第26話 VSラプラス・ヘア博士 前編

 クルス・ホームは目をパチクリとさせた。

 気が付いたら、広々とした空間の地面が草で埋め尽くされている光景が広がっていて、右隣に視線を向けると、そこにはアルケミナの姿もある。

 後方にはドアがあり、十畳ほどの広さの部屋の中心では、肩に赤いトカゲを乗せたラプラス・ヘアと見知らぬ白いローブを着た人物が白い机を挟み対面している。


「迂闊だった。まさか、私たちの退路を断たせるため、わざと部屋の中へ飛ばすための術式を施した魔法陣を仕掛けていたなんて、気が付かなった」

 そう語りながら、アルケミナがジッと前方を見る。すると、その幼い声を聴いた白いローブの男が声がした方をチラリと見た。

 

 一方で、ラプラスは侵入者の存在に気が付き、椅子から立ち上がった。


「外が騒がしいと思ったら、侵入者がいたとは。では、お聞きします。あなたたちの目的は何でしょう?」

「その前に、聞きたいことがある。絶対的能力者を集めて何をしているのか?」

「EMETHシステムに隠されたバグを探すことが目的ですよ。それ以外は何もありません」

「それはフェジアール機関の仕事。システムの不具合を探すのは建前で本音が隠されているはず。先程敵地に絶対的能力者を派遣するという声を聞いた。ちゃんと証拠も残した」

 アルケミナの発言を聞き、ラプラスが苦笑いする。


「なるほど。会話を聞かれていましたか? この研究所の研究員や研究対象として研究所を訪れている絶対的能力者なら、隠ぺい工作を施すこともできるのですが、外部の人間に知られてしまうと、困りますね。ということであなたたちを排除します」


 ラプラスが不気味に笑いながら、椅子から立ち上がろうともしない白いローブを着た人物の肩に触れた。


「トールさん。二人で侵入者を殺しましょうよ」

「断る。用心棒の真似事は職務内容に含まれていない」

「分かりました。トールさん」


 トールと呼ばれた白いローブを着た人物は、椅子から立ち上がり、アルケミナたちと戦うことなく去ろうとした。

 残虐なオーラを放ち、自分たちの真横を通り過ぎていく姿に、思わず鳥肌を立てたクルスは怖い顔になり、アルケミナに耳打ちする。

「先生。もしかして、アイツはパラキルススドライで出会った白いローブを纏った女

の仲間ですか?」

「……そう。トールという名前には聞き覚えがあった。聖なる三角錐」


 アルケミナの真っ直ぐな視線は、出口に向かっているトールの姿を捉えた。

 トールは幼女の言葉を聞き思わず立ち止まり、体を回転させた。


「ご名答。トールという名前だけで聖なる三角錐に辿り着くとは、流石としか言えない。最も、仲間と遭遇したことがあったからだろうけど……」

「あなたの仲間も絶対的能力が使えるということは、アイザック探検団を皆殺しにしたのは……」


「答える義務はないが、そういうことだ。もちろん私も絶対的能力が使えるが、今回も逃げさせてもらう。研究施設を吹っ飛ばすわけにもいかないからね」

 すんなりと認めたトールに対して、クルスは怒りの視線を向けた。

 

 目の前にいる人物が、アイザック探検団を全滅させた。

 事実が怒りを生み出し、正義感を拳に込めた五大錬金術師の助手が、前方に駆け出す。


「許せません!」


 一歩も動こうとしない相手に対して頭を狙い、拳を振り下ろす。

 だが、その一撃はトールに届かない。受け止められ、握られた敵の右手が、片手だけで巨乳少女の体を数十センチほど持ち上げる。

 そして、トールはその状態のまま、少女の腹を蹴り上げ、前方へ投げ入れた。


 パラキルススドライで遭遇した女の蹴りの十倍の痛みを肌で感じ取りながら、彼女の体は床に叩きつけられてしまう。


「少し大人げなかったかな? さて、今度は……」

 そう呟いた後、トールが一瞬でアルケミナの目の前に姿を現す。

 そして、彼女が握っているボイスレコーダーを奪うために、右腕を伸ばした。

 瞬時に目的を察知したアルケミナは、ギュっと証拠品を握り締めた。

 迫る略奪者の手を防ごうとしたが、幼女の力は弱い。

 

