第32話 悪党たちの決闘③

 純黒の霧が灰色の廊下を流れていく。それが胸の大きな獣人の体を形作り、壁に背を着けた。


「はぁ。はぁ。はぁ」

 その影が苦しそうに息を吐き出した瞬間、全身を包み込んでいた黒の霧が消え、ウサギの耳を生やした獣人が姿を晒す。

 その女、メランコリア・ラビが苦しそうに胸を掴み、身を捩る。

 やがて、その体は壁に背を預けたままでストンと落ちていく。


「ここまで来れば、大丈夫よね?」

 声を潜めるように呟く女が胸の痛みに耐えながら、立ち上がる。

 その体はふらふらで真っすぐ歩くことすら難しい。

 咄嗟に使用した緊急退避用錬金術の副作用が、彼女の体を蝕んでいく。


「はぁ。はぁ。まさか、あの槌を使わせる相手が現れるなんて、想定外よ。あの殺人鬼、ホンモノだわ!」

 鋭く頭が痛み、メランコリアは思わず右手で頭を抱えた。

 すると、彼女の目に、錆びた扉が飛び込んでくる。

 そこから、ほのかな紅茶の甘い香りが漏れ、メランコリア・ラビはジッと目の前の扉を見つめた。


 この先に潜んでいるのは、紅茶党の強敵。

 だが、その相手は幼児化していて、もしも自分の能力が通用すれば、赤子の手を捻るよりも簡単に倒すことができる。

 思考を巡らせたメランコリアは覚悟を決め、目の前の錆びた鉄の扉を開いた。


 足を踏み入れたのは、二階にある四畳ほどの狭い部屋。その片隅に彼女が視線を向けると、小さな子どもが白い椅子に座っていた。

 アンティークな円状の白い机の前に着席している彼女が、侵入者の存在に気付かないまま、右手でティーカップを持ち上げる。

 机の上には金色の三段形式のケーキスタンドが置かれていて、美味しそうなクッキーで円を描くように並んでいる。


「ルス……」と小声で呟いたメランコリアが周囲を見渡すと、部屋の壁や床には無数の魔法陣が刻まれているのが見えた。

 この広さなら、どこにいても絶対的能力が必ず発動する。

 ここでなら無敵。メランコリアは自信満々な顔付きで、無防備な敵の元へ歩み寄った。


「ルス。ヘルメス族なんて大したことないのね。五大錬金術師がEMETHシステムっていう錬金術の上位互換の技術を開発したのに、ヘルメス族は何もしなかったんだって聞いたよ!」


