第16話 盾と矛

 突然の出来事だった。突風と共に巻き起こる砂埃と共に、殺人鬼が姿を現す。

 黒いローブで顔を隠した男は、冷酷な視線を目の前にいる銀髪の幼女に向けた。


 その怪人から発されている殺気にミズカネとクルスは身震いする。

 だが、アルケミナは堂々として、怪人の元へ一歩を踏み出した。

「……探す手間が省けた」

「まさか、俺を探していたのか? わざわざ俺に殺されるために!」

「違う。あなたの正体を明らかにするために探していた。あなたの本当の名前はマエストロ・ルーク」


 銀髪の幼女の口から発せられた名前を聞き、その殺人鬼は唇を噛み締める。


「マエストロ・ルークだと? そんな名前はどうでもいい。俺はお前を殺したいんだ!」

 怪人の残虐な声にミズカネ・ルークは聞き覚えがあった。そして、首を左右に振りながら、殺人鬼の弟が叫ぶ。

「嘘だ! 兄貴は優しかった。冷酷に百人以上の人間を殺せるはずがない!」


 そんな叫びを聞きパラキルススドライの怪人は、右足で強く地面を蹴った。

「お前に何が分かる!」


 激昂する殺人鬼が、体を前方に飛ばした。前へ迎い一直線に伸ばされた右腕は、ミミズカネの元へ向けられる。

 それに対して、覚悟を決めたミズカネは銀色の槌を叩いた。


 フルフェイスのヘルメットのような形のマスク。銀色のボディ。円状の盾。

 一瞬の内に鎧に身を包んだミズカネは、一歩も動かない。

 そうして、首に狙いを定めた怪人は、手刀を当てた。


 だが、鈍い音が響くだけで、鎧は打ち砕かれることがない。

 その衝撃でミズカネの体は後ろへと下がっていく。


「バカな。なぜ切れない!」

 声を荒げ驚く怪人を、ミズカネが笑った。

「やっぱり、スゴイな。クラビティメタルストーンの力。これがパラキルススドライの怪人が唯一切れない盾。この鎧に身を包んでいる限り、俺は死なない!」


 少年の勇敢な声を耳にした怪人が舌打ちする。

「クソッ、やっぱり万能ではなかったか! だが、そっちの女たちは鎧を身に着けていない。あの二人を殺せればそれでいい」


 残虐な怪人は弟を無視して、近くに留まるアルケミナとクルスに手刀を向けた。二人に向け走る怪人を、鎧姿の弟が追いかける。

 そうして、体を半回転させ、アルケミナたちの前に文字通り立ち塞がった弟は、両手を左右に広げた。


「邪魔だ!」

「これ以上の人殺しは許さない。兄貴。どうして無差別殺人なんてしてるんだよ!」


 怪人は少年の声を聞き、両手を握り締め、腹を殴り続けた。

「ウルサイ。こうするしかなかったんだ!」

 怪人になった兄は、勇気を振り絞り自分と対峙する弟を殴りながら、過去を語った。



 マエストロ・ルークに異変が起きたのは、漆黒の幻想曲が発生した日のことだった。


 あの日、弟のミズカネは目の前で白い光に包まれていく兄の姿に胸を躍らせていた。


 光が消えた頃、絶対的能力を手に入れた兄が弟と顔を合わせる。この時、マエストロの中で残虐な怪人が生まれた。


「やっぱり兄貴が羨ましい。落選しなかったら俺も能力を使えたのに……」

 弟の話を兄が聞く。しかし、それと同時に兄は心の中で黒い声を聞いた。

『人殺しは楽しいぜ』

 兄は残虐な声を何度も幻聴として聞いた。その声に、マエストロは思わず声を荒げてしまう。

「ウルサイ」


 突然兄の口から今までとは違う言動が漏れ、弟は思わず頭を下げた。

「ごめんなさい。鬱陶しいと感じたんだろう」

 違うと声を出そうとした兄だったが、言葉は心の中に潜む怪物に奪われてしまう。


 怪物は徐々にマエストロの性格を支配していった。念を込めて怪物を封印する手袋を付けた。全ては右掌に刻まれたEMETHという文字が原因ではないかと思い始めたが、意味は皆無。


