第25話 潜入
研究所内三階にある第三ラボの中で、銀髪の幼女と巨乳少女がいた。
六畳ほどの広さの空間には、出入口の真っ白なスライド式ドアと整理整頓された書類が山積みになっている机が並ぶ。
壁を覆うように取り付けられた灰色の棚には何も並べられておらず、人の気配すら感じ取れない。
あの突然変異の権威が悪事を企んでいると信じる五大錬金術師は、違和感を覚えた。
研究所ビルの中を、三十分も探索しているのに、誰とも会わない。
何かがおかしいと感じ出した銀髪の幼女は周囲を見渡した。その先の天井には防犯カメラが取り付けられている。
それを見たアルケミナは。頭にクエスチョンマークが浮かべながら、机の上に置かれた紙に触れた。
ザラザラとした触り心地の紙は、黒いシミが目立ち、何も書かれていない。
すると、右隣を歩いていた助手のクルス・ホームがその場に立ち止まり、首を傾げながら、膝と首を曲げ、アルケミナに声をかけた。
「先生。おかしいと思いませんか? あれから誰とも会いません」
「杜撰なセキュリティ。見たところ錬金術を使用した形跡もないし、目につく防犯カメラは全て電源が切られてるらしい」
「罠ですか?」
「その可能性が高い……」
「はい。三十分経過。皆さん。準備を始めてください」
アルケミナの声を遮り、天井からラプラスの助手の声が聞こえてきた。
いつの間にか浮かび上がった大きな魔法陣をアルケミナがジッと見つめ、静かな研究室内で声を響かせた。
「なるほど。時限式の放送用術式を天井に施していたらしい」
「正解です」と声の主が答えた瞬間、開かれていた出入り口ドアからゾロゾロと五つの黒いローブを着た人物たちが入ってくる。
その人々が一斉に、袖を捲りEMETHという文字が刻み込まれ右腕を見せびらかすと、ドアが自動的に閉まっていった。
その動きを横目で見ていたアルケミナが顎に右手を置く。
「誘導されてる感覚もなかったのに、どうして……」
「先生、考えてる場合じゃありません。多分、ここは逃げた方が……」
考え込む小さな女の子を、クルス・ホームが抱きかかえる。
すると、その動きを見ていたかのように、ラプラスの助手が嘲笑った。
「逃げられませんよ。この第三ラボは閉鎖しました。さて、第二段階です!」
その声を待っていたかのように、黒いローブを着た人物の一人が、黒い玉を床に落とす。
次の瞬間、玉から白い煙が放出され、研究室内に漂い始めた。
それからすぐ、五人の黒いローブの人物たちは、フードを脱ぎ、黒い球体を頭からかぶった姿を見せる。
その直後、白い煙を吸い込んだアルケミナが咳き込んだ。視界が狭まっていき、右腕を曲げ、シャツの袖で口元を覆った彼女は、ジッと目の前のドアの前に並ぶ五人を見た。
「この成分、おそらく睡眠ガス。ゴホッ、ゴホッ」
「正解です。因みに、こちらが用意した能力者さんには、専用ヘルメットを着用してもらいました。これで、こちら側は睡眠ガス無効化です。さて、そろそろ、体が思うように動かなくなっていることでしょう。皆さん。最終段階です。能力を活用して、侵入者を拘束しましょう。第三ラボは、壊したらダメなモノは全て片付けてあるので、思いきり暴れて構いません」
その声に反応して、五人の能力者たちが一斉に腰を落とした。
すると、地面が小刻みに震え、煉瓦模様の全長一メートルの小型ゴーレムがアルケミナたちを囲むように五体召喚された。
手にしていた創造の槌を左手で握りながら、小さな五大錬金術師が右手の薬指を立て、空気に触れる。
だが、何も起こらず、幼女の頭の中に甲高い不快な音が響いた。
「ダメ。この睡眠ガスを防ぐモノが召喚できない」
「先生、創造の槌でなんとかならないんですか?」
「ダメ。この場にある紙では、粗悪品しか創造できない」
唯一残されていた粗悪な紙にアルケミナが目を向けた間に周囲を囲む小型ゴーレムが一斉に口を開き、光線を吐き出した。
一瞬で生成された五体の小型ゴーレムが一斉に口を開き、光線を吐き出す。
眩しい光が煉瓦を砕き、粒子が空気中に漂い始める。
集中砲火のごとく、発射された光線にクルスが手を伸ばすが、それは消えることはなかった。