 わざと彼女の逆鱗に触れそうなことを話しながら、少しずつ距離を詰めていく。

 だが、ルス・グースはそんな声を聞こえていないかのように、ティーカップを唇に近づけ、それを上に傾けた。

 そして、左手でソーサーを持ち上げた瞬間、突然、メランコリアの背後にある鉄の錆びた扉が光に照らされた。

 その直後、扉が前方へ倒れていく。その気配を感じ取った獣人は、体を前に飛ばした。

 埃が舞う中で、メランコリアが背後を振り返ると、床を押しつぶす扉が彼女の目に映り込んだ。


 メランコリアの絶対的能力は、目の前にいる仲間には効いていない。

 そう思いかけた彼女は首を左右に振った。


「そうよ。さっきのは時限式の術式が発動しただけだわ。だって、いつものルスなら、ヘルメス族をバカにしたり、趣味を邪魔したら絶対に怒るもの」


 一方で、鉄の扉が崩れても、ルスはケーキスタンドに手を伸ばし、お菓子を摘まんでいた。まるで、侵入者なんて関係ないと言わんばかりに。

 その姿を目にしたメランコリアの表情が青くなっていく。


「いや、違うわ」

 ようやく間違いに気が付いた獣人の姿が白い光に照らされた。

 彼女が天井に視線を向けると、そこから白い光が伸びていることが分かる。

 それが一瞬で彼女の体を包み込み、その中で伸びた白い光の線が巨乳の獣人の全身を螺旋を描くように絡みつく。

 そんな彼女をルス・グースは瞳を青く光らせて、チラリと見た。

 目と目が合った瞬間、メランコリアの顔に絶望が刻み込まれた。


「ルスお姉様なら、絶対的能力を使わなくてもこの場にいる僕とトール意外の人間を瞬殺できるかもしれません」


 あの時のラスはルスの秘密の能力が健在であることを伝えようとしていたのだろう。

 並みの絶対的能力者が勝てるわけがない。そんな結論を導き出したメランコリアは、屈辱的な敗北に対し涙で顔をクシャクシャにしながら絶叫した。


「いやぁぁあああああああああああああぁぁ!」


 光の帯に閉じ込められた獣人の叫び声が廃墟に響く。 

 そんな声すら気にしない子どもは、ソーサーの上にティーカップを置き、ケーキスタンドに右手を伸ばした。


 やがて、その獣人の体は、見えない何かで押しつぶされ、勢いよく固い床に叩きつけられた。

 


 その直後、ルス・グースの目に黒髪の少年の姿が飛び込んできた。

 一瞬で姉の元へ駆けつけたラス・グースを周囲を見渡してみせる。 

 瓦礫が散乱する中で紅茶を飲むシュールな光景に、少年は思わず目を点にして、溜息を吐き出す。


「ルスお姉様。バトルロイヤルの最中ですよ。緊張感がありません」

「ラス。何も分かっていないのです」


 ルスが左手で床を指差した。そこには無数の魔法陣が刻み込まれている。

「私の能力は錬金術がなければ使えないのです。相手の錬金術を利用するという手もあるけれど、相手は錬金術を使わないでしょう。だから、下準備として魔法陣を書いているのです。戦いが嫌いという理由もあるのだけど……」

「それと紅茶は関係ないように思えますが……」


「ふふふ。こうやって、至る所に魔法陣を描いておけば、相手は罠が仕掛けてあると思って、周囲を警戒しながら、慎重に動くのですよ。おまけに、私は侵入者の存在をわざと無視して、優雅なティータイムを楽しんでいるのです。この行動で、相手は罠が仕掛けてあるから、安心して紅茶を飲んでいるという予測を立てるのです。その思考の隙を狙って、術式を発動すれば、完封できるのですよ」

「とか言いながら、紅茶を飲みたかっただけでしょう?」

 ラスはジド目になり、視線を床の上で白い光に包まれ消えそうな仲間に視線を向けた。


「ルスお姉様。もしかして、メランコリアは……」

「はい。そうなのです。美味しい紅茶が冷める前に、絶対的能力と光帯監獄術式を絡めて、瞬殺したのです」

「ルスお姉様。スゴイです!」

 親愛なる妹に褒められ、ルスは一瞬顔を赤く染めた。その瞳が青く輝く。

「嬉しいのです。まあ、十秒後から始まる最終決戦の前に紅茶を飲み干したかったという理由もあったのです。そうじゃないと紅茶が冷めてしまいますから」


 瞳を青く輝かせたルスは、ティーカップを唇に近づけ、残り少なくなった濃いオレンジ色の液体を喉へ流し込んだ。

 それを飲み込んだのと同じタイミングで、壁が壊され、二つの影がラスたちの前へ飛び込んでくる。


「なんか壁が塞がれてたから怪しいと思ったら、まさか二人揃って、こんなところにいたとはなぁ。探す手間が省けたぜ!」

 その内の一人、マエストロ・ルークが目の前にいる尖った耳を生やした二人組を睨みつけた。その右隣でルクシオン・イザベルが右の拳を握る。


 そんな二人の人間の姿を瞳に捉えたラス・グースは両手を叩いた。


「ルスお姉様の言う通りですね。どうやら、ここが最終決戦の舞台になるようです」

「はぁ? 意味が分からん。ルス、お前は俺たちがここに来ることを想定していたのか?」

 湧きだした新メンバーの疑問の声を無視したルス・グースは呑気に紅茶を飲み干した。空になったティーカップをソーサーの上に置き、視線を目の前に現れた金髪の男に向ける。


「ふぅ。騒がしいお茶会は苦手なのですよ」

「どうやら、質問に答えるつもりはないようだなぁ。ルス。俺はお前を倒す。ルクシオンはラスの相手を頼む!」

「指図するな!」

 ルクシオンはイラつきながら、ラスを睨みつけた。

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