 アルケミナは「返して」と呟きながら、トールの白いローブの裾を掴んだ。

 その直後、銀髪の天才錬金術師は目を丸くした。

「この素材……」と小さく呟いた幼女を嘲笑うように、証拠を強引に奪って見せたトールが頬を緩める。


 そして、アルケミナの目の前でボイスレコーダーを文字通り粉々に握りつぶした後で、トール・アンは何事もなかったようにドアを開け、退室した。



「くっ!」と白い歯を噛み締めながら、うつ伏せに倒れたクルスはその場から立ち上がった。

 全身を生まれたての小鹿のように震わせた巨乳少女と対面したラプラスは、その隙を狙い、赤色の槌を叩く。


 三十二方向に煆焼を意味する牡羊座の記号。


 中央には火を意味する三角形。


 その記号が地面に刻み込まれた瞬間、魔法陣の上に、ラプラスの肩に乗っていた赤色のトカゲが着地する。


 そのトカゲ、ファイアトカゲが瞬く間に巨大化していく様子を目の当たりにしたアルケミナが呟いた。


「突然変異研究の副産物。レベルの高い錬金術」

 そんな幼女の声を聴き、ラプラスが中指を立てる。

「正解」

「ファイアトカゲを巨大化させることができるのに、EMETHシステムのよって突然変異した謎が分からないのですか?」


 そんな巨乳少女の疑問の声を聴いたラプラスは、頬を緩ませた。


「EMETHシステムの欠如による突然変異のメカニズムは分かりません。いくら突然変異研究のプロフェッショナルである私でも分からないこともありますよ。分かったことといえば、僕程の錬金術の使い手なら、絶対的能力者と互角に戦うことができるということくらい。最もトールさんの蹴りを受け、立っているだけで精一杯な少女相手に使うのは大人げないですが……」


 その通りだとクルスは思った。

 今は立っているだけで精一杯。

 一歩も動けそうにない。こんな状況で危機を脱することはできるのか?

 思考を巡らすクルスを他所に、錬金術によって巨大化したファイアトカゲが火を噴く。



 動けないクルスの指に炎が届いた瞬間、炎が突然消える。その現象を見たラプラスが手を叩く。

「素晴らしいですね。炎を消す能力ですか?」

 クルスは首を横に振る。

「違います」

 ラプラスは、部屋に飾られた鎧から、短剣を取り払う。


「これなら、どうでしょう?」

 素早く銀色の槌を叩くと、召喚された銀色の短刀がラプラスの右手に握られ、剣先を巨乳少女に向けた。それから、素早く距離を詰め、一歩も動けないクルスの右腕を狙い、振り下ろす。


 それで切り傷が刻まれるよりも先に、クルスが咄嗟にラプラスの短刀を右手で握り、切断を防ぐ。

 すると、ラプラスが手にしていた短刀が一瞬で消失してしまう。

 不可思議な現象を目の当たりにしたラプラスは、頬を緩めた。


「なるほど。何でも破壊する能力ですか。名称を付けるとしたら理論破壊。この世界に存在する物質は全て錬金術によって成り立っているというのは周知の事実。その理論を破壊するから理論破壊。相応しい名称だと思いますがいかがでしょうか」

「簡単な名前ですね。気に入りました」

「それは良かったと言いたいところですが、あなたは私に勝てません。理論破壊を使用したとしても」

 ラプラスが不気味に笑う。


 そして、巨大なファイアトカゲがクルスの前に立ち塞がり、腕を振り下ろす。

 ファイアトカゲは鋭い爪でクルスの体を切断しようとしている。

 クルスはファイアトカゲの腕を掴み、攻撃を防ぐ。


 その隙を狙いラプラスは緋色の槌を叩き、魔法陣を地面に刻む。

 その瞬間、幾つもの魔法陣から炎の柱が出現した。

 その柱が研究所の天井を貫く。柱は天まで届くのではないかというくらい高い。


 やがて炎の柱がファイアトカゲの体に吸収されていく。

 それに伴いファイアトカゲの腕力が強くなっていった。


 同時に、気温が急激に上昇して、クルスたちの頬から汗が流れ落ちた。

 全身から湧き上がる汗は、白い煙になって蒸発していく。

 視界が霞む中で、クルスはファイアトカゲの腕を支えることができず、地面に叩きつけられた。


「残りは小さな女の子のみ。連れの子守女を置き去りにして逃げるんなら、命だけは助けてやってもいいですよ。もちろん置き去りにした女は、洗脳して研究に利用させてもらいますが。この女の絶対的能力を使えば、最強の戦闘マシーンが出来上がります。さあ、早く決めた方がいいですよ。早くしないと、この子、熱中症で死んじゃうかもしれませんから!」


 立ち上がりそうもない巨乳少女から、その近くにいた銀髪幼女に視線を向けたラプラスが両手を広げる。

 同じように大量の汗を掻いていた銀髪の幼女は、当然のように、無表情で首を横に振った。


「……断る」

「そうですか? 残念です。それにしても、キミも大変ですね。こんなバカな女の子の所為で、死ぬんですから」


 クルスの頭元でしゃがみこんだラプラスが、同情するように、汗でびっしょりになった彼女の長い後ろ髪に触れた。



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