ゴホゴホと咳き込み、意識が朦朧とする中、クルス・ホームは唇を噛み締める。
右目を瞑り、小さなアルケミナの体を左手で抱えたまま、体を左右に揺らし、吐き出される光線を避けていく。
そうして、少しずつ距離を詰めていったクルスは、目の前に見えたゴーレムに向け、右手を伸ばした。その土の体に触れた瞬間、ゴーレムの体が儚く消えていった。
それから、体を右に飛ばし、円を描くように動き、次々にゴーレムの体に触れていく。
一瞬の内に侵入者を包囲したゴーレムが消え、クルスは呆然と立ち尽くす能力者たちと顔を合わせた。
「ゲホッ」と咳をしてから、右手を握り、五大錬金術師の助手が大きな胸を上下に揺らしながら、前方に駆け出していく。
抵抗する気もない人物たちの腹を右手で次々を殴っていき、次々と倒していった助手はドアの前で右手を開いた。
閉じられていたドアが最初からなかったかのように消え、廊下へと続く抜け穴が出来上がる。そこからクルスは、右手で口と鼻を覆いながら、漂うガスから逃げるように足を素早く動かした。
助手の左腕に抱えられたアルケミナも煙を吸い込まないように、両手で口と鼻を塞いでいた。
廊下を真っすぐ進むと、エレベーターが見えてきて、クルスは思わず頬を緩める。
そんな助手の表情を腕の中で見上げていたアルケミナは、首を縦に動かし、右手を伸ばし、ボタンを押した。
すると、すぐにドアが開き、小さな子どもを抱えた巨乳の少女がそれに飛び乗った。
その直後、ボタンを押していないのに、鉄の箱のドアが自動的に閉じられた。
まさかと思ったクルスが息を飲み込む。
「先生、僕たち、ここに閉じ込められたんですか?」
焦る助手に対して、表情を変えない五大錬金術師は首を横に振った。
「違う。誰かに誘導されてるらしい。そして、その誰かは私たちに最上階へ来てほしいみたい」
銀髪の幼女の視線の先にあった画面には、次にエレベーターが最上階へ停まることを示すメッセージが表示されていた。
「これ、絶対に罠ですよね?」と焦る助手が、適当にボタンを押す。だが、何も起こらず、上昇する鉄の箱は、最上階へと到達した。
ドアが自動的に開き、煉瓦が敷き詰められた廊下を踏みしめた二人が真っすぐ進む。
研究所の壁に沿い、歩みを進めるクルスがしばらく進むと、先導するアルケミナが立ち止まった。
「絶対的能力者は集まったのか?」
今まで聞いたことがない男の声を壁の向こう側から聴いたアルケミナは、壁に右耳を当てた。それから近くにいるクルスと顔を合わせ、右手の人差し指を立てる。
そして、音を立てずに銀色の小槌を叩き、召喚された銀色正方形の機械を左手で握った。
それを右手で触ってから、少し進んだ先にあるドアに近づける。
「五十人程集まっています。敵地で即戦力として使えるような能力者もいました。兵士の派遣は本当の目的が達成されるまでの資金稼ぎが目的ですが……」
「では、質問しよう。本当の目的はいつ達成される?」
「早くても半年後ですね。まだデータが足りませんから」
ドアの外から聞こえてきた会話から、アルケミナはラプラスが裏で悪事を働いていると確信した。
そうして、アルケミナは声を潜め、後方にいる助手と顔を合わさずに首を縦に動かす。
「クルス。証拠は集まったから、研究所から脱出する。そして、これを然るべき場所へ匿名で提出する」
「はい」と小声で答えたクルスが顔を下に向けた。すると、床の上に魔法陣が浮かび上がっていることに気が付き、巨乳少女の顔が青くなっていく。
「先生、これって……」
いつの間にか魔法陣の上に立っていたクルスは、目を丸くして、白い光に包まれていく自分の両腕を見た。
「動かないで」と前方にいる銀髪の幼女が口にして、背後を振り返りながら、右手の人差し指を立てる。
指で素早く魔法陣を描き、指先に浮かんだそれを弾き、目の前の助手に当てたが、助手の体を包み込む白い光は消えることはなかった。
やがて、アルケミナの体も白い光へ包まれていき、手にしていた証拠品を握り締めた。
「ダメ。また時限式の術式。その効果は瞬間移動」
言い切った後で、二人の体は消えた。
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