第14話 怪人の追撃 後編

「餓鬼!」


 怒りに身を任せたパラキルススドライの怪人は、周囲にあるコンクリートの壁や建物を手刀で破壊しながら、標的を探す。その手がかりは血の匂いのみ。


 捜索の間、パラキルススドライの怪人は感じていた。


 新開発の錬金術。錬金術を利用した脱出劇。標的の幼女が只者ではないと。

 頑丈な建物が次々破壊されていく。


 パラキルススドライの怪人の通り道にできるのは瓦礫の山。無数にある瓦礫の山のどこかに誰かの遺体が埋まっていてもおかしくない状況。

 既に被害者数は百人を突破している。


 この瞬間、パラキルススドライの怪人の考えが変わった。

 百人目の被害者としてあの餓鬼を殺すことから、何人殺してもいいから餓鬼を殺すことに。

 強まっていく殺意。残忍な怪人による魔の手は少しずつアルケミナに迫っている。


 捜索から十分後、パラキルススドライの怪人は裏路地に辿り着く。そこから血の匂いは発生していた。

 さらに、ポタポタと地面に付着している血痕。

「絶対逃がさない。この血痕がお前の墓場への道標だ!」

 パラキルススドライの怪人は血痕に導かれて、ビルに辿り着く。


 高さが五十メートルあるそのビルを、見上げた彼は、白い歯を見せ笑った。

「このビルが餓鬼の墓場か」


 そう呟いた冷酷な殺人鬼は、誰もいないビルの中へと足を踏み出していく。



 一方で、 アルケミナ・エリクシナは重たい息切れを起こしながらビルの階段を昇っていた。

 その間にも痛みと疲労感が蓄積されていくが、休憩をしている場合ではない。


 鉄で構成された階段に埃が漂う。電気も停まられた誰もいない廃ビルは、エレベーターも動かない。

 自らの足で屋上を目指さなければ、あの怪人に殺される。

 そんな予感が頭を過った彼女は、水色の槌を右手で握ったままで、重たい体を動かした。


 彼女は既にパラキルススドライの怪人が迫っていることを予想していた。

 血痕がアルケミナの通り道を示している。それは残忍な殺人鬼にとって標的の居場所を示す手がかりとなるだろう。

 

 その予想通りに動いた怪人が、錆びた階段の手すりを手刀で切断しながら、階段を昇っていく。

 

「かくれんぼ、終わりにしようぜ。どうせお前は俺に殺される。楽しもうじゃないか。この恐怖の時間を!」


 その恐怖心を煽るかのような叫び声は、アルケミナの耳にも届いていた。


「……やっぱり、近くまで来ていた」


 小さく声を漏らしたアルケミナは汗を流しながら、屋上へ続く残り五十段の階段を見上げた。

 その先に見えた鉄の扉を瞳に捉えた彼女は、最後の力を振り絞って、それを昇っていく。


 一分以内に昇り切り、鉄の扉のドアノブを握ると、すぐにそれは開いた。

 八大都市のパラキルススドライの街並みが飛び込んでくる中で、彼女は周囲を見渡した。

 金属製のフェンスで覆われていない正方形の開かれた空間を認識してから、彼女は屋上の端へと足を進め、地上を覗き込んだ」


「大体五十メートルくらい。これくらいあれば……」


 成功を確信した五大錬金術師が強い殺気を感じ取ったのは、それから数秒後のことだった。

 無表情で背後を振り向いたアルケミナの瞳に、自身を襲おうとした怪人の姿が映り込む。


「やっと会えたな。ここがお前の死に場所か。ただの餓鬼は俺に殺されるしかないのさ」

「ただの餓鬼じゃなかったとしたら?」

 アルケミナは自信満々に答え、ビルの屋上から飛び降りた。

 その光景を見て、パラキルススドライの怪人は鼻で笑う。


「逃げられないと思って自殺しやがったか? 馬鹿なヤツだ。俺が殺そうと思ったのに……」

 

 そんな彼の考えを嘲笑うように、アルケミナは降下していく中で水色の槌を振り下ろす。


 魔法陣の構造は、先程パラキルススドライの怪人の体を吹っ飛ばそうとしたものと同じ。


 違いは東西南北だけではなく、南東、南西、北東、北西にも下向きの三角形の記号が記されていることだけ。


 落下するアルケミナの体。それと地面までの距離がゼロに近づこうとしている。その時、五十メートルを軽く超える水の柱が勢いよく出現。 


 その水圧によりアルケミナの小さな体がはるか彼方の上空まで飛ばされる。

 そんな光景を目の当たりにして、冷酷な殺人鬼は一歩も動けなかった。


「バカな。上空での錬金術の使用はかなりの実力者ではないと使えないはず。絶対的能力で能力に補正がかかっているとしても、餓鬼にできる芸当ではない!」


 地上に落ちてから錬金術を発動すれば、確実に転落死。

 地上に体が叩きつけられる前に空中で発動された錬金術。

 それは通常の人間ではできない芸当。



 その瞬間、怪人の脳裏に野望が浮かび上がった。

 