 そして、一週間前の夜、マエストロにとってショックな出来事が起きた。いつものように黒いローブを着て、夜の街を歩いていた彼は突然の頭痛に襲われる。


 それを心配して近寄っていく善意に満ち溢れた人々。そんな人々を、マエストロは一人残らず手刀で斬殺していく。


 頸動脈から噴き出していく鮮血。


 死の恐怖に怯え逃げ惑う女の顔。


 目の前で大切な人が殺され、絶望した子供の顔。


 そのすべてがマエストロに快楽を与える。


 両掌はもちろん、黒色のローブも赤く染まっていき、マエストロは壊れた。

 殺すことに快楽を覚える残虐な無差別連続殺人鬼になった彼は、黒いローブを身に纏い、自身の絶対的能力の限界を探るため、惨殺を続ける。



 パラキルススドライの怪人の回想を聞き、アルケミナは納得した。

「なるほど。あのシステムには突然変異だけではなく、性格が変化する場合があるということ。それが分かっただけでも十分」

「俺はお前を殺さないと満足できない。死ね」


 パラキルススドライの怪人はミズカネを無理矢理地面に押し倒す。

 そして、ミズカネの体を踏みつけ、アルケミナの方向へ飛ぶ。

 そのまま斬撃を周囲の電柱に向け、飛ばし、銀髪の幼女に向けて、投げ飛ばした。


「先生」と呼びながら、幼女の右隣にいた巨乳少女は、体を上に飛ばし、飛んでくる電柱に両手を添えた。すると、電柱は跡形もなく消滅してしまう。


 そんな現象を目の当たりにしたパラキルススドライの怪人は驚愕の表情を露わにした。

「面白い。お前も絶対的能力者か? 触れた物を何でも破壊できる能力だな。俺の能力とは根本的に同じだ!」


 パラキルススドライの怪人をクルスは睨み付け、否定する。

「違います。僕は、この能力を正義のために使います。一方あなたは、その能力を殺人に使った。だから、同じではありません。あなたは能力の使い方を間違えたのでしょう」


「お前に何が分かる!」

 パラキルススドライの怪人が怒鳴った瞬間、クルスの体が崩れ落ちた。

 突然襲ってきた腹部への強烈な打撃。

 何が起こったのかクルスには理解できなかった。


「ゲームオーバー。そこまでだよ。これ以上の戦闘は無益だからね」

 パラキルススドライの怪人は右に顔を向けた。そこには右肩に黒猫を乗せた白いローブで身を纏う大きな女が立っている。


「負けそうだから、約束通り助けにきたよ。実験の結果も出たから十分でしょう。あなたの絶対的能力は万能ではないって」

「違うな。あの餓鬼を殺さないと満足できない」


 今にも目の前の幼女を殺そうとパラキルススドライの怪人は動こうとする。

 一方、クルスはアルケミナを守るために立ち上がろうとするが、全身に痛みが響き一歩も動くことができなかった。


 そんな状況の中、新手の女は怪人を前にして、頬を緩めた。

「殺す機会ならいくらでもあるでしょう。ここは逃げようよ。黒猫ちゃんの能力実験してからね」

「実験だと?」

「あの餓鬼に黒猫ちゃんの能力は通用するのか?」


 女はアルケミナの動きを見抜いていた。

 

 東に銀を意味する月の記号。

 西に蟹座。

 北に増殖を意味する水瓶座。

 南に土の記号。

 中央に上向きの三角形を横棒で二分割した記号。


 一瞬で白く光る魔法陣が銀髪の幼女の右手の甲に浮かぶ。

 一方で白いローブの女は、それを待っていたかのように、頬を緩めた。

 すると、次の瞬間、女の肩に乗っていた黒猫の瞳が赤く光る。


 それと同時に、アルケミナの右手から魔法陣が消えた。

「なるほど。一瞬で百本のナイフを出現させる。レベルが高い錬金術だね。おまけに、槌を叩くスピードもスゴく速い。実験結果。黒猫ちゃんの能力はあの餓鬼にも通用する」


 いつの間にか、白いローブを着た女の右手の甲に、魔法陣が浮かび上がった。

 それを見せるように、右腕を前に伸ばすと、そこから百本の銀色のナイフが放出されていく。


 前方から迫りくるナイフの大群を瞳に宿したアルケミナが、咄嗟に槌を叩く。

 だが、召喚されるはずだった巨大な壁は、白いローブの女の前で一瞬で生成されていった。


 幼女の体を切り刻む凶器を前にして、ミズカネが駆け出す。

「危ない!」と叫びながら、幼女の体を押し倒し、自身の体で幼女に覆いかぶさる。

 すると、ナイフの大群はアルケミナたちの後ろにある壁に全て突き刺さった。


 やっと立ち上がることができたクルスが、女の顔を睨み付ける。

 しかし、そこには右肩に黒猫を乗せた白色のローブを着た女とパラキルススドライの怪人の姿はなかった。

 

 パラキルススドライの怪人との激闘が終わりを迎え、ミズカネ・ルークは鎧を解除して、右手を差し出した。


「感謝する。パラキルススドライの怪人への対抗手段を得ることができた。俺はこれからあの錬金術を広めるつもりだ。この錬金術を使って兄貴の暴走を止める」

 ミズカネ・ルークの決意は固かった。その決意を聞き、クルスは握手を交わす。

「ありがとうございます。この借りは必ず返しますから」

「ああ、連れの幼女を守ったことだったら、当たり前なことをしただけだからな」

 ミズカネが若干顔を赤くしながら笑っていると、アルケミナも右手を出した。

「クラビティメタルストーンから盾と鎧を生成する錬金術の魔法陣の書き方を忘れないで」


 アルケミナとクルスはミズカネ・ルークと別れた。二人は歩きながら今後のことを話し合う。

「これからノジエルに向かう。パラキルススドライはアルケア八大都市というだけあって広い。だから今から日が暮れるまでに行けるのはパラキルススドライの小さな町ノジエルしかない」


 クルスはアルケミナの声が聞こえなかったかのように、暗い顔をする。

「クルス」

「……ノジエルですよね。いいと思います」

 数秒の沈黙の後、クルスはいつものように明るく答えた。しかし、アルケミナはそんな彼の異変を見逃さない。

「何を隠している?」


「パラキルススドライの怪人と合流したあの女は何者だったのでしょう? あの女の打撃は見えません。さらに黒猫の能力によって先生の錬金術が使えなくなりました。絶対的能力者であることは間違いないのですが……」


「……私たちと同じ研究者である可能性が高い」

 そう結論を導いた彼女の頭には、見覚えのある白いローブで錬金術師の姿が浮かんでいた。

 だが、その仮説は、一つの事実によって頭の中で否定される。


 パラキルススドライから冷酷な殺人鬼の存在が消滅し、街に平和が戻った。

 だが、二人が通り過ぎた商店に設置されているテレビは新たなるニュースを伝える。


『只今入ってきた情報によりますと、エクトプラズムの洞窟の内部で六人の遺体が発見されました。遺体は全て死後一週間程度経っていると思われ警察は身元の確認と共に捜査を開始しています』

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