第8話 サーベルキメラの正体 前編
シャインビレッジは外来種であるサーベルキメラの襲撃を受け、ゴーストタウンのように静かになった村の中を、銀髪の幼女が一人で歩いていく。
民家と民家の間に通る小さく薄い茶色の砂が混ざった地面を踏みしめた幼女は周囲を見渡した。
周囲には人はいなく、風だけが吹いている。
おそらく村民たちは小屋の中に避難しているのだろうと察したアルケミナは、無言で歩みを進めた。
村一番の錬金術師を失った今、この村からサーベルキメラという脅威に立ち向かう者は誰もいない。
すると、風が強く吹き、村に一匹のサーベルキメラが降り立った。
瞳にEMETHという文字が刻み込まれたキメラを前方に認識したアルケミナが無表情で距離を詰める。
「森の中を探そうと思っていたら、まさか、こんなところで出会えた」
無表情で怪物の眼前に立つ銀髪の幼女を、キメラは警戒して、身を震わせた。
『誰だ? 何でサーベルキメラを探していた? まさか、この村の人間を助けたことが認められて、俺を倒してこいって誰かに依頼されたのか?』
警戒心丸出しな声がアルケミナの頭に届き、彼女は首を左右に振った。
「違う。私はあなたを殺さない。信じてほしい。村一番の錬金術師で、EMETHシステムの被験者として選ばれたノワール・ロウ」
『なぜ分かった? 誰も俺の正体に気が付かないのに……』
幼女の口から真実が突きつけられ、キメラは思わず目を見開いた。
「最初は正体が分からなかったけど、大体のことは一目会った時に察した。あなたの瞳にはEMETHという文字が刻み込まれていたし、あなたの見た目はサーベルキメラ。この国には存在しない外来種。あのシステムには体に著しい変化を与えるという欠陥があるから、あなたがEMETHシステムの被験者の一人であることが分かった」
突然現れた旅人の推理を聞き、キメラは再び尋ねる。
『なぜ俺がノワールだと分かった?』
「トーマスとアニーの証言を聞いたから。ノワール・ロウという男が漆黒の幻想曲発生直後に失踪したこと。ノワールは村一番の錬金術師で、EMETHシステムの被験者になったこと。そして、あなたが最初にテレパシーで伝えた言葉。錬金術を使えない。この三つの事実を統合すると、ノワール・ロウはEMETHシステムの不具合によってサーベルキメラ化して、錬金術が使えなくなったことが分かる。動物は錬金術を使えないから……」
その少女は真実を察している。そのように判断したノワールは、犯行を見破られた真犯人の如く、自供する。
『そうだ。俺はノワール・ロウ。村一番の錬金術師だった男だ』
告白の後、ノワールはあの日のことを思い出す。
漆黒の幻想曲発生直前、筋肉質の太い腕を持つ巨体の青年は一人で薬草を積んでいた。
周囲を木々が覆う場所、風が木の葉を揺らし、近くにある小池が微かに波打つ。
ここにある薬草を毎日のように婚約者と一緒に積みにいく。そんな生活がいつまでも続くとノワールは思っていた。
フェジアール機関とアルケア政府が、絶対的能力を与えるシステムを開発したと知った村一番の錬金術師の答えは決まっていた。
その絶対的能力を使い、村を守る。錬金術の上位互換の絶対的能力者が村を攻めてきたら、確実に村は壊滅してしまうだろう。そうならないためにも力が欲しい。
対象者を選ぶ一般応募の結果、ノワールは白色のお守りを手に入れた。これを持っていれば、漆黒の幻想曲の日に五大錬金術師が行う儀式の後で、絶対的能力が自分の物になる。
そんなことを思っていた彼は、小さな紫色の花が一輪だけ足元に咲いていることに気が付いた。
「悪いが、その葉っぱを分けてもらう」
その場にしゃがみこみ、その場で槌を叩き、小さな釜で紫の花の葉っぱを切り取る。
「ふぅ。これがあれば、今も苦しんでるアニーが助かるだろうな」
頭の上に流行り病で熱にうかされている婚約者の姿を浮かべたノワールは葉っぱを左手で握り締めた。
すると、突然、空が暗くなり、漆黒の幻想曲が始まった。ノワールは手を止め、肌身離さず首からかけていた白いお守りを右手で掴んだ。
ノワール・ロウは村を守るための絶対的能力を手に入れるという覚悟を決めた瞳で、それを持ち上げ、白いお守りを見つめる。
そして、五大錬金術師の儀式が行われ、対象者の体は眩しい光に包まれていく。
光が消えた後、ノワールは異変に気が付く。なぜか四つん這いの体位になっていて、周りを見渡すため首を左右に振ると、身に着けていたはずの衣服の残骸が散らばっていた。錬金術の槌も落ちている。先ほどまで薬草の採取に使っていた釜は、地面に刺さり、右手で握り締めていたはずの薬草に葉っぱは、風に舞い、自分の目の前でひらひらと落ちていく。
一体、何が起きているのかと困惑する青年の口から声が漏れた。
「ガアァァアアアアアアアアアアッ!」
飛び出した声は言葉ではなく雄たけび。その衝撃て木の葉が吹き飛び、ノワールの足元に落ちた。
二足歩行をしようと試みるが、上手くいかない。仕方なく彼は四つん這いの状態で歩き、近くの小池を覗き込んだ。
そこに映る姿に、村一番の錬金術師は驚きを隠せなかった。サーベルタイガーの体に大きな鴉の羽が生えた怪物。
図鑑でしか見たことがない外来種のサーベルキメラ。それがノワールの今の姿。
突然こんな姿に変わってしまった理由に、ノワールは心当たりがあった。EMETHシステム。これ以上の答えは、ノワール自身にも分からない。
これからのことを考えながら、サーベルキメラが森林を駆け抜ける。
彼が村に到着するには一分もかからない。人間を超越したサーベルキメラの脚力は凄まじいとノワールは思った。
だが、彼は絶望の淵に落とされてしまう。
「きゃあぁぁ」
突然見たことのない怪物が現れ、恐怖した子供たちが悲鳴を出す。その子供達を守るため、母親達は彼らを自宅へ引きずり込んだ。
それから、間もなくして、悲鳴を聞きつけた男達が現場に駆け付ける。
「凶暴な肉食獣、サーベルキメラだ! みんな逃げろ!」
勇敢な村の青年は周囲に呼びかけ、震える手で錬金術の槌を握る。それに合わせて、他の男達も村を守るため槌を叩き、剣や槍を召喚した。
昨日の仲間は今日の敵。村の男達は変わり果てたノワールと対峙する。だが、ノワールには戦う意思がない。
『ヤメテクレ』
剣や槍を構え怪物に襲い掛かる村民達の手が一瞬止まる。彼らは同じタイミングで周囲を見渡す。
「ノワール。どこに隠れているんだ? 一緒にサーベルキメラを退治しようぜ」
勇敢な村民が問いかけても、英雄は答えない。どこから声が聞こえて来たのかと彼らは困惑する。
まさかとノワールは思った。先程ノワールは戦いたくないという意思を込めて、『ヤメテクレ』という言葉を頭に浮かべた。
すると、村民達はどこから聞こえてくるのか分からないノワールの声に困惑した。
単純に考えるならば、テレパシー。
自分の意思や考えを喋ることなく相手にダイレクトに伝える能力。
図鑑にサーベルキメラはテレパシーが使えるという情報は載っていない。ということは、これが自分の絶対的能力なのか?
この程度の能力を与えられた恨み。
錬金術が使えなくなった現実。
仲間に傷つけてしまったことによる痛み。
怒りが爆発した心は、怪物としての本能に侵食されていく。その度に胸が痛くなったノワールは本能のまま、咆哮した。
巨大な鴉の羽を上下に動かし、空中を舞う。突風が吹き、自分を退治しようとする村民が呆気なく転んでいく。
このまま村に帰れば、仲間を傷つけてしまう。そんな思いが本能に勝ったノワールは、そのまま森へ逃げた。
こんな辛い思いをするくらいなら、村を出て、サーベルキメラが多数生息する外国に行けば良いのではないかとも一瞬考えたが、ノワールにはできない選択だった。
やがて、村想いの彼は気になった。先程の咆哮で村の被害は出なかったのかと。あれの所為で誰かが怪我をしたのならば、心が傷ついてしまう。
村の様子が気になった彼は、最初にいた湖の畔の近くに降り立ち、眠ってしまった。
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