「あの餓鬼を見つけ出して殺す!」




 その頃、クルス・ホームは少年の隣で街外れにある広場を見渡した。

 人工的に移植された草に覆われたその場所には、多くの人々が集まっていた。

 そんな空間の中で、クルスは野次馬が出来ていることに気が付いた。


「おい。大丈夫か。お嬢ちゃん?」


 前方に見えるその中から、男の心配する声を聴いた五大錬金術師の助手が、その場で立ち止まる。


 どうやら、誰かが倒れているらしい。

 それがアルケミナだとしたら……


嫌な予感が脳裏に過ったクルスは右隣にいる少年に視線を向け、首を縦に動かした。


「ごめんなさい。あの野次馬が気になるので見てきます」

 そう伝えてから、一歩を踏み出し、野次馬へ近づく。


「すみません。誰か教えてください。何があったんですか?」

 多くの人々を掻き分けながら、クルスは周囲の人々に呼びかけた。

 すると、黒髪パンチパーマの男が右手を挙げながら、クルスの元へと歩み寄ってきた。

「お嬢ちゃん。突然クッションマットが現れたかと思ったら、その上に小さな銀髪の女の子が落ちてきたんだぜ」

「小さな銀髪の女の子って……どっ、どこ見てるんですか!?」

 頬を高揚させ、クルスの大きな胸に視線を向けた男に五大錬金術師の助手が腹を立てる。

「別にいいだろう。ここまで胸がデカい女、初めて見たぜ」

 まるで変態オヤジのようにニヤニヤと笑う男を睨みつけたクルスは、男に背を向け、野次馬の中心へと足を踏み入れた。

 

 突然出現したクッションマット。落ちてきた小さな女の子。

 クルスが抱く嫌な予感は現実になろうとしている。

 

 そんな中で、視線を前方に向けたクルスは、緑色の大きなクッションマットを見つけた。高さ数メートル、一辺が三メートル程度の正方形になっているそれに飛び乗った男は、空から落ちてきた小さな女の子の体を持ち上げ、地上に向かい、飛び降りた。


 長身の男の腕の中で抱えられた銀髪の女の子の姿を瞳に映したクルスは、野次馬たちを払いのけ、男の元へ駆け寄る。

 そんな動きを見せた長身の男は、目の前に近づく巨乳の少女に視線を向けた。


「なんだ? もしかして、この子の保護者か?」

「はい。そうです」とハッキリとした答えを聞いた男は、そのままクルスに女の子を差し出す。

「あとは任せた」と呟く男はクルスの両腕に女の子を抱えさせ、その場から立ち去った。


 その直後、クルスの腕の中で眠る幼女が「ううん」と小さく唸り、呟いた。

「……疲れた」

 その一言にクルスが唖然すると、アルケミナは瞼を開け、再び呟く。

「疲れた」

「先生。それが最初に言うことですか? 僕がどれだけ心配したのかを分かっています?」

「本当に疲れた。久しぶりに本気で戦ったから。あれくらいしないと生き残れなかったし、エーテルも使ったから、もっと疲れた。エーテル使いたくない」


 エーテル。プロの錬金術師でも使い方を間違えれば命を落とす危険な元素。


 いきなり現れた幼女の口から、そんな言葉を聞き、何も知らない住民たちが騒然とする。


 戦った。

 

 生き残れない。


 まさかと思いクルスはアルケミナに尋ねる。

「先生、まさかパラキルススドライの怪人と戦ったのですか?」

「うん。でも私は逃げただけだから、怪人は無傷。精神的ダメージなら与えられたかもしれないけど」

「精神的ダメージって。何をしたのですか?」

「一般人にはできない芸当を使った脱出劇」

 

 そう簡単に説明した後で、アルケミナが抱きつくように助手との距離を詰める。

 互いに密着した上半身。目の前に小さなアルケミナの顔が飛び込んできたクルスの頬が赤く染まっていく。

 そんな助手の反応を気にしないアルケミナは、無表情で助手の耳元で囁いた。


「本当は姿四割くらいのチカラしか使ってないけれど……」


 そんな五大錬金術師の言動に違和感を覚えたクルスが首を傾げる。

「先生……」と尋ねようとする助手の唇に自らの右手の人差し指を押し当てたアルケミナは、助手の耳元で小さな声を聴かせた。


「静かにして。私の正体、気付かれたくないから。本当は全力であの怪人と戦おうとしたけど、姿四割くらいのチカラしかでなかった。おそらく、幼児化の影響だと思う」

「……そうだったんですね」


 小声で言葉を交わしたクルス・ホームは、納得の表情で目の前にいる小さな女の子を背負い、野次馬たちから離れた。


「マジかよ! 聞いたか? あの子、パラキルススドライの怪人と遭遇して生き残ったらしいぜ」


 野次馬の中から驚愕する男の声が響く。

 この噂は物凄い速さで伝染していく。パラキルススドライの怪人と対抗できる救世主が現れたと。

 間もなくしてクッションマットは消滅した。




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