちの横を数匹のファイアトカゲが這うように、三合目の方向に逃げた。
一方その頃、アルケミナたちを追い越し、三合目へと向かうファイアトカゲの群れを、一人の大男が三合目に位置する崖の上で見ていた。
角刈りにした髪型に、全長二メートルという巨漢。その男の名は、ティンク・トゥラ。
五大錬金術師の一人の彼は上半身裸に長ズボンという服装を着ている。綺麗に割れた腹筋に、鍛え上げられた筋肉。腹には絶対的能力者であることを示す『EMETH』という文字が刻み込まれていた。
「クソッ。ファイアトカゲは逃げたか? あれは丸焼きにしたら旨いんだがな」
ティンク・トゥラが呟くと、彼の周りを数十匹のモンスターが囲んだ。赤色の虎柄の体の四足歩行の体に、山羊のように長い角。背中に白い羽が生えた生物の名前は、スカーレットキメラ。
数十匹のスカーレットキメラに囲まれた彼は、両手を広げながら、一匹一匹のキメラの顔を見る。
「お前ら、残念ながら獲物たちは逃げたよ。でも、大丈夫だ。あれくらいの獲物なら、俺だけでも十分捕獲可能だ。根こそぎ捕まえたら、お前らにもご馳走してやるよ」
ティンク・トゥラはファイアトカゲが逃げた方向へと視線を移す。
だが、物凄い視力の持ち主である彼の瞳に映ったのは、逃げたファイアトカゲではなく、二人の人間だった。
銀色の長い髪を生やした幼い少女と、彼女を背負っている胸の大きな黒髪の女性は、どこかで会ったような気もする。
記憶を手繰り寄せた巨漢の脳裏に、銀髪ロングヘアの賢そうな巨乳女性が浮かび上がり、彼は思わず頬を緩めた。
「あいつら……まさかな。俺がここにいるって情報を聞きつけて探しに来たか、それとも偶然かは知らないが、面白くなってきやがった。ここは挨拶しないとな」
ティンクは白い歯を見せ、周辺を囲むスカーレットキメラの前で右手を斜めに降ろした。
「お前たちは逃げたファイアトカゲを追ってくれ。お前たちなら大丈夫だ。この前教えたフォーメーションで動けば、確実に獲物は捕獲できる。俺がいなくても、お前たちなら生きていけるさ。その代り、二匹くらい俺と行動を共にしてくれ。俺はあいつらに挨拶してくる!」
スカーレットキメラの群れは、一斉にティンクを睨み付ける。そんな反応を受けたティンクは頭を掻いた。
「この二か月で人語を理解するまでに成長したと思っていたが、十分な勘違いだったようだな。ああ、分かったよ。お前らにも分かるように説明してやる!」
ティンクはスカーレットキメラの群れに言い聞かせながら、両手で握り拳を作る。そして、次の瞬間、彼の体は白い光に包まれる。
瞬く間に彼の体は、スカーレットキメラの物へと変わった。
それに伴い、スカーレットキメラの群れの内の二匹は、スカーレットキメラへと変貌したティンクの元へ歩み寄る。
残りのスカーレットキメラは白い羽で空を飛び、ファイアトカゲを追跡する。
崖の上に取り残された三匹のスカーレットキメラは、崖の下を覗き、物凄い速さで崖を滑るように駆け下りた